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 山吹が遣う、強い言葉。こんなにも露骨に激昂している山吹を、桃枝は初めて見たかもしれない。  しかし山吹は、足を止めた桃枝を振り返って目を丸くしていた。 「課長? どうかしましたか?」  桃枝に、今の呟きは聞こえていない。山吹はどうやら、そう思っているらしい。  わざわざ『今のはなんだ?』と指摘するのは、おそらく無粋だ。そう判断をした桃枝は、山吹から視線を外した。 「いや、なんでもない。……気を付けて帰れよ」 「モチロンです。お先に失礼しますね。お疲れ様ですっ」 「あぁ、お疲れ」  返事をした後、桃枝は今度こそ自分のデスクに戻る。次に目を向けた時、山吹は既に帰り支度を済ませていた様子だった。  だから桃枝は、すぐにスマホでメッセージを送る。……『今晩、山吹の部屋に行ってもいいか』と。  * * * 「──課長っ! いらっしゃいませっ!」  残業を終えた桃枝を、玄関扉を開けた山吹が笑顔で出迎える。  嬉しそうに笑っている山吹に『萌え』と言う概念を抱きつつ、桃枝は山吹が暮らすアパートの一室にお邪魔した。 「嬉しいです。こうして、二人きりで過ごせるなんて。職場ではいつも同じ事務所に居ますけど、人目があるとあまり恋人らしい振る舞いができないので……」 「そ、そうか。お前、俺と恋人らしいことがしたいのか?」 「えっ? あ、えっと……は、はい。まだ不慣れですけど、課長──白菊さんともっと、イチャイチャしたい、です」 「くッ!」  今日も、恋人が可愛くて仕方がない。桃枝は堪らず、部屋に通されるとすぐに山吹の体を強く抱き締めた。  抱き寄せられた山吹はすぐに顔を赤らめ、ソワソワと落ち着かない様子で意味もなく辺りを見回す。 「あうっ、えっと、あのっ。……だ、抱き締め返しても、いいですか?」 「むしろ頼む」 「たっ、頼まれました……っ」  恐る恐る、桃枝の背に山吹が腕を回した。 「どうしましょう、課長。ムラムラしてきちゃいました」 「悪いが、今日はそのつもりで来たんじゃねぇ。……が、可愛いからキスだけはさせてくれ」 「モチロンですよっ! どこにでもキスしてくださいっ!」 「口だ、マセガキ」  斜め上の方向に進み始めた山吹のテンションをなんとか軌道修正しつつ、桃枝は山吹の唇にキスをする。  山吹はどこか物足りなさそうだが、これ以上はしない。いくら山吹からシャンプーの香りがしようと、桃枝はケダモノのように恋人を見境なく犯すような男ではないのだ。 「今日は、少しお前と話がしたくて来た。時間は大丈夫か?」 「大丈夫ですよ。それに、課長以上に優先すべき用事なんてありません。ボクの一番は、その……大好きな白菊さん、ですから」 「お前はなんですぐに俺の理性を焼き切ろうとするんだ……!」 「そっ、そんなつもりじゃ……。ハレンチで、すみません」  やはり、恋人は小悪魔属性強めかもしれない。山吹の華奢な体をしっかりと抱き締めたまま、桃枝はそんなことを再認識した。  だが、山吹は初めての恋愛にポヤポヤしているただのマヌケではない。 「──それと、ごめんなさい。青梅のことで、心配させてしまったんですよね。ボクがなにも、課長にお伝えしないから……」  どうして桃枝が、当日の晩にいきなり『部屋に行きたい』と言ってきたのか。その理由に、山吹は検討を付けていたのだから。

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