445 / 465

番外編① : 2

 過去を振り返ったって、今は進む。 「誰がいつ、お前に『茶を出せ』なんて言ったよ、なぁ? 視野が狭いにもほどがあるだろ、ちゃんと周りを見ろや。入社して何年目か言ってみろ。……分かってんなら、他にやることがあるだろうが」  管理課所属の課長──桃枝は今日も、残念な男だ。安定のパワハラ発言を、山吹はぼんやりと眺める。  責められているのは、山吹よりは先輩だがまだまだ若い女性職員だ。今にも泣き出しそうな顔で、謝罪の言葉を紡いでいる。  それでも、彼女が泣かない理由。それは、この課に四月から異動してきた山吹のおかげだ。 「──ブッキ~っ! 今のっ、課長の説教っ! 翻訳して~っ!」  女性職員は【桃枝専用翻訳機】──もとい、山吹のデスクまで駆け寄ると、そう懇願し始める。  桃枝の言っていることは、ドストレートすぎて逆に伝わりづらい。本人に悪意がない分、なおさらタチが悪かった。  山吹はニコリと笑みを浮かべ、泣きべそをかいている女性職員を椅子に座ったまま見上げる。 「要約しますと。『お茶出しは新人の仕事なんだから、先週うちの課に中途採用で入った子に教えてあげてほしいな。代わりにキミは、先輩から別の仕事を教わったらどうかな? そうしたら、皆が喜ぶよ』という意味です」 「なにそれっ! 相変わらず分かりにくいんだけどっ!」  おそらくこの会話は、桃枝本人に聞こえているだろう。むしろ山吹は、いつだって聞こえるように翻訳してすらいた。  どういう精神状態で過ごせば、他人にあそこまで辛辣な態度を向けられるのだろう。山吹の父親は暴力的な男ではあったが、不思議なことに山吹は穏やかな男に育ったというのに。  ……いけない、と。山吹はすぐに気持ちを切り替えようと努める。  今朝の夢で見た、過去の出来事。どうにも山吹は、家族が絡むと駄目だった。  それにしてもなぜ、あんな夢を見たのか。笑みを浮かべつつ今朝のことを思い返していると、突然。 「でもメッチャ落ち込んだよぉ。口調キツすぎ。……でも、いいもんねっ! 今日は彼氏と夏祭りデートだから、いっぱい甘えちゃおっと!」  女性職員の惚気を聞いて、合点がいった。 「なつ、まつり……」  夢──家族との過去を、より鮮明に思い出す。考えてみると、確かに昨晩……夏祭りの開催を知らせるチラシを、どこかで見た気もした。  無意識のうちに、夏祭りのことを考えていたのだろうか。思わず、表情が翳ってしまう。 「……ブッキー? どうかしたの?」 「えっ。あっ、いえ。まさかグチからのノロケになるとは思わなくて、話題の温度差で風邪を引きそうになっちゃいましたっ」 「ブッキーって、たまに可愛く辛辣だよね」 「ありがとうございますっ」 「褒めてないんだけど!」  公私混同をしている場合ではない。山吹は作り慣れた笑みを浮かべて、女性職員との話題を終える。  過ぎ去った出来事を思い返して、なにになると言うのだ。職務を疎かにしているようでは、亡き両親が悲しむだろう。職務怠慢なんて、全くもって【いい子】ではない。  引き出しの中から未処理書類を取り出し、山吹は気持ちを切り替える。  ……そんな山吹の様子を、一人の男が注視していたとも気付かずに。

ともだちにシェアしよう!