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桃枝の、部屋。自分では思い浮かばなかった行き先を提案され、山吹は驚いた。
「えっ?」
「やめろ、そんな目で見つめるな。どうにかなるだろ」
山吹の頭を撫でたまま、桃枝は続けて提案する。
「お前さえ良ければ、泊まっていけばいい。せっかくだし、どこかで着替えを買わないか? 俺の部屋に置いておけば、これから好きなときに泊まれるだろ」
「好きな、ときに……?」
まるで桃枝らしからぬ提案に、山吹は驚きっぱなしだ。
気付けば、悲しみ所以の涙が止まっている。山吹は一度だけ、すんと鼻をすする。
「また、泊まりに行っていいんですか? 今日だけじゃなくて次のデートも、その次のデートも……デートだけじゃなくて、金曜日の仕事終わりとか。ボクが泊まっても、いいんですか?」
「あぁ、いいぞ。面白いものはなんもねぇけどな」
「課長がいます。だから、どんな場所よりもステキです」
数時間前に、桃枝から告げられた返答。列に並んでいても、山吹の声が聞こえるのなら暇ではない。あの言葉がまさか、こんなにも早く自分の意見として踏襲されるとは。
山吹はティッシュで鼻をかんだ後、パッと顔を上げた。
「それじゃあ、課長の着替えも買いませんか? ボクの部屋に置いておきますから、課長も泊まりに来てください」
「なるほどな。いいことを言うじゃねぇか」
山吹が、笑っている。安堵したのか、桃枝は山吹の頭から手を放した。
「なら、一先ず服が買えるところにでも向かうか。動くから、シートベルトを締めろよ」
「はい。運転、お願いします」
「あぁ、任せろ」
すぐにシートベルトを締め、運転を始めた桃枝の横顔を眺める。
人と話すことが得意ではない桃枝が、こんなにも向き合ってくれているのなら。山吹は桃枝を見つめたまま、口を開く。
「課長、ボク……っ」
今なら、言えそうだ。ジッと桃枝の横顔を見つめながら、山吹は必死に言葉を紡ごうとした。
だが、駐車場を出てすぐ。赤信号によって車を停車させた桃枝が、助手席に座る山吹へと視線を送ってしまった。
「なんだ?」
しかも、笑顔で。どこか柔らかくも男らしいその顔を見て、山吹は反射的に『カッコいい』と考えてしまった。
ゆえに、ポンッと赤面してしまう。すぐに俯き、山吹は必死に言葉を続けようとして……。
「……すっ、好き……な。好きな服を、課長に選んでもらいたい、です」
「なかなかそれは、責任重大だな」
またしても、失敗してしまった。自分はこんなにも駄目な男だったかと、堪らず自己嫌悪してしまう。
そんな中、今度は桃枝が口を開いた。
「ところで……勢いで誘っちまったんだが、本当に良かったのか? 明日は水曜日で、普通に仕事だぞ?」
「そう言われてみると、そうですね。うぅん……課長が会社に着くのって、いつも何時くらいですか?」
「七時半前後だな」
桃枝が、平然としてくれている。調子を取り戻した山吹は、努めて普段通りに会話をした。
「ボクが起きる時間くらいですね。それなら、課長が出勤する時にボクをアパート近くのコンビニに降ろしてください。そこからアパートに戻って出勤準備をすれば、普段通りの時間に出勤できます」
「お前が、それでいいなら」
「はい。お願いします」
「あぁ、分かった。なら、明日の朝はそういう流れで動くぞ」
明日の朝まで、桃枝と居られる。なんのけなしに始まった会話から、山吹は喜びを見つけたのだった。
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