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 返信ひとつも決められないまま、気付けば山吹は桃枝と暮らすマンションに帰宅していた。 「絶対、心配させちゃってるよね。……あぁ、もう。自分がイヤになる……」  夕食の準備を進めながら、情けなさに山吹は俯いてしまう。  仕事をこなしながらも、山吹はずっと考えていた。どういった返信が桃枝の望むもので、正解なのか、と。  だが、時間が経てば経つほどハードルが上がっていく気がして、なおさら返信が決められない。負の連鎖を自ら起こしながら、山吹は己で己の首を絞めてしまった。  どうにか気持ちを切り替えようと、山吹は包丁を手にする。それから、桃枝が見たら感嘆の声を上げそうなほど手慣れた様子でジャガイモの皮を剥き始めた。  桃枝が帰って来るまで、まだ時間はある。その前に、返信しなくては。そう思いつつ、山吹は調理の手を進めて──。 「──ただいま、緋花」 「──えっ」  リビングの戸が開き、桃枝の声が聞こえた。山吹はまるで反射行動のように素早く、声がした方を振り返る。 「あっ、え? 課長っ? 今日は、帰りが早いんですね?」 「……」 「えっ? ……あっ。お、おかえりなさい」 「あぁ」  まさか『おかえり』を言い忘れるだけで睨まれるとは。桃枝本人は【見つめている】つもりなのだろうが。  山吹は一度、包丁を置く。それから手を洗い、桃枝に近付いた。 「今日は、その、どうしたんですか? 課長がこんなに早く帰ってくるなんて、珍しいですね」 「理由なんざ、言わなくても分かるだろ」  ドキリと、心臓が嫌な跳ね方をする。  やはり、返信が無いことを怒っているのだろうか。山吹の頭は途端に真っ白となり、なにも言えなくなってしまう。  だが、桃枝からの言葉は予想外のものだった。 「──山吹、準備をしろ。携帯ショップに行くぞ」 「──はいっ?」  ジッと見下ろされ、至極真面目な様子で誘われている。山吹はポカンとしてしまいながらも、桃枝を見上げた。  なぜ、そんな提案をされているのだろう。山吹の表情はまさに、そう訴えている。  さすがにそのくらいは察することができるのか、桃枝が訝しむような表情を浮かべた。 「なんでお前がそんな顔するんだよ」 「いえ、その。妥当な反応だと、思うのですが……?」  すると、二人の認識に決定的な齟齬があると気付いたらしい。桃枝は、外出の提案をした意図を口にした。 「日中に、返事が無かっただろ。だからてっきり、お前の携帯は調子が悪いのかと思ったんだが……」 「えっと、それは……」  なんて厚い信頼だろう。山吹が無視をするような男ではないと、桃枝は信じて疑っていないのだ。  だから山吹は、桃枝が抱く【偶像】を守りたくなってしまった。言うまでもなく、理由は【保身】だ。 「昼は、その。青梅と会って、話していたら……ムカッとして、モヤッとして。それで、スマホの確認をしていなくて、その……」  俯けば、それが嘘だとバレてしまう。だが深夜に見た夢が、山吹から【勇気】を根こそぎ奪っていく。 「だから機械トラブルとかではなくて、その、つまり……。……返信、できなくて……ごめん、なさい」  だからこそ山吹は、桃枝の顔が見れなかった。

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