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 すぐに、山吹は桃枝の服を掴んだ。 「ご、ごめんなさいっ! 怒鳴って、ごめんなさいっ! ち、違います。今のは、父さんの教育とかじゃなくてっ、そうじゃなくて、あのっ」  みるみるうちに、顔色が悪くなっていく。そんな自覚があるくらい、山吹は肝が冷えていた。  桃枝が教えてくれた【愛し方】を、山吹は信じている。自分の両親が歪んでいたと、山吹は理解しているのだ。  それなのに、これでは桃枝を裏切ってしまう。山吹はもう二度と、桃枝に愛情を疑われたくなんかないのに。 「ごめんなさいっ! ごめんなさい、ごめんなさい……っ」  カタカタと、体が震える。悪いのは全面的に自分だと分かっているくせに震える体すら恨めしくて、山吹は俯いてしまった。  惨めな自分を、浅ましい自分をこれ以上、見られたくない。このままでは、桃枝から見捨てられてしまう。山吹の思考は、猛スピードで悪い方向にばかり舵を切り始めた。  だが、桃枝の返事はと言うと。 「悪かった。無理に、聴き出そうとして。……身勝手だとは分かっているが、頼む。今の会話は、忘れてくれ」  山吹を責めず、優しい抱擁を返してくれた。 「あっ、課長……っ」 「この話は終わりだ。気にしないでくれ」  桃枝の大きな手が、山吹の頭を撫でる。青梅に肩を叩かれたのとは比べ物にならないほど落ち着いて、心安らぐ感覚だった。 「ごめんな、山吹。怯えさせて、悪かった」  違う。謝罪の言葉は、山吹が伝えるべきだ。そう感じた山吹は、慌てて顔を上げた。 「ボクの方こそ、ごめんなさい。ホントに、ごめんなさい……」  しかし、顔を上げると情けない表情を晒すようで。どうしていいのか分からず、山吹はまたしても俯いてしまう。 「不義理なボクですが、それでも課長のことが好きです。大好きです。……今は、これしか言えなくてごめんなさい。保身ばかりのダメな男で、ごめんなさい……」 「俺も、お前が好きなままだ。だから、自分を責めるな。お前が話してくれるまで、俺は待つから」 「……っ。はい、ごめんなさい……っ」  頷くと、桃枝が再度、山吹の体を抱き寄せた。 「もしもなにか、困り事や悩み事があったら言ってくれ。俺は、お前の恋人なんだから」  広い胸に顔を埋めると、安心する。力強い腕や手に抱き締められると、怖いものなんて世界中のどこにも無いのではないかという錯覚すら浮かぶ。  山吹がどんな男だったかを、桃枝は知っている。男女問わず誰とでも体の関係を持ち、自分に酷くしてくれる相手を探して求め続けていた過去を、知られているのだ。  それでも、わざわざ掘り起こしたい話題ではない。中でも、青梅は山吹が関係を持った相手の中でも少し特殊だから。 「俺を信じてくれるか、山吹」 「モチロン、です。ボクは、課長が向けてくれている気持ちを信じるって決めました。だから、信じています」 「そうか。ありがとな」  過ぎたことを話しても、桃枝は山吹を嫌わないでいてくれる。ここで疑うのは、桃枝の愛情に対して失礼だ。  だが、山吹が過去の話をすれば桃枝がどんな顔をするかだって分かっている。だから山吹は、青梅に関する話を伝える勇気が奮い立たせられなかった。

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