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 桃枝との交際は順調で、山吹は毎日満たされた気持ちだ。  好きな人がいて、好きな人が自分を同じく好いてくれていて、優しくしても嫌な顔をされず、優しくされて嫌な顔をしなくていい。これ以上の幸福を、きっと山吹は今後知ることはないだろう。それだけ、山吹は満たされていた。  だが、現状に甘んじるような堕落した男にはなりたくない。桃枝からの愛を『当たり前』と思える日がきてはならないし、くるわけがないのだ。  信じていない、とは、少し違う。問題は桃枝ではなく、山吹自身なのだから。  となれば、山吹が変わる他に有効な手段はないだろう。ゆえに山吹は、外見も内面も全て、いつだって最高の自分を見せられるようにと努力を始めた。  肌の手入れは、いつもより念入りに。夏は桃枝が素手で触れてくる機会が増えるのだから、余計に油断ができない。……しかし桃枝はいつだって嬉しそうに触れてくるのだから、努力に対する結果は見えにくかった。  だが、問題は外見ではなく内面だ。自らの容姿に類まれない自信はあれど、内面には自信がない。山吹は、そういう男だ。  かと言って、性格は簡単に変えられない。だから山吹は、自分の内側にある欲求をもっと素直に告げられる男になりたかった。  ……さて。どうして、こんなにも長々と山吹の自己改革について話したかと言うと、実は山吹にとってそれはそれは大きな理由があるのだ。 「──ねぇ」  なぜなら山吹は絶賛、青梅に声を掛けているのだから。  昼休憩時間になると同時に、山吹は青梅を探した。なんの因果か青梅の正式な配属先が融資課となり、近寄り難いという気持ちはあるが、それでも山吹は青梅を探したのだ。  タイミング良く、青梅が融資課の事務所から出てきた瞬間。山吹は、青梅に声を掛けた。 「は? なに、え、オレ?」  当然、青梅は驚いている。あの山吹が、自ら青梅に声を掛けたのだ。驚愕せずしてなにをしろと言う?  山吹は散々、内心で言い訳じみた建前を並べた。それは全て、こうして青梅に声を掛けるためだ。  桃枝に好かれ続けるためには、自己改革が必要。それはつまり、桃枝に『山吹と過ごす時間が楽しく、そして幸福だ』と思ってもらう以外にない。  ゆえに山吹は、青梅に声を掛けた。 「──オススメの映画、教えてよ」  次の休みに、桃枝の部屋を訪れた時のために。山吹は真剣に、桃枝を楽しませるためのプランを考えている最中なのだ。 「別にそれくらいいいけど、なんでオレ?」  またしても、当然の反応。山吹はムッとした顔のまま、青梅を見上げる。 「オマエ、映画とか好きじゃん。学生の頃には休み時間中とか休みの日とか映画観てたんでしょ。……って、学生の頃のセフレが言ってたのを思い出したから」 「……あっそ」  自分で記憶してくれていたわけではないのか、と。思わず青梅は、顔に描いてしまったのだが。……言うまでもなく、山吹は青梅からの好意に全く気付いていないので、顔に描かれた心情を読み取れなかった。 「って言うか、オレから教えてもらっていいの? アンタじゃなくて、アンタが映画を一緒に観ようとしている相手の気持ち的にさ」 「いいと思うよ、別に。だって、オマエはボクにとって……」  山吹は一度、言葉を区切る。そうして生まれた間に、青梅がほんの一瞬だけ息を呑んだ。  だが──。 「──元カレでも友達でもなんでもない、赤の他人だし」 「──アンタって結構、根に持つんだな」  あくまでも山吹にとって、この行為はネットで【オススメの映画】と検索するような感覚なのだ。二人は互いに、なんとも心情の読み取りにくい顔をしてしまった。

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