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 念のため、補足をしよう。  そもそもの話だが、同棲をする際に『寝室を同じにしたい』と言ったのは山吹だった。桃枝は初めからそのつもりだったが、なんにしても、先にその話題を口にしたのは山吹なのだ。  つまりそれが、どういうことを意味するのか。ソファから勢いよく立ち上がった桃枝は必死に、山吹が言う『お仕置き』の恐ろしさを指摘した。 「──そんなことしたらお前、夜中に一人で泣くだろッ!」 「──はい、泣きますよ? それがなにか?」  寝室を分けることで、どうして桃枝がここまで嫌がるのかと。その理由は……お分かりいただけただろうか?  山吹は両手を離したまま、あっけらかんとした態度で言葉を続けた。 「課長がいないベッドなんて、もう耐えられません。なのでボクはシロを抱っこして、さめざめシクシクと泣きます。きっと乱暴に目をこするので、翌日には目が腫れているしょうね。酷い顔をして課長と対面することでしょうね。でも、仕方ないですよね? だって、課長が一緒に居てくださらないんですから、目をこする手を止めてくれる人がいないんですもん。悲しみを埋めてくれる相手がいないんですもん。仕方ないですよね?」 「──くッ! 卑劣な奴めッ!」 「──この麦茶を前にしてなに言ってるんですか」  ペチペチと、山吹は残り少ない麦茶が入った容器を叩く。  しかし、このままだと桃枝は大いに困ってしまう。山吹が泣く未来を、僅かばかりの可能性でも生みたくはないのだ。 「俺に対する罰なら甘んじて受けるが、お前が悲しむのは断固拒否だ! 考え直せ!」 「課長の悪いクセを直せなかったボクも同罪です。だから、ボクにもバツを与えないといけません」 「──しっかり者の恋人が持てて俺は幸せ者だなクソッ!」 「──言葉自体は大変ありがたいのですが、お顔が怖いです」  すると突然、桃枝はその場に膝をついた。  と、同時に……。 「俺が全面的に悪かった! 二度とこんなことはしないようにする! だから寝室は分けないでくれ!」 「えっ、あっ、ちょっと」  それはそれは、鮮やかな土下座を決めたではないか。  まさか母親が愛する旦那にしている以外で、土下座を拝む日がくるとは。しかも、自分向けに。さすがの山吹も困惑だ。  これが、桃枝の本気。本音を言うと『ここまでするなら初めから麦茶を作ってほしかったです』と思わなくもないが、それは黙っておこう。  鮮やかな土下座を決めた恋人にたじろぎつつ、山吹は一度「こほんっ!」とわざとらしい咳払いをした。 「えっと、それでは。……はいっ。言質、いただきましたからね?」  残った麦茶をコップに注ぎ、空になった容器を桃枝に向ける。桃枝は顔を上げて、山吹と空の容器を交互に見た。  山吹はその場にしゃがみ込み、顔を上げた桃枝を見つめる。 「次同じことをしたら、ホントに寝室を分けますからね? しかも、ボクはソファで寝ますから」 「くっ! 的確に俺が嫌がることを提案しやがって……! あとこれは余談だが、さっきの咳払いが可愛かった。またいつか、やってくれ」 「──ホントに反省していますか?」 「──反省しています」  なにはともあれ、和解だ。  山吹は、桃枝との関係性が拗れなかったことに。桃枝は、山吹が一人で泣く夜をなんとか阻止できたことに対して。 「「──はぁ~っ。良かった……」」  二人は別々の意味合いではあるものの、心底安堵したのであった。

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