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12.5章【ロバにスポンジケーキ】 1

 改まって言うことでもないが、山吹にはお気に入りのぬいぐるみがある。  名を、シロと言う。ぬいぐるみをプレゼントしてくれた相手から取った名だ。  山吹は暇があればシロを抱き締め、顔を埋め、話しかけている。子供がぬいぐるみを可愛がるのと同じ様子で、山吹はシロと名付けたパンダのぬいぐるみを気に入っているのだ。  パンダのぬいぐるみは、かなり大きい。それが余計、山吹の心をくすぐった。  加えて、肌触りが最高でもある。山吹はシロに首ったけだ。これには、シロをプレゼントした相手も妬いて──。 「──くッ。……悪くねぇな、本当に」  ……なんてこともなく、ご満悦だ。  今日も今日とてシロを抱いている山吹を見て、プレゼントをした相手──桃枝は、表情を強張らせている。言い換えると『幸福を噛みしめている』だ。桃枝が手にした本はただ開かれているだけで、視線は山吹に向かっていた。  山吹はシロを抱き、頭を撫で、頬に触れている。存分に甘やかしながら、山吹はニコニコと表情を和らげていた。 「ふふっ。シロは今日もカワイイね~?」 「お前も可愛いがな」 「いったい、どれだけボクを魅了したら気が済むの? 勘弁してよね、ふふふっ」 「まったくだ。これ以上惚れさせるなんざ、どうかしてる」 「あの、課長。ボク今、シロと喋っているのですが……」 「気にするな。俺はいわば、副音声みたいなもんだ」  気になる。主張が激しいのだ。  山吹は隣に座る桃枝の熱く鋭い視線をビシバシと感じながら、渇いた笑いを浮かべる。桃枝が山吹にベタ惚れなのは、今に始まったことではない。本人が言う通り、気にするのをやめよう。  ……と、思ったところで。山吹は『そろそろ夕飯に使った食器を洗おう』と考える。  だが、山吹の体温を与えられ続けていたシロが、温まってきたばかり。ここで離れてしまえば、シロの体は冷たくなってしまうだろう。せっかくの温もりが、もったいない。  しかし、食器を洗いたいのも本心。山吹はシロを抱いたまま、静かに悩む。  そこで山吹は、ピコンと閃いた。 「課長、読書中にすみません。少し、抱っこしてもらってもいいですか?」  桃枝に温めてもらえばいい。そうすればシロの温もりは守られ、桃枝の匂いが付き、食器を洗いながら【パンダのぬいぐるみを抱く桃枝】という貴重な図が拝める。一粒で三度おいしい状況だ。  山吹に声を掛けられた桃枝は、すぐに本を閉じる。山吹は『読書中』と言ったが、ほとんど山吹に視線は向いていたのだ。本は、ただ手に持っていただけ。  読書に名残なんかない桃枝は、コクリと頷く。 「あぁ、いいぞ」  本をテーブルの上に置いた桃枝を見て、山吹はニコリと笑みを浮かべる。 「ありがとうございます。では、よろし──」  すぐに山吹は、シロを渡そうとした。  だが、それにしてはおかしい。桃枝は両腕を広げ、ただ【ぬいぐるみを抱くだけ】にしては大袈裟な動きをしているのだ。  お互いが、動きを止めて。……ようやく、山吹は気付いた。 「ん」  短く、桃枝が呼ぶ。しかしその声は、シロを呼んでいるわけではなかった。  山吹は、気付く。【抱っこ】に対する主語が抜けていた、と。 「い、いやっ、あのっ」  つまり今の桃枝は【シロの預かり】ではなく【シロを抱っこしている山吹を抱っこする】と思っているのだ。桃枝の誤解に気付くと同時に、山吹は徐々に顔を赤らめさせていく。  しかし言わずもがな、桃枝は自分が勘違いしていると気付いていない。ゆえに、桃枝は『なぜ山吹は自分から頼んだくせにこっちに来ないのか』と思っているのだ。 「どうした。ほら、早くしろ。……俺も、照れるだろうが」  この仮定を確信へと変えるように、桃枝が目つきを鋭くした。本人が言う通り、照れているらしい。  違う、違うのだ。山吹は今から食器を洗おうとして、そのためにシロを預かってほしかっただけで……。 「あ、う、ぅ……っ」  ヒソ、と。声がした。『急いで食器を洗う必要は、いったいどこに?』と、山吹の中にいる欲望が囁いたのだ。  悩んだ末に、山吹は……。 「……ギュッて、してくださいね?」  桃枝の膝の間に座るのであった。

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