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 昼休憩の時間になる数分前に、桃枝は事務所へ戻ってきた。  当然ながら一緒に戻ってきた青梅だったが、新入社員でありながら早速【洗礼】を受けたこともあり、社内の食堂に他の職員と共に向かう流れになったらしい。山吹としてはありがたい展開だ。  昼休憩時間を迎えて青梅がいなくなり、必然的に職員も事務所からいなくなった。山吹は早速、戻ってきたばかりの桃枝が居るデスクへと向かう。 「課長、朝はすみませんでした。私語が、多くて……」  いくら恋人同士だからと言って、職場では上司と部下。この関係性が薄れるはずはなく、蔑ろにしていいとも思わない。  ペコリと頭を下げる山吹を見て、桃枝は口を開いた。 「反省しているならそれでいい。お前は青梅の先輩に当たるんだから、模範になれるよう気を引き締めろ」 「はい、すみません……」  桃枝も同じ考えなのか、決して山吹を甘やかすような言葉は口にしない。そういうところがやはり素敵だと思えるのだから、山吹は桃枝の存在が誇らしく思えた。  ……だが、今は休憩時間だ。 「……あー、いや。悪い、言い過ぎたか?」  シュンと落ち込む山吹を見て、思うことはあるらしい。どことなく不安そうな目を、桃枝が向けてきた。  ここで気を遣わせてしまってはいけない。慌てて、山吹は両手をブンブンと振り始める。 「いえ、大丈夫です! 課長の指摘は、なにも間違ってなんかいませんから」 「そうか。……いくらお前が俺の恋人だとしても、俺が許せねぇことを例外として許すなんて贔屓はしたくねぇんだ」  これは『非を是としてしまっては、山吹のためにならない』という意味だ。桃枝の厳しい優しさに、山吹は思わず惚れ直してしまう。 「分かっています。そういう真面目な課長が、ボクは好きですから」 「うッ。……クソッ、贔屓したくなるだろうが……ッ」 「それでも、課長は贔屓なんてズルいことをしませんよ。ボクが好きなのは、そういう方ですから」 「やめろ、むず痒い。それと、妙な気分になる」  書類に触れていた桃枝の手が上がりかけて、下がる。山吹の頭を撫でたくなったのだろう。朝から説教をしたとしても、山吹への甘やかしたがりは健在らしい。  優しい桃枝のことが、やはり好きだ。素直に、そう思える。  ……だが、今は桃枝への気持ちを再確認している場合ではない。  確かに、山吹は桃枝にきちんと反省の意を示したかった。そのために、こうして二人きりになれるタイミングを待っていたのだから。  しかし、それだけが理由ではない。桃枝のデスクに寄り声を掛けたのは、確認したいことがあったからだ。 「課長、あの……。挨拶周りをしている時に、アイツ──青梅と、どんな話をしましたか?」  青梅が、桃枝になにかを吹き込んだ可能性。この危惧が事実として起こり得てしまったのかを、山吹はどうしても知りたかったのだ。 「青梅と? 別に、なにも特別な話はしていないが」  無論、桃枝は山吹が抱えている危惧なんて知らない。不思議そうにしながら、それでも『山吹が気にしているのなら』と、答えを続けた。 「今から向かうのはどういう仕事をしている課か、とか。今から向かう方向とは違う方向に曲がったらなにがあるのか、とか。そういう、今後の業務に必要な会話が主だ」 「そうでしたか。……そっか、良かった」  どうやら、山吹の不安は杞憂だったらしい。ホッと、山吹は安堵を──。 「──あと、お前と同じ高校の同級生だった……とか。それだけだな」 「──ッ!」  できる、はずだった。

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