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 山吹は一度だけ、目元を袖で拭う。  それからすぐに、山吹は桃枝に返事をした。 「……ボクが、課長からのメッセージをムシしてもですか?」 「お前が無視したくなるようなメッセージを送った俺が悪いだろ。お前は理由なく他人を傷付けねぇって、俺は知ってるからな」 「ボクの返信が、間違っていてもですか?」 「そもそも、返事に正解も間違いもないだろ。……とか、いつものお前なら言いそうなんだがな」  会話を続けている間にも、桃枝が頭を撫でてくれる。そうされると、抱いている不安が少しずつ溶けていくような気がした。 「やっぱりまだ、調子が悪いんだな」 「っ。……すみ、ません」 「謝るなよ。責めちゃいねぇんだから」 「はい……」  訊くなら、今だ。桃枝に頭を撫でられながら、山吹は桃枝の服をそっとつまむ。 「……課長、あの。あの、ですね……」 「あぁ。どうした」  昼休憩に、自動販売機の前であなたを見かけました。  いったいお二人は、どんな会話をしていたのですか?  ……そう、訊きたかった。明るく、フラットに、極めてラフな態度で。  なのに……。 「昼、の。……お昼、の、ご飯。明日の、お昼は……なにが食べたい、ですか?」  山吹は、逃げてしまった。  無論、桃枝は山吹が本当に知りたいことが分からない。なので、問われた通りの言葉を信じる。 「珍しいな、そんなこと確認するなんて」 「え、っと。……た、たまには。たまには、課長のご意見を聴いてみようかなって。レパートリーが増えるかなと、思いまして」 「なるほど。勤勉だな」  褒められると、心苦しい。なぜなら山吹は今、誤魔化しているのだから。  それでも、桃枝の中ではそう見えている。何度目か分からない惚れ直しをしながら、桃枝は考えた。 「とは言っても、特に目新しいものは提案できないな。俺が食いたいのは大前提に【お前の手料理】だから、そうであるのならなんだって嬉しい」 「も、もうっ。そうやって、サラッと口説かないでください」 「そっ、そうか。口説いたつもりはないんだが、悪かった」 「いえ。……あ、謝らなくても、いいです。イヤでは、ないですから」  なんとも、妙に気恥ずかしい。そんなつもりではなかっただけに、複雑な心境だ。  逃げた結果、こんなに得をしてしまっていいのだろうか。自己嫌悪のように、己をこっそりと責めてしまう。  そんなことは露知らず、桃枝は投げられた問いに対する答えを考えていてくれたらしい。不意に「そうだ」と口にしたのだから。 「お前が前に言ってたアレをやってくれ」 「『アレ』ですか? なんのことです?」 「桜でんぶでハートを作ってほしい」 「それは……。冗談のつもりだったのですが、諦めてなかったんですね」  相変わらずな桃枝に、引くほど安堵している自分もいる。  そばに桃枝が居続けてくれるのなら、山吹は不安になんてならないのだろう。単純ゆえに厄介な自分の気持ちが、どちらかと言えば恨めしい。 「ザンネンですが、家に桜でんぶがないので明日のお昼にはご用意できません」 「そうか。本当に残念だ」  まるで【桃枝がそばにいる】と確かめるかのように、素っ気ない言葉を送りながらも山吹は桃枝に抱き着いた。

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