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玄関扉を閉めた桃枝は、鋭い視線で山吹を睨み付けている。
「お前は結局、俺のことを弄んだだけだ。惚れている弱みに付け込んで、玩具のように好き勝手使って。……お前にとっての俺は、そういう男だろ」
「……っ」
「それなのに、都合のいいときだけ彼氏面しやがって。気まぐれで俺を喜ばせて、そのくせいつだってお前は、お前の本心を隠そうとする。誰よりもお前に頼られたい俺を、他でもないお前は思い付きで振り回す。人の気持ちを弄ぶのも大概に──」
「──じゃあ教えてくださいよッ! 人を好きになるってなんなんですかッ!」
まるで、呼応するかのように。
「父さんはボクに言ったんですよ! 殴ることと愛情はイコールなんだって! それが間違いだったって言うんですかッ? じゃあなんで父さんは母さんを毎日殴り続けたんですかッ? なんで父さんはボクを毎日殴ったんですかッ!」
「山吹、それは──」
「酷くしてくださいよッ! 痛くして傷つけて壊してくださいよッ! それしかボクは【愛情】を知らないんだからッ! それが間違いだって言うならッ、それを『ふざけている』って糾弾するなら……ッ!」
桃枝を睨み付けた山吹の瞳が、揺らぐ。その目を見て、桃枝が小さく息を呑んだ気がした。
それでも、山吹は弁明ができない。桃枝からの視線を受けるのも耐えられなくなった山吹は、ついに俯いた。
「──最初から、ボクなんかに変な期待しないでくださいよ……っ」
感情が、瞳から溢れそうになる。山吹は両手で顔を覆い、それでも必死に言葉を紡いだ。
「ムリなんですよ。ボクには、普通の人みたいな恋愛ができない。酷くされないと、安心できない……っ。優しくされると、怖いんです……っ! 優しさはいつか終わっちゃうって知っているから、だから……ボクは課長の愛情が、怖いんですよ……っ」
「山吹、俺を──」
「──近寄らないでッ!」
視界の隅で、桃枝の体が動いた気がした。だから咄嗟に、山吹は桃枝を拒絶する。
「課長の気持ちを弄んだことは、お詫びします。……ボクはいつからか──ずっと、ちゃんと、課長がボクのことを凄く好きだってことは、信じていました。これは、本心です。そしてボクも、課長のことを好きになりそうなんだと思います。……だけど、もうダメです。もう、ムリです」
桃枝を、不幸にしたくない。桃枝には、普通の幸せを選んでほしい。
それを、山吹は与えられないのだ。両親が繰り広げる【見たくもない愛の姿】を見せつけられて、暴力の果てに平穏を失い、それが愛だと信じるしかなかった山吹には、真っ当な愛を捧げられるわけがなかった。
だからこそ、山吹は口にする。
「──ボクと、別れてください。これ以上、優しくされたくない……っ」
桃枝から向けられる優しさを愛だと認めると、受けてきた痛みに理由が付けられない。桃枝を受け入れた瞬間に、山吹は信じてきた一切を手放さなくてはいけないのだ。
両方は、選べない。それでも確定しているのは、山吹が選びたいものが【桃枝の幸福】ということだった。
選びたいものがハッキリしているのなら、切るべきものも自ずと明確化される。……そう。桃枝の幸福に、山吹は在ってはならない。
自己犠牲のつもりで、山吹はこの言葉を口にしたのかもしれなかった。だが、山吹はここにきて……。
「──そうだな、別れるか」
ここにきて、愕然とする。それは、桃枝に提案を肯定されたからではない。
──桃枝が、肯定するわけがないと。そう思い込んでいた自分の身勝手さに、愕然としたのだ。
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