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 なんて目で、なんて声で──なんて顔で、恋を語るのだろう。桃枝の表情は、そう訴えていた。  『恋人だ』と言うくせに、黒法師には伝えなかった。『恋ですか』と訊いておきながら、認める気配は見せていない。……今の山吹は、明らかに異常だった。  だから桃枝は、咄嗟になにも言えなかったのだ。 「課長、お願いします。今日は──今日こそは、ボクの首を絞めてください」  ベッドに押し倒され、愛する恋人に懇願されて。桃枝はすぐに、反応を返せなかった。  ようやく、山吹の言動を理解して。すぐさま桃枝は、不愉快そうに表情を強張らせた。 「この、馬鹿ガキが……ッ! お前、なに言ってるんだよ!」 「あはっ。課長の機嫌、悪くなってますね? ふふっ、嬉しいなぁ」 「お前、おかしいぞ! なにに怒ってるんだよ? 俺が水蓮に『恋人がいる』って言ったことか?」 「いいえ、それは気にしていません。課長はウソが嫌いで、そもそもウソが吐けない人です。それは、いいんですよ」  剣も、銃も必要ない。大砲も等しく、ましてや核兵器だって同じだ。 「ねぇ、課長。今のボク、おかしいですよね? 課長に、すっごくメーワクをかけていますよね? ムカつきませんか? だから全部、全部……課長の怒りを全て、ボクにぶつけてくださいよ。課長のイライラを全て、ボクにぶつけてください」  人が人を殺すために必要なのは、たったひとつ。 「──お願いだから、ボクに『ダメな奴だな』って言ってください……っ」  ──言葉さえあれば、十分なのだ。  父親は口癖のように、何度も何度も山吹を否定した。嫌な男、駄目な子、悪い奴……。並び立てれば、キリがない。  言われる度に、努力を否定される度に。山吹は徐々に、精神を蝕まれていった。【言葉】によって食い破られていった心は、虚しく穴が開いたのだ。  ──だからその穴を、山吹はどうにかして埋めようとしただけ。それが、山吹がセックスに逃避し始めた原因だった。 「もう、イヤです。もう、振り回されたくありません……っ」  ただ、寂しくて。ただ、その寂しさを埋めたかったから。難しいことを考えることに疲れて、諦めて、逃避したくて……。  たまたま、その相手が【不特定多数】で。たまたま、その方法が【セックス】だったというだけ。……山吹に選べて、山吹が実行できる手法が、それしかなかっただけで。  山吹が重ねてきた時間にこだわりはなく。ゆえに信念もなければ、貫き通すべき美学もない。  山吹緋花という男は、たったそれっぽっちの存在なのだ。 「もう、こんなこと考えたくないです。恋愛も、好きも嫌いも……もう、うんざりです……っ」  桃枝に対する気持ちが、愛や恋だとして。こんな山吹に、いったいなにができると言うのだろう。  年上の男に少し揶揄われただけで動揺し、嘘を重ねて……。ほぼ初対面の黒法師を相手に乱されるなら、山吹は恋愛なんてしたくなかった。  ──乱された挙句に、桃枝を傷つけてしまう自分なんて。恋愛をしていいはずが、ないのだ。  暗い顔をし、悲しい言葉を並べている。明らかに様子がおかしい山吹を見上げて、桃枝は眉を寄せた。 「山吹、どうしたんだよ。なんでお前、そんなに泣きそうな顔して……っ」 「そんなの、どうだっていいんです。だから、課長。早くボクの首、絞めてください」 「だから、それはしたくないって前にも言った──んっ!」  ぶつけるように、山吹が桃枝に唇を当てる。突然口を塞がれた桃枝は、くぐもった声を漏らした。  すぐに唇は離れ、桃枝の視界には笑う山吹が映る。 「そうですよね、先ずは体を繋げましょう。課長、ボクとエッチしてください」 「やめろ、山吹。今のお前、明らかにおかしいぞ」 「ボクはいつだってこうですよ。セックスが大好きで貞操観念ゆるゆるな、カワイイ年下系後輩ですよ」 「間違っちゃいないが、それでもおかしい──」 「──セックスしてください、課長。お願いだから、気持ちいいことで頭をいっぱいにしてください」  桃枝は、分かっていた。今の山吹が、明らかに異常だと。  それでも今、山吹を突き飛ばしたら。きっと山吹は、さらに自棄を起こす。 「山吹……ッ」  そうとは分かっていても、手は出せない。桃枝はどこまでいっても、不器用で優しい男だから。

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