425 / 465
13 : 12
山吹は一度だけ、目元を袖で拭う。
それからすぐに、山吹は桃枝に返事をした。
「……ボクが、課長からのメッセージをムシしてもですか?」
「お前が無視したくなるようなメッセージを送った俺が悪いだろ。お前は理由なく他人を傷付けねぇって、俺は知ってるからな」
「ボクの返信が、間違っていてもですか?」
「そもそも、返事に正解も間違いもないだろ。……とか、いつものお前なら言いそうなんだがな」
会話を続けている間にも、桃枝が頭を撫でてくれる。そうされると、抱いている不安が少しずつ溶けていくような気がした。
「やっぱりまだ、調子が悪いんだな」
「っ。……すみ、ません」
「謝るなよ。責めちゃいねぇんだから」
「はい……」
訊くなら、今だ。桃枝に頭を撫でられながら、山吹は桃枝の服をそっとつまむ。
「……課長、あの。あの、ですね……」
「あぁ。どうした」
昼休憩に、自動販売機の前であなたを見かけました。
いったいお二人は、どんな会話をしていたのですか?
……そう、訊きたかった。明るく、フラットに、極めてラフな態度で。
なのに……。
「昼、の。……お昼、の、ご飯。明日の、お昼は……なにが食べたい、ですか?」
山吹は、逃げてしまった。
無論、桃枝は山吹が本当に知りたいことが分からない。なので、問われた通りの言葉を信じる。
「珍しいな、そんなこと確認するなんて」
「え、っと。……た、たまには。たまには、課長のご意見を聴いてみようかなって。レパートリーが増えるかなと、思いまして」
「なるほど。勤勉だな」
褒められると、心苦しい。なぜなら山吹は今、誤魔化しているのだから。
それでも、桃枝の中ではそう見えている。何度目か分からない惚れ直しをしながら、桃枝は考えた。
「とは言っても、特に目新しいものは提案できないな。俺が食いたいのは大前提に【お前の手料理】だから、そうであるのならなんだって嬉しい」
「も、もうっ。そうやって、サラッと口説かないでください」
「そっ、そうか。口説いたつもりはないんだが、悪かった」
「いえ。……あ、謝らなくても、いいです。イヤでは、ないですから」
なんとも、妙に気恥ずかしい。そんなつもりではなかっただけに、複雑な心境だ。
逃げた結果、こんなに得をしてしまっていいのだろうか。自己嫌悪のように、己をこっそりと責めてしまう。
そんなことは露知らず、桃枝は投げられた問いに対する答えを考えていてくれたらしい。不意に「そうだ」と口にしたのだから。
「お前が前に言ってたアレをやってくれ」
「『アレ』ですか? なんのことです?」
「桜でんぶでハートを作ってほしい」
「それは……。冗談のつもりだったのですが、諦めてなかったんですね」
相変わらずな桃枝に、引くほど安堵している自分もいる。
そばに桃枝が居続けてくれるのなら、山吹は不安になんてならないのだろう。単純ゆえに厄介な自分の気持ちが、どちらかと言えば恨めしい。
「ザンネンですが、家に桜でんぶがないので明日のお昼にはご用意できません」
「そうか。本当に残念だ」
まるで【桃枝がそばにいる】と確かめるかのように、素っ気ない言葉を送りながらも山吹は桃枝に抱き着いた。
ともだちにシェアしよう!