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11.5章【ひよこは秋に数えるもの】 1

 まだまだ夏、真っ盛り。  夏と言う熱々な季節の中、恋人と同棲を始めたばかりで浮かれまくりの山吹も絶賛、熱々な気持ちを抱いていた。 「えへへっ、へへぇ~っ」  休みの日に、わざわざ待ち合わせ場所を指定しなくても会えるなんて。しかも、待ち時間ゼロで。山吹はソファに座る桃枝の肩にもたれかかりながら、なんともだらしない声で甘えていた。  ……ちなみに、桃枝はと言うと。 「……」  夏の暑さとは全く関係なく、隣に座る陽だまりのような色の頭をした男に対して、静かに悶えていた。  内心で桃枝は『俺の山吹があまりに可愛すぎるッ!』や『これが夢だったら俺は現実が耐えられない。夢か? いや、夢じゃない。山吹から伝わる体温がその証拠だ』などと騒いでいるのだが、さすがと言うべきか。険しい顔をしているせいで、その心情は全く悟られなかった。 「今日もいい天気ですね、課長。でもエアコンがあるから、ちっとも暑くないですね。ボクが前に住んでいたアパートとはまるで別世界のようです」 「そうか。それは、なによりだ」 「でも、天気も季節も関係ないですね。隣に課長が居てくれるなら、ボクはいつも心がポカポカですから。……なんて、ボクはなにを言っているのでしょうか。えへへっ」 「そうか。……くッ」  はにかむ山吹の愛らしさをまともに食らい、桃枝は片手で自らの顔を覆って悶え始める。なにかブツブツと呻いているが、山吹にはよく聞こえなかった。  なんにしても、同棲は最高だ。好きな人と四六時中、季節も関係なく一緒に居られるのだから。山吹の頭は『幸福』と『ハッピー』でいっぱいだ。  などと浮かれること、数分。山吹はふと、顔を上げた。 「ボク、ちょっと喉が乾いちゃいました。課長もお茶、飲みますか? ついでなので一緒にご用意しますよ?」 「いいのか? なら、俺の分も頼む」 「へへっ。頼まれまぁ~すっ」  こんな些細なやり取りも、どことなく同棲していると強く感じられる気がして、頬が緩む。  今日は、涼しくなる夕方頃に二人で出掛ける予定だ。それまではお互いに予定はない。ならば日が落ちるまで、映画でも見ようか。桃枝との予定をルンルンと想像しながら、山吹は冷蔵庫に近付いた。 「むっぎちゃ、むっぎちゃ~」  歌を口ずさみながら、パカッと冷蔵庫を開ける。すっかり覚えた冷蔵庫の中身の配置にすら、山吹は笑みを浮かべてしまう。  迷うことなく麦茶が入った容器に手を伸ばし、愛する桃枝に早く持って行こうと取り出して──。 「──こ、これは……ッ!」  山吹は堪らず、衝撃を受けてしまった。  容器を手に、山吹は数秒の動作停止。それから冷蔵庫を閉め、山吹はクルリと踵を返した。 「悪いな、山吹。ところで、お前さえ良ければ一緒に映画でもどうだ?」  山吹の接近に気付いた桃枝は、リモコンを片手にテレビ画面を見ている。  こちらを振り返らない桃枝に、ユラリと、山吹が静かに近付く。すると桃枝は、返事がないことを不思議に思ったのだろう。ソファに座ったまま、山吹を振り返った。 「山吹? どうした?」 「課長。ボクになにか、言うことありませんか?」  想定よりも、声が低くなる。しかし桃枝は、山吹の異変に気付いていない。 「『言うこと』? お前にか? ……なにかあったか?」  さっきまで上機嫌だった様子を考えるに、まさか『好きだ』と言ってほしくなったのか。桃枝がそう考え、口を開こうとした時──。 「──麦茶。最後に飲み切った方が新しく作るって約束しましたよね?」  山吹がキッと、鋭い眼差しを桃枝に向けたではないか。  これには、さすがの桃枝も言葉を失くすしかなかった。

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