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 傷つけられた母親は、いつも嬉しそうに笑っていた。時には誇らしげに、幼い山吹へと傷を見せてきたくらいだ。  愛する人を傷つければ傷つけるほど、父親の機嫌は良くなっていた。時には惚気るように、母親への暴行を眺めろと言いつけてきたくらいだ。  これが、間違いであったのならば。だとしたら、山吹は……。 「なぁ、山吹。そろそろハッキリさせてくれ。『幸せな家族だ』と言うなら、どうしてお前は父親を殴り返さなかったんだ? ……どうしてお前はッ、父親に便乗して母親を殴らなかったんだッ!」 「ッ!」 「お前にとって、愛情は暴力なんだろう? ならどうして、クリスマスプレゼントの礼に俺を殴らなかった? 嬉しかったなら、相応の【愛情】で返すのが流儀なんじゃないのかよッ!」 「ち、ちが……っ。ボクは──」 「──なんで今ッ! お前は俺を殴らないんだよッ! どうして今ッ! 俺がお前を殴っていないのかが分かんないのかよッ!」  怒鳴り散らされ、発言を求められている。ここで正解を口にできなければ、今度は手が出されるかもしれない。  既に山吹は笑みを浮かべることすら考えられないまま、体をガタガタと震わせることしかできなくなっていた。 「課長の、ことなんか……っ。ボクは課長のことなんか、好きじゃないです……っ。だから、だから殴りません。好きじゃないから、殴らないんです……っ!」 「あぁそうかよ。なら、なんで俺がお前を殴らないのか。その説明もしてみろよ。俺の愛情をずっと前から信じているなら、説明くらいできるよな?」 「そ、れは──」 「──早くしろッ!」  ビクリと、一際大きく体が震える。  いつもは山吹の言葉を待ってくれる桃枝が、怒号で急かすなんて。こんなの、桃枝らしくない。  恐怖に、体が震える。怖くて怖くて、堪らない。  それでも答えなくては、なにをされるかが分からなかった。ソースはいつも通り、父親だ。山吹は大きな瞳に涙を溜めながら、それでも必死に言葉を繋げた。 「……か、課長も。課長もボクを、好きじゃないから。だから、だから、殴らないんです……っ」 「そうかよ。……ほら、どうした? お前の理論でいけば罵声も愛なんだろ? なら笑えよ。俺は今、お前を猛烈に愛してるって証明になってるんじゃないのか? だったらッ! 俺の怒号を受けていつもみたいに無邪気に笑って見せろよッ!」 「ひッ!」  桃枝が、手袋をはめた手を上げている。その手はきっと、間もなく振り下ろされるのだろう。  これから始まるだろう暴力に、山吹の体は震え続ける。そして、ついには瞳から感情が零れ落ちた。 「──や、やだ……っ」  頬に伝う雫に気付くと同時に、山吹は情けない声を漏らす。  その声は、桃枝にも届いていた。手を振り上げたままの桃枝は鋭い眼光をそのままに、力なく紡がれた山吹の言葉をさらに急かす。 「あ? なにが嫌なんだよ、言ってみろ」 「かっ、課長に……怒鳴られる、の……っ。い、いや、です……っ」 「なんでだよ? お前の流儀に則った愛し方を示してるだけだろ。お前は今、俺に愛されてるって思えるんだろ? ……なのにッ、なにが嫌なんだよッ!」 「ひッ! ……ひっ、う、ぅ……っ」  しまいに山吹は、ペタリと床に座り込んだ。両手を目元に当て、何度も何度も擦り上げながら。 「こんなの、やだ……っ。怖い課長、イヤです……っ」  山吹の視界には、なにも映らない。目を閉じ、それでも溢れてくる涙を手の甲や指で拭い続けているからだ。  だからこそようやく、山吹は心の奥底に在り続けたはずの気持ちを口にしたのかもしれない。 「──いつもみたいに、優しくしてくれないと……大事にしてくれないと、やだぁ……っ」  ポロポロと、大粒の涙が瞳から溢れた。拭っても拭ってもとめどなく流れる涙を膝や床に落としながら、山吹は泣きじゃくり始める。 「イヤです、課長……っ。やだ、やです、やだぁ……っ! 怖いの、イヤです……っ。殴られるのも蹴られるのも、物を投げられるのもイヤだ……っ! 怒鳴られるのも、罵られるのも、酷い扱いを受けるのも……ホントはずっと、ずっとやだったよぉ……っ!」  決壊した体裁と理性は、山吹の感情も涙も願いも止めない。 「──ボクも、ホントは……っ。ホントは、優しく愛されたいぃ……っ!」  信じるも信じないも、正しい愛も正しくない愛も。今の山吹にとっては、全てが分からなかった。  ただ、自分も本当は。奥底にしまい込み、ボロボロになった大切なものを引っ張り出して。けれど今さら、これをどうしていいのかも分からないから。だから山吹は、子供のようにわんわんと泣き続ける。  そうするとついに、上げられていた桃枝の手が、山吹に向かって伸び──。 「──ヤッパリ俺は、嘘が嫌いだ……ッ。お前を泣かせる嘘なんて、金輪際クソ食らえだ」  その手に、山吹は抱き締められた。

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