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今後二度と、不安を抱かないでいられるのか。そう問われて、山吹は『イエス』とは言えない。山吹は自分が思っている以上に、弱い男だ。
しかしそれと同じように、桃枝は山吹を弱い男だと分かってくれている。そして、立ち上がる勇気を何度もそばで与えてくれるのだ。
だから山吹は、もう一度立ち上がることができた。涙を止めて、しっかりと桃枝を見つめることができているのだ。
「前に、ボクは『自分が必要だと感じたなら、自力で変わる』と言いましたよね。『そこには他人なんて要らない』と、言いましたよね」
「あぁ、言っていたな」
「あの時、人の──ボクのために変わろうとする白菊さんの気持ちが、分かりませんでした。……でも、今なら分かる気がします」
悪夢を『くだらない』とは、まだ言えない。それでも山吹は、桃枝の手をそっと握った。
「ボクは、課長にもっと好かれたいです。もっともっと、夢中になってもらいたいです。だから、いい男になりたいです。見た目だけじゃなくて、中身でも……あなたを、虜にしたいです」
夢の中で見たもう一人の山吹は、今頃舌打ちでもしているだろう。そう思うと、幾分か気が晴れそうだ。
だが、弱い自分を言い負かしたいわけではない。山吹が欲しいのは、そんなものではなかった。
「──大好きです、白菊さん。これだけは、絶対なんです」
どんな不安が襲って来ようと、どんな自分が己を八つ裂きにしようとしてきたって。それでも、山吹の根幹は変わらない。……そう、桃枝が言ってくれた気がした。
泣いてくしゃくしゃになった顔でも、山吹は笑っている。どこか気丈に振る舞う山吹を見て、桃枝は苦笑した。
「相変わらず、自分の容姿に対する自信が凄まじいな」
「ボクの取柄はこの外見と家庭的なところくらいですので」
「確かに、俺はお前のそういうところも好きだ」
ポンと、桃枝が山吹の頭を撫でる。
「けど、今のお前だって好きだぞ。だから、無理だけはしないでくれ」
不安をぶつけられたのに、桃枝はどこか嬉しそうだ。
「いいか、緋花。お前は思っていること、考えていること、感じたこと。その全てを【必ず俺に伝えなきゃいけない】わけじゃないんだ」
「は、い? えっと、それは……?」
「義務じゃない、強制じゃない、使命じゃない。ただお前は、全てを【俺に伝えてもいい】ってだけだ」
「……っ」
……否。不安をぶつけてもらえたからこそ、桃枝は喜んでいるのかもしれない。理解すると同時に、山吹はなんとも言えない気持ちになってしまった。
すると、桃枝がどこか気まずそうに視線を逸らす。
「とは言っても、青梅の時に散々問い質した上に隠し事がまともにできもしねぇ俺からそんなことを言われても、説得力じみたものは皆無か」
落ち込む姿が、どこか頼りなく見える。
それなのに、こんなにも愛おしい。山吹は咄嗟に、桃枝の肩口に額を当ててしまった。
「確かに、ボクは白菊さんのパワハラ上司なところ、どうかと思います」
「うっ。……善処する」
「でもボクには分かりますし、ボクにだけ分かりやすく甘くて優しいので、パワハラ上司のままでも好きです」
「んんッ。……あ、あぁ。そう、か。……どうも」
たどたどしい手つきで、頭を撫でられる。どうやら、よほど嬉しいらしい。
「ホント、白菊さんは甘やかしの天才ですね」
「緋花限定だがな」
「それは、ボクにしか伝わらないだけですよ。白菊さんの優しさは、ボクだけのものじゃありません。白菊さんはいつだって、誰にでも優しいステキな人なんです」
「そっ、そうか。なんつぅか、その、面映ゆいな……」
あんなに散々な姿を見せたのに、桃枝は変わらない。相変わらず、桃枝の愛情は山吹の想定を遥かに上回っている。
だから、山吹はふふっと笑ってしまった。
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