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10.5章【壊れた時計も、1日に2回は正しい】 1

 ──山吹が欲しがったものを、青梅はなんでもあげた。  そうしないと山吹が他の誰かを頼りそうで、そうなると山吹が他の誰かに壊されそうで。青梅は山吹を守るために、山吹を幾度となく傷つけ続けた。  だけど、たった一度だけ。青梅は山吹の希望とは違い、優しく接してみようと思った。  本当の山吹は、心のどこかで優しくされることを望んでいるのでは。その欲求が、クソオヤジのせいで抑圧するしかない状況なのだとしたら。青梅は山吹に、そんな思いを抱いたのだ。  すると、どうだろう。山吹は顔色を真っ青にし、叫んだのだ。  セックスをするために誰も使わないご都合的空き教室に来たと言うのに、第三者がこぞって集まってしまうのではと。そんな不安を抱いてしまうほど、山吹は猛烈に嫌がったのだ。  そして、落ち着きを取り戻した後。山吹が口にしたのは、青梅の推測や想定、希望とは全く違う言葉。 『──オマエがボクに優しくするなら、もうオマエと関わりたくない。もう、ボクに関わらないでよ……ッ! ボクなんかに優しくしないでよッ! そんなのッ、オマエの自己満足だろッ!』  本気で、優しくされるのが嫌いなのだと。あの時にそう思わず、めげずに優しく接し続けていたのなら。今とは違う結末が待っていたのではないかと、青梅は考えてしまう。  青梅は、保身に走った。山吹に拒絶される可能性をチラつかせられた瞬間、青梅は山吹にとって都合のいい男でいることを選んだのだ。  山吹を傷つけるのは、本意ではない。だが、山吹と離れるのは断固として拒否する。青梅は自分と山吹を天秤に掛け、自分を選んだ。  その選択が、秤に乗った山吹を遠い遠い場所へと連れて行ってしまい、手を伸ばしても選べなくなってしまうとしても。青梅は、自分を選んでしまった。  ……それが、あの男との違い。桃枝との、違いなのだろう。 「──胸糞悪すぎーっ」  こじゃれたバーで一人、カウンター席に座りながら青梅は呟いた。  グッと飲み干したカクテルは、嫌になるほど甘い。苦いものが嫌いな山吹でもこれなら飲めるだろうと、思わず考えてしまうほどに。 「アイツを飲みに誘える未来なんか思い描けもしないのに、なんでオレは好きでもない甘ったるい酒ばっかり覚えようとしてるんだろうねー」  空になったグラスをつつきながら、青梅は呟く。他の客と会話をするバーテンダーからの返事なんて、期待もせずに。 「──簡単な話やろ。誘えばええやん、その子のこと」 「──はいっ?」  しかし、返事があった。それはバーテンダーでもなく、隣に座った一夜限りの過ちを犯しそうな見知らぬ他人でもない。  青梅は顔を上げて、声がした方を振り返る。  見知らぬ他人では、ない。なぜなら、青梅の隣に座ったのは……。 「──アンタは! オレから山吹を奪った長髪ヘンタイ関西人!」 「久し振りやね、クラスメイト君。憶えとってくれたん? 嬉しいわぁ」  一度だけ顔を合わせたことがある男──黒法師なのだから。 「隣、座ってええ? ええよね? はい、座った~」 「なんでオレの隣に座るんだよ。どっか行ってよ、ジャマ」 「えぇ~っ、なんでなん? 仲良うしてやぁ~っ」  キッと、青梅は黒法師を睨む。  青梅が黒法師を睨むのは、なにも山吹を奪われたからだけではない。それよりももっと強い理由が、青梅にはあった。 「──アンタは、山吹の困った顔を見て悦んだ。オレは、傷付いたアイツを見て笑うような奴がすべからく嫌いなんだよ」  明確で、露骨で、分かり易い憎悪と敵意。向けられた嫌悪の表情に、黒法師はと言うと……。 「なるほどなぁ。それなら、僕とは仲良うしてくれへんはずやね」  当然ながら、ニコニコと心底ハッピースマイルを浮かべた。

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