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 場所は変わり、とある店の駐車場。この場所こそが、山吹の希望した【行きたい場所】だ。  車から降りた桃枝は、ほんのりと申し訳なさそうな顔をしながら顔を上げた。 「──本当に、俺行きつけの定食屋なんかでいいのか?」  桃枝の言う通り、ここはなんてことない普通の定食屋だ。山吹にしては珍しい選択だろう。  もっと派手な店を選ばれると思っていただけに、桃枝は肩透かしを受けた気分らしい。山吹に行き先を希望されてからずっと、複雑そうな表情だ。 「チェーン店でもねぇし、周りが好みそうな【季節限定】とかって言う面白味のあるメニューもないと思うぞ」  桃枝の言い分は、分からなくもない。それでも山吹は、意見を変えるつもりがなかった。 「課長が好きな定食屋さん、ずっと気になってたんです。だからボクは、ここじゃないとイヤなんです」  本来なら、山吹の誕生日に行く予定だった場所。その場所にずっと、山吹は桃枝と来たかった。そんな希望が、山吹の表情から見て窺える。  嬉しそうで、楽しそうで。静かにはしゃぐ山吹を見て、それでも物申すほど桃枝は無粋ではない。 「まぁ、お前がそこまで言うなら別にいいが」  本心から、山吹が希望している。ようやくそう納得し、桃枝は山吹と共に列へと並んだ。  大行列、とまではいかない。それでも並んでいることには変わりない現状に、山吹は口を開く。 「さすがにお昼時だと込みますね。列に並ぶの、暇じゃないですか?」  これは余談だが、山吹はネット記事かなにかでこんなものを読んだ。それは【初デートに遊園地は禁物】という内容。  理由は、山吹にとってなんとなく理解できるもの。行列に並んだ際の会話や相手の挙動に幻滅し、愛や恋が冷めるからだ。  前までの山吹なら『くだらない』と一蹴しただろう。幻滅するほどつまらないコミュニケーションしか取れていない自分自身が悪い、と。恋愛に対して冷めきった気持ちを向けていた山吹は、そう思った。  しかし、今は違う。今の山吹は恋愛を【する側】にいる。いくらくだらないジンクスだとしても、知っているのなら回避したい。山吹は桃枝への気持ちを自覚すると同時にいじらしく、自分勝手になってしまったのだ。思わず不安気に、桃枝を見つめてしまう。  山吹の考えはおろかジンクス云々も知らない桃枝は、上目遣いで自分を見つめている山吹を見る。それから、サラリと普段通りの面持ちで答えた。 「──お前の声が聞こえるんだから、暇なわけがないだろ」  ドキリ、と。山吹の胸が、強く高鳴る。  桃枝は決して、山吹を喜ばせるために発言をしているわけではない。あくまでも、自分の本心を答えているだけだ。つまり山吹が、桃枝からのストレートすぎる好意に今さらながらときめいているだけ。  無性に悔しくて、それなのに嫌ではない。山吹は顔を背けながら、桃枝に反論を始めた。 「さっ、サラッと口説かないでください。今朝のナンパ男みたいじゃないですか、もう……」 「馬鹿言うな。俺はお前の色々な部分を知ったうえで言ってんだぞ。あんな見た目だけで人を判断するような奴と一緒にするんじゃねぇよ。第一、お前の見てくれの良さだって俺の方が理解してる。ポッと出のあの男と同列視するんじゃねぇよ」 「どこに対抗してるんですか、まったく」  ぐしぐしと、山吹は自らの頬を手の甲でこする。  恋人と列に並ぶのは、なにも悪いことではないようだ。そう、実感しながら。

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