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 健全な誘いのはずが、相手が山吹だと必要以上に意識してしまう。桃枝はギギッとぎこちない動きで、山吹に視線を向けた。 「はっ? 山吹、お前はなにを言って……?」 「──失礼しまーすっ」 「──ッ!」  ポイッと、桃枝の右手から手袋が剥がされる。露出させられた素手は、手袋を奪った張本人の手に握られた。 「ボク、こう見えて体温は高めなんです。手も……ほら、ね? あったかいでしょう?」 「な、に……して、っ」 「うわっ。課長、ホントに冷え性なんですね。氷を触った後みたいに冷たいです」  指が、丁寧に撫でられる。根本から先端まで、血液の循環が良くなるようにと願いでも込められているのか、と。そんな錯覚を起こしてしまうほど優しくて、丹精込められたマッサージだ。 「ボクの体に触るとき、いつも指が冷えていましたよね。てっきり、緊張からだと思っていました」 「山吹、やめろ……っ」 「こうやって、緩急をつけてマッサージをして、と。……どうですか? 指先、少しはあったかくなりそうです?」 「山吹……ッ」  小さく怒鳴られた山吹は、桃枝の手から視線を外し、桃枝自身を見る。すると桃枝の顔は、笑ってしまうほど真っ赤になっていた。  すぐさま、山吹はニヤリと口角を上げる。 「あっれれ~? 課長、最近はボクの方が動揺しているからご自分は冷静だ、みたいなことを言っていませんでしたっけ~?」 「クソ……ッ。その生き生きとした感じは、久し振りだな……ッ」 「真っ赤になるほど照れちゃうのに、ボクの手は振り払わないんですね? 課長のむっつりさんっ」 「違う。俺が手を振り払ったらお前、悲しむだろ。それで、二度と俺の手を握らなくなる。だから、あれだ。【旅の恥は掻き捨て】だ」 「いやそれ、意味違いません?」 「うるせぇこちとら動揺してんだぞ見て分かるだろマセガキが」  山吹、ご満悦。ニッコリと笑う山吹を直視できず、桃枝はフイッと顔を背けた。 「とにかく、俺が手袋をはめている理由は分かっただろ。揶揄って満足したなら、そろそろ手袋を返してくれ。落ち着かねぇから」 「はいっ! 課長がカワイイ人だということがとってもよく分かりましたっ!」 「クソッ、そんな可愛く笑うんじゃねぇ……ッ」  ここが職場じゃなかったなら今頃、桃枝は溢れて止まらない『愛している』という言葉を押し付けながら、山吹にキスをしていただろう。そんな煩悩に気付いていない山吹は、ただただ満足そうに笑っていた。  楽しそうな山吹を見て堪らず『呑気だな』と言いそうになったが、その前に。 「あっ、そうだ。課長、今日の仕事終わりに少しだけお時間いただけますか?」 「別にいいが、なにかあったか?」 「えっ? あっ、いえ。『なにか』と気に留められるほどの立派な理由はないのですが……」  桃枝に手袋を返す山吹と、目が合わない。桃枝は怪訝そうに山吹を見つめ、答えを待ち……。 「──ただ『課長と一緒にいたいな』と。そう、思ったからです……っ」  ポポッと赤面した山吹に、面食らってしまった。  手を握り、桃枝を動揺させて優位に立とうとしていたはず。  それなのに山吹は、恋人としてのおねだりを一言口にしただけで赤面している。これでは、どちらがウブで奥手なのか分かったものではない。  照れてしまっている自分が恥ずかしいのか、山吹は強引に昼食を再開しようとした。箸を手に持ち、手作り弁当に舌鼓を打とうとして……。 「課長? 目頭なんて押さえて、どうしましたか?」  桃枝の奇行に、山吹はようやく気付いた。

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