433 / 465

13 : 20

 状況が、呑み込めない。山吹は言葉を失くしたまま、左手の薬指にはめられたアクセサリーをただただ見つめる。  いったい、なにが起こっているのだろう。まるで脳が理解そのものを放棄しているかのように、山吹は現状を全く把握できなかった。  そんな山吹を見て、焦りのようなものでも抱いたのだろう。珍しく、桃枝の方から口を開いたのだから。 「まぁ、今の法律じゃ俺たちは結婚できないんだが。目に見える約束と言うか、誓いの証と言うか。……そんな感じで、持っていてくれないか?」  桃枝から送られた、決定的な言葉。……【結婚】という単語を受けて、山吹の口はようやく言葉を紡ぎ始める。 「課長……これ、って」 「こういう時くらい、役職呼びなんてつまんねぇことするなよ」  指輪から、顔を上げた。そこで山吹は、自身の瞳でしっかりと捉えたのだ。 「──俺と添い遂げてくれ、緋花」  真っ直ぐと山吹を見つめる、桃枝を。  ようやく、ようやく。やっと、山吹は現状を理解した。  ──自分は今、プロポーズをされたのだ。……と。  理解をして、贈られた物や言葉の意味や重みも理解して。それから、山吹は……。  ──なにも言わずに、ボロボロと大粒の涙を溢れさせた。  山吹が突然、なんの前置きもなく泣き出したのだ。当然、桃枝は驚いてしまう。 「なっ、お、おいっ? まさか、嫌だったとか──」 「──イヤです」 「──嫌なのかッ!」  仮定を肯定され、桃枝はガンと大きな衝撃を受けた。  だが、違う。山吹が肯定したのは、全く違う意味なのだ。  それを証明するかのように、山吹は桃枝が着ている服の袖をそっとつまむ。それから俯いて、涙を零しながら、続けるべき言葉を紡いだ。 「──こんなにカッコいい白菊さんは、ダメです。ボク、ドキドキして……幸せすぎて、壊れちゃう……っ」  ポタポタと、涙が零れている。しかしこの涙は、桃枝が考えたような負の理由ではない。 「嬉しい、です。ホントに、嬉しくて……ボク、もう、どうしていいのか分からないです……っ」  顔を上げた山吹は、泣いている。それでも笑いながら、桃枝を見つめた。 「マイナス思考のボクは『ホントにボクでいいのかな』とか、そんなことも考えちゃっています。だけど今、ボクの中で一番大きな感情は【嬉しい】です。ホントに、とても、とっても……」  今までの山吹なら、沢山の言葉を──心配や不安をぶつけた後で、この指輪を受け取っただろう。  だが、さすがに分かる。どれだけの覚悟や気持ちを抱いて、桃枝が【指輪を用意してくれた】のかが。 「ボクは、白菊さんを幸せにできるでしょうか……」  涙を拭おうとしながら、山吹は未来への不安をポロリと零す。  しかしすぐに、桃枝は涙諸共、山吹が零したものを掬い取った。 「なに言ってるんだよ、お前は」  俺がする、とでも言うつもりなのだろうか。目元を指で拭われながら、山吹はそんなことを考えた。  しかし、違う。 「──してくれる未来しか見えないっつの」  桃枝が見ている、未来。それは、山吹が欲しくて欲しくて堪らなかった未来なのだ。  ──二人で、幸せになっている未来。桃枝がくれた指輪は、そうした未来への誓いを意味していた。 「白菊さん……っ」  山吹はすぐに、桃枝の体に飛びつくように抱き着く。  言うまでもなく、桃枝は山吹の体を愛おしそうに抱き締めたのだった。

ともだちにシェアしよう!