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桃枝の手も、体も、動かない。山吹が求める【酷いこと】を、桃枝はひとつも提供したくないのだ。
できることは、山ほどある。それでも桃枝はその内のひとつたりとも、したくない。
このままでは、桃枝がただただ苦痛に顔を歪めるだけで終わる。そしてきっと、山吹の方から折れてしまうのだ。
だが、今日はそれではいけない。どうしても山吹は、桃枝に酷くされたかった。
だから、山吹は──。
「──じゃあ、黒法師さんに頼もうかな。ボクの首、絞めてもらうの」
「──はっ?」
先に、桃枝へ酷いことを言ってしまった。
山吹は指を立て、そのまま指先で桃枝の喉を撫でる。
「黒法師さん、素質があると思うんですよね。偏見ですけど男の人もイけそうでしたし、個人的な連絡を取ってみようかな。……ねぇ、課長。仲介役になってくださいよ」
理性を剥ぎ取れば、桃枝だって山吹を傷つけてくれるはず。幼稚な八つ当たりでも、正当な反撃でも……どんな理由でもいいから、山吹は桃枝から攻撃されたかった。
予想通り、桃枝は苛立たしそうに眉を寄せている。一度だけ奥歯を噛むような仕草をした後、桃枝は馬乗りしている山吹を睨み付けた。
「やめろ、山吹。そんな話、冗談でも聞きたくねぇ」
「だって仕方ないじゃないですか。課長がボクのこと、満足させてくれないんですから」
「お前ッ、だから冗談でも──……クソッ!」
手が、上がりかけて。すぐに、下がる。無論、山吹の首には触れられない。
このままでは駄目だ。優しくなんて、されたくない。自分には、桃枝からそうしてもらえる資格がないのだから。
山吹には、周りが掲げるような愛情は必要ない。そんなものを与えられても、戸惑ってしまうのだ。
殴られ、蹴られ、罵倒され……。山吹には、そうしたスキンシップで十分だった。
──『駄目な子だ』と言われ続け、自己肯定感を奪われた山吹緋花という男には……それが、お似合いなのだ。
山吹は桃枝の首筋から手を放し、その手で拳を握る。
「そう、ですか。課長には、できませんか」
それだけ言うと、山吹は桃枝から借りた服をギュッと握った。まるで胸を押さえるかのように、力強く。
ようやく、諦めてくれたのか。桃枝の表情が一瞬、ほんのりと安堵を孕む。
しかし……。
「ボクのこと、幸せにしてくれるって言ったのに」
「……山吹?」
山吹の目から、スッと光が消えて。山吹は胸を押さえていた手を動かし、そのまま着ている服の裾を握り……。
──山吹は、自らの意思で服を捲った。
咄嗟のことに、桃枝は山吹が晒す体を凝視してしまう。初めて見た山吹の上半身は想像通り痩せていて、色白で、そして……。
桃枝が知らなかった、胸元に残る火傷の痕。山吹はしっかりと、醜い傷痕を見せながら……笑ってみせた。
「──ウソ吐き」
「──ッ!」
瞳から輝きを失い、服を捲りながら笑う山吹が放った、たった一言。それが、なにを意味しているのか。さすがの桃枝でも、ハッキリと分かってしまった。
──これは、乖離を意味している。
桃枝と山吹では、価値観が違うのだと。決して交わらないのだと、山吹は【最も見られたくない部分】で、示したのだ。
「なんで、そんなにお前は……ッ。……ク、ソッ!」
苦痛に、顔を歪めて。心底悔しそうに、悪態を吐きながら。
ついに桃枝は、山吹をベッドに押し倒し返した。……冷えた指を、山吹の細い首にまとわりつかせながら。
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