211 / 465

7 : 35

「──『駅に辿り着けなくて電車に乗れなかった』だとっ?」  それは、翌朝のこと。山吹は桃枝と共に、黒法師が泊まっているホテルの前に来ていた。  方向音痴のスペシャリストをそろそろ自負できそうなほど、今日も今日とて黒法師は迷子を極めているらしい。だというのに、当の本人は「たは~っ」と明るい笑みを浮かべている。  経緯は、こうだ。なし崩し的に山吹の部屋に泊まった桃枝は早朝、黒法師から着信を受けた。応じたところ、内容は簡単で。……とどのつまり、SOS信号だったのだ。  当然拗ね始めた山吹は『一緒に行く』ということで渋々【黒法師救助活動】に納得し、今に至る。……そろそろ、定番になりそうな流れだろう。 「黒法師さんは少し、課長に頼りすぎだと思います。地図アプリの使い方くらい憶えてください」 「山吹君は会う度に辛辣度が増していくなぁ。別にええやろ、友達を頼ったって。君と白菊はただの上司と部下なんやろ?」  悪意を隠すこともなく嫌味を言うと、嫌味が返された。山吹はムッと唇を尖らせ、すぐに桃枝へと近寄る。 「やっ、山吹っ? 近く、ないか?」 「違いますよ、黒法師さん。課長は、ボクの恋人です」 「はっ? おい、山吹っ?」 「隠したこと、黒法師さんには謝りませんけどね」  桃枝の腕に引っ付き、山吹は必死に黒法師を威嚇した。  桃枝は、山吹の男だ。だから金輪際、妙な色目は使うな。山吹の言動は、黒法師にそう訴えている。  明確な敵意を分かり易く向けられている中、黒法師はと言うと。 「──知っとったよ。白菊の好きな子が山吹君やってことも、白菊が山吹君と付き合ってるってことも。どっちも、白菊が言っとったからね」  山吹にとってはさほど驚く要素のない告白を、サラリとやってのけた。  この中で唯一、二人の不仲に気付いていないのは桃枝だけ。山吹の密着に動揺しながらも、桃枝は黒法師を睨んだ。 「は? お前、嘘吐くんじゃねぇぞ。俺はお前に相手が山吹なんて──」 「確かに名前は教えてくれへんかったけど『年下の可愛い子』とか『会社では桃枝専用翻訳機って呼ばれとる』とか。確定的な証拠をいくつも引っ張り出したやん、僕」 「……っ」  あっさりと論破されている。露骨なほど、悔しそうだ。  歪められた二人の表情を見て、本来なら反省なり謝罪なりをする場面だろう。だが、黒法師はどうやら性格が歪んでいたようで。 「──嗚呼、堪らんなぁ……っ。二人のその、猛烈に嫌がってる顔。やっぱり、僕の見立ては間違いやなかったんや……っ」  なぜか、恍惚とした表情を浮かべているではないか。  山吹はすぐに、恐怖を帯びたドン引きを。桃枝はなにかを知っているのか、呆れた様子でドン引きしていた。  黒法師という男の素性をなにも知らない山吹は、ひたすらに戸惑う。その様子に気付いた黒法師は、ニコリと綺麗な笑みを浮かべて種明かしをした。 「僕はな? 人の嫌がる顔が見たくて監査士になったんよ。そのくらい、生粋の【嫌がらせ好き】ってわけやね」 「笑顔のごり押しで正当化しようとしていますが、不純ですね」 「酷いわぁ。僕の指摘で会社の体制がより良いものになるんよ? 不純やないやろ」 「言っていることは確かに立派だが、動機が不純なことに変わりねぇだろ」 「──嗚呼っ、堪らんわぁっ! もっともっと僕の言動を嫌がってや二人共っ!」 「「──うわぁ……っ」」  桃枝もだが、黒法師もなかなか人間関係の築き方に難がある男らしい。桃枝の腕にくっついたまま、山吹は黒法師へのヘイト感情を隠そうともしなかった。

ともだちにシェアしよう!