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車内で落ち着きつつ、桃枝は助手席に座った山吹を見た。
「さて、と。映画っつぅメインイベントが終わったわけだが、お前は他にどこか行きたいところはあるか?」
「パッとは思いつかない、ですね。少し待っていただければ、どこか思いつきそうですが」
「だよな」
悩み始めた山吹を見つめつつ、桃枝はどこか気まずそうに表情を硬化させる。
「あー、っと。……考えるついでに、教えてくれ。今に限った話じゃなくて、お前が行きたいところを。遠出でもいいし、今日みたいな近場でもいいから」
「ボクの、行きたいところ……」
「あぁ。どんな内容でもいいから、聴かせてくれ」
今日は行けずとも、今後行ってみたい場所。山吹は思考を巡らせ、自分が『行ってみたい』と思う場所を想像した。
考え始めて、数秒後。山吹がポツリと、独り言のように言葉を零す。
「ボク、動物園に行ってみたいです」
零れた言葉を、まるで追うかのように。山吹はポツポツと、呟いた。
「小学生の頃、授業で動物園に行く機会があったのですが……その日、母さんが体調を崩して行けなくて」
「そうか」
「遊園地も、行ってみたいです。修学旅行で行くはずだったんですけど、その時にはもう母さんが死んじゃっていたから、数日家を空けると父さんが困るから行けなかったんです」
「あぁ」
「それと、他にも……。他にも、たくさん、たくさん……っ」
「……山吹?」
徐々に、声が震えていく。山吹の異変に気付いた桃枝は、ゆっくりと俯いていった山吹の顔を覗き込み──。
「ひっ、う……っ」
目元を擦り始めた山吹を見て、驚いた。
「──今日が、終わっちゃうの……やだぁ……っ」
だが、驚いているのは桃枝だけではない。突如として泣き出した自分自身に、山吹だって驚いているのだ。
こんなにも、今日が楽しみだったのに。それなのにどうして、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうのか。目元を乱暴に擦りながら、山吹は子供のように『時間が止まればいいのに』と願い始める。
すぐに桃枝は身を乗り出し、車に置いていたティッシュケースに手を伸ばした。
「映画館では擦らなかっただろうが。ほら、ティッシュ」
「すみ、ません……っ。……ぅ、ふ……っ」
「やめろ、力任せに擦るな。傷付くだろ」
ティッシュを持つ桃枝の手が、山吹の目元を優しく拭う。それがまた嬉しくて、胸が締め付けられて……さらに、山吹は涙を溢れさせた。
一向に泣き止まない山吹を見つめて、桃枝は困ったように眉を寄せる。
「また出掛けたらいいだろうが。それに『次はもっとちゃんとエスコートする』って約束しただろ? だから【次】はある」
「でも、楽しかったから……っ。このまま、サヨナラしたくないです。離れるの、イヤなんです……っ」
「くっ。嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか」
桃枝と離れることが、こんなにも苦しいなんて。泣きじゃくる山吹に対してほんの少し不謹慎だと思いつつも、桃枝は静かに喜んでしまう。
だが、こうして悶えている場合ではないと気付いたようだ。桃枝は、山吹の頭を撫で始めたのだから。
そしてそのまま、桃枝は口にする。
「そう、だな。それなら……今から俺の部屋に、来るか?」
予想外の、行き先。唐突に決まった次の目的地に、山吹は涙を流しながら目を丸くしてしまった。
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