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夕食として山吹が振る舞ったのは、シチューだ。時間をかけず、手間も少ない。そしてなによりも、失敗のリスクが低い。山吹なりの最適解だった。
「どうですか? 市販のルーを使ったので、味はそこまで悪くないと思うのですが……」
しかし、不安なものは不安だ。山吹は恐る恐る、桃枝を見つめる。
評論家のような面持ちでシチューを口にし、桃枝が咀嚼した。これから審査を受けるかのような緊張感が、山吹を包む。
桃枝はモグモグと口を動かしつつ、皿に盛られたシチューを眺めている。これでは本格的に審査ではないか。山吹の緊張が、徐々に募っていく。
ようやく、桃枝の喉が動いた。そして、開かれた口からは──。
「──個人的にはハート型のニンジンを入れてほしかった」
「──課長って、稀に凄いおバカさんになりますよね」
どことなくムスッとした顔のまま、桃枝は山吹を見た。
「悪い、欲張りが先行した。ウマいぞ、凄く。毎日でも食いたい」
「またそうやって調子のいいことばっかり。ハート型のニンジンが入っていなくて拗ねたくせに」
「まぁまぁ」
「どの口がボクを宥めているんですか」
味に問題がないのならそれでいいが、満点とはいかなかったらしい。山吹は若干拗ねつつ、食事を始めた。
桃枝は普段通りの難しい顔をしたまま、スプーンで人参を掬う。
「今のお前なら、入れてくれる気がしただけだ。俺がそういうベッタベタにベタなやつが好きだって、お前は知ってるからな」
そう言い、桃枝は人参を口に入れる。咀嚼をしながら「本当にウマいぞ」と、フォローじみた声を漏らしながら。
かく言う、山吹はと言うと……。
「っ。……変なところで末っ子ムーブをかまさないでくださいよ」
「なんだそれは」
今の自分が、桃枝の目にどう映っているのか。垣間見えたような気がして、居た堪れない。
桃枝の目に、今の山吹は相当な甘やかし男に見えているのだろう。桃枝のために、なにかをする。そのくらい桃枝に傾倒している、と。きっとそう見えてしまうくらい、今の山吹は桃枝に対する態度が甘いのだ。
それは構わないのだが、かと言ってそこまで見え見えなのかと思うと、気まずさがある。
「いいですよ、分かりました。次は課長の欲張り精神を満足させるような、すっごい料理を振る舞います」
「ほう」
「ベッタベタにベタなもの、ですよね? いいです、作りますよ。それで、ボクが訊ねるより先に課長から『最高の料理だ』と言わせてみせますから、覚悟していてくださいね?」
「それは楽しみだな」
デートの約束だけではなく、互いの部屋へ宿泊する約束だけではなく、次に振る舞う手料理の約束まで。今日だけで、山吹はどれほどの尊い約束を桃枝と交わすのだろうか。
きっと桃枝は、山吹が感じている尊さを知らないのだろう。だから平然とした態度で約束を交わし、それをさも当然と言いたげに堂々としているのだ。
一緒に居て、当然。共に未来を見るのが当然だと、桃枝は思っている。温かくて大きな愛情に、山吹は堪らず胸を締め付けられた。
もっと早く、桃枝からの気持ちを受け取っていれば。素直になっていれば、この温かさをもっと早く知ることができたのに。
「で? なにをどう用意してくれるんだ?」
「構想はありますが、まだナイショです。先に種明かしをしちゃったらつまらないじゃないですか」
「俺としては、お前から『嬉しいサプライズを仕掛けられる』と知った現段階で、かなりワクワクしているんだがな」
「ならもう少し、それらしい顔をしてくださいよ」
だが、いい。今からでも、気付けた。だからいいのだ、と。山吹はシチューを食べながら、知ったばかりの温かさを噛み締めた。
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