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悪いのは山吹で、傷つけたのも山吹だ。あの日の被害者は、山吹視点から見るとどう考えても桃枝だった。
それなのに、桃枝が謝っている。桃枝は『自分が悪かった』と、本気で思っているのだ。
山吹はそっと、自らの右手で拳を握った。
「正直、拍子抜けしています」
どこかに力を入れていないと、不必要なことを口にしてしまいそうで。山吹は俯いたまま、努めて普段の自分らしく、言葉を紡いだ。
「もっと、変わっちゃうのかと思っていました。これでも少しは、別れ話をされる可能性とか……ちょっとだけ、考えていたので」
「するわけねぇだろ。お前にとっては残念な話かもしれねぇが、俺はお前を好きなままだ。手放すつもりなんかねぇよ」
「そう、ですか」
残念、なのだろうか。桃枝から別れ話を切り出されなかった現実は、山吹にとってバッドエンドへの道筋に沿っているとは思えない。
「ごめん、なさい。この前の金曜日は、おかしなことばかりしてしまって」
「気にするな。……って返答は、ちょっと違うか。俺も『気にしていない』と言えば嘘になるが、それでも思い詰めるのはやめてくれ。今までと変わらずにいてくれれば、俺はそれでいい」
「今までと、変わらず……?」
意地が悪く、桃枝の愛情を突っぱね続け、挙句の果てに嫌がる桃枝に無理矢理首を絞めさせて。嫌なところ、悪い部分を挙げればキリがないのに。
「もう、あんなことは言わないでくれ。俺も、お前がおかしくならないようにもっと気を付けるから。だから、なんて言うか……俺に、チャンスをくれ。俺を、信じてくれ」
そばに、置いてくれる。『見限らないで』と口にし、同時に桃枝は山吹を見限らなかった。
ようやく、山吹は顔を上げる。ぎこちない笑みを浮かべながら、山吹は桃枝の顔を見たのだ。
「……は、い。ボクも、もっと……頑張り、ます。だから、こちらこそ……これからも、よろしくお願いします」
「なんだよ、お前らしくない態度だな」
「まだ、元通りはムリですよ。さすがにそこまで、能天気じゃないです」
「そうか。分かったよ」
話は、終わり。山吹は再度、桃枝に頭を下げる。
今まで通りに戻るために、どうしたらいいのか。気まずいモヤモヤを抱えたまま、山吹は自分のデスクに戻ろうとして──。
「なぁ、山吹」
「っ!」
なぜか、桃枝に呼び止められてしまった。
どうして、呼び止められたのだろう。山吹は内心でビクビクと怯えながら、桃枝を振り返った。
上手に気持ちが切り替えられない自分を、今度こそ邪魔に思ったのでは。もしも今、桃枝に別れ話を切り出されたら。マイナス思考ばかりが力を付け、加速をする。
山吹の怯えに気付いているのか、桃枝は強張った表情のまま……。
「──四月から、手作り弁当を持って来てくれるんだよな?」
照れくさそうに、そう訊ねてきた。
本当に、変わっていない。桃枝はあんなことがあっても、山吹を好きでいてくれている。山吹に、分かりづらくて不器用な愛情を向けてくれた。
「……はい、モチロンです。ボクは、約束を破りませんよ」
「なんだよ。棘のある言い方だな」
「あはっ。それは被害妄想じゃないですか?」
ふっ、と。桃枝が、小さな笑みを浮かべる。つられて山吹も、苦笑を浮かべてしまった。
目が合うだけで、笑顔を向けられただけで、胸が躍る。こんな気持ち、山吹にとっては初めてだ。
変わらないで、いてくれた。山吹がおかしくなっても、桃枝は捨てないでいてくれたのだ。怯える山吹を怒鳴らず、気持ちの切り替えができない山吹に暴力も振るわず……むしろ、山吹の心配をしてくれた。
こんなことは、初めてだ。いつもなにをしたって、山吹は叱られてばかりだったのだから。
「楽しみにしていてくださいね。腕に縒りをかけちゃいますから」
今度こそ、桃枝の優しさに応えたい。きちんと、桃枝と向き合おう。
たとえそれがどれほど茨道であったとしても、山吹は向き合うべきだと。そう、心を震わせながらも思ってしまった。
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