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「──『駅に辿り着けなくて電車に乗れなかった』だとっ?」
それは、翌朝のこと。山吹は桃枝と共に、黒法師が泊まっているホテルの前に来ていた。
方向音痴のスペシャリストをそろそろ自負できそうなほど、今日も今日とて黒法師は迷子を極めているらしい。だというのに、当の本人は「たは~っ」と明るい笑みを浮かべている。
経緯は、こうだ。なし崩し的に山吹の部屋に泊まった桃枝は早朝、黒法師から着信を受けた。応じたところ、内容は簡単で。……とどのつまり、SOS信号だったのだ。
当然拗ね始めた山吹は『一緒に行く』ということで渋々【黒法師救助活動】に納得し、今に至る。……そろそろ、定番になりそうな流れだろう。
「黒法師さんは少し、課長に頼りすぎだと思います。地図アプリの使い方くらい憶えてください」
「山吹君は会う度に辛辣度が増していくなぁ。別にええやろ、友達を頼ったって。君と白菊はただの上司と部下なんやろ?」
悪意を隠すこともなく嫌味を言うと、嫌味が返された。山吹はムッと唇を尖らせ、すぐに桃枝へと近寄る。
「やっ、山吹っ? 近く、ないか?」
「違いますよ、黒法師さん。課長は、ボクの恋人です」
「はっ? おい、山吹っ?」
「隠したこと、黒法師さんには謝りませんけどね」
桃枝の腕に引っ付き、山吹は必死に黒法師を威嚇した。
桃枝は、山吹の男だ。だから金輪際、妙な色目は使うな。山吹の言動は、黒法師にそう訴えている。
明確な敵意を分かり易く向けられている中、黒法師はと言うと。
「──知っとったよ。白菊の好きな子が山吹君やってことも、白菊が山吹君と付き合ってるってことも。どっちも、白菊が言っとったからね」
山吹にとってはさほど驚く要素のない告白を、サラリとやってのけた。
この中で唯一、二人の不仲に気付いていないのは桃枝だけ。山吹の密着に動揺しながらも、桃枝は黒法師を睨んだ。
「は? お前、嘘吐くんじゃねぇぞ。俺はお前に相手が山吹なんて──」
「確かに名前は教えてくれへんかったけど『年下の可愛い子』とか『会社では桃枝専用翻訳機って呼ばれとる』とか。確定的な証拠をいくつも引っ張り出したやん、僕」
「……っ」
あっさりと論破されている。露骨なほど、悔しそうだ。
歪められた二人の表情を見て、本来なら反省なり謝罪なりをする場面だろう。だが、黒法師はどうやら性格が歪んでいたようで。
「──嗚呼、堪らんなぁ……っ。二人のその、猛烈に嫌がってる顔。やっぱり、僕の見立ては間違いやなかったんや……っ」
なぜか、恍惚とした表情を浮かべているではないか。
山吹はすぐに、恐怖を帯びたドン引きを。桃枝はなにかを知っているのか、呆れた様子でドン引きしていた。
黒法師という男の素性をなにも知らない山吹は、ひたすらに戸惑う。その様子に気付いた黒法師は、ニコリと綺麗な笑みを浮かべて種明かしをした。
「僕はな? 人の嫌がる顔が見たくて監査士になったんよ。そのくらい、生粋の【嫌がらせ好き】ってわけやね」
「笑顔のごり押しで正当化しようとしていますが、不純ですね」
「酷いわぁ。僕の指摘で会社の体制がより良いものになるんよ? 不純やないやろ」
「言っていることは確かに立派だが、動機が不純なことに変わりねぇだろ」
「──嗚呼っ、堪らんわぁっ! もっともっと僕の言動を嫌がってや二人共っ!」
「「──うわぁ……っ」」
桃枝もだが、黒法師もなかなか人間関係の築き方に難がある男らしい。桃枝の腕にくっついたまま、山吹は黒法師へのヘイト感情を隠そうともしなかった。
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