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山吹が雑貨屋でため息を吐く、少し前。
打ち合わせを終えた桃枝は事務所に戻り、パソコンを睨んでいた。
「……クソッ」
悪態を吐いているのは、なにも打ち合わせが難航したからではない。ついでに言えば、誰もいない事務所に一人で残っている現状が理由でもなかった。
数日前。山吹が電車に乗って桃枝へ会いに来てくれた、あの日からだ。山吹の様子がおかしくなり、その原因を究明できていないのは。
駅で、いったいなにがあったのか。山吹の言葉を信じるのなら、たまたま出会った黒法師は無関係のはず。おそらく、この仮定は間違いではない。
──だからこそ、ひとつの謎が生まれるのだ。
『──山吹君から目を離したらあかんで。白菊が目を離せば離した分だけ、きっとあの子は傷付く。……分からんくてもええから、一先ず胸に留めとき』
不可抗力とは言え、三人で食事をした後。会計の前に、黒法師からされた耳打ち。
あれはいったい、どういう意味だったのだろう。黒法師は性格に難のある変人ではあるが、しかし、こんな冗談を言う男ではないのだ。
山吹と黒法師の間には、なにもなかった。だが黒法師の発言と山吹の態度を見るに、二人が駅で出会った際に【なにか】が起こったはず。
考えても、分からない。こうしてあれこれ推測するなんて体験は皆無に等しく、尚且つ桃枝は探偵でもなければ勘が鋭いわけでもなかった。考えたところで、分かるはずもない。
だが、山吹があの日のことをなにも話してこないということは。おそらく──確実に、山吹は駅で起こった【なにか】を桃枝に知られたくないのだ。
しかし、桃枝は知りたいと思っている。当り前だ。山吹のことなのだから。
桃枝の性格上、ならばサッサと問い質してしまえば良いと思うのだが……。
『ご、ごめんなさいっ! 怒鳴って、ごめんなさいっ! ち、違います。今のは、父さんの教育とかじゃなくてっ、そうじゃなくて、あのっ』
別件を問い質した結果、桃枝は山吹を傷つけてしまった。思い出してすぐに、桃枝は自身の額に手を当てた。
そこで不意に、スマホが振動する。誰かからのメッセージを受信したらしい。……とは言っても、桃枝にメッセージを送ってくる相手は一人しかいないが。
すぐに桃枝はスマホを取り出し、メッセージを確認する。やはり、山吹からのメッセージだった。
今晩、会えないか。山吹からの誘いを眺めて、桃枝は眉間の皺を深くする。
『学生の頃、同じクラスにいたんです。的確に、ボクの心に刺さる言葉を選ぶ男が』
『アイツじゃなくて、ホントに悪いのはボクなんです。アイツは、ボクが欲しがるものを一番与えようとしてくれた奴でしたから』
ほぼ、確定だ。間違いなく、山吹が以前話していた【クラスメイトの男】は【青梅】だろう。
駅での出来事は一先ず保留にしたとして、今現在桃枝が解決したい最大の問題は【山吹と青梅の関係】だ。
今の山吹は、桃枝のことを好きでいてくれている。桃枝だけを特別に想ってくれているだろう。
ならば、過去なんて知らなくてもいい。山吹が触れてほしくなさそうにしているのなら、余計に。誰よりも山吹を大切にしたいと思う桃枝の理性は、答えを出していた。
だが、どうしても考えてしまう。
『だけど、ボクと青梅はもうなんでもないんです。ただの、元クラスメイトです。それ以外、ホントになにもないんです』
山吹の部屋で、山吹が『青梅とのことで心配をさせてしまっている』と謝罪をした日の光景を、思い返す。
思い出すたびに桃枝は、表情を険しくしてしまうのだ。
「──山吹と青梅は【もう】なんでもない、か」
呟いてすぐに、桃枝はハッとする。
「クソッ、馬鹿野郎が。詮索なんてするなよ、俺。山吹のことが好きなら、傷つけるような真似なんかするんじゃねぇよ……ッ」
再度、額に手を当てて。桃枝は責めるように、己に言い聞かせた。
その呟きが、桃枝一人しかいない事務所に溶けてから。桃枝は山吹のメッセージに、返信を送る。
「──あれっ、桃枝課長だ。こんばんはっ」
事務所に戻ってきた職員の挨拶に驚いてしまう、直前に。
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