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番外編① : 3

「──おい、山吹」  昼休憩時、山吹は名前を呼ばれてハッとした。 「へっ?」 「なにしてんだよ、自販機の前で。邪魔だろ」  振り返ると、そこに立っていたのは自分の上司。……桃枝だ。  いつの間に自販機なんかに向かっていたのだろう。山吹は弾かれたように身を引き、自販機からそっと離れた。  ……ちなみに、今の発言。『邪魔』というのは桃枝にとって、ではなく、周りにとってという意味だ。いくら山吹が本調子ではなくても、そのくらいの翻訳は朝飯前──もとい、昼飯前だった。 「すみません。その、なにを買おうか悩んでしまって」  それらしい理由を口にし、山吹は笑みを浮かべる。作り笑いは淀みなく、誰から見ても【普段の可愛らしい山吹】が出来上がっているに違いない。そんな自負が、山吹本人にはあった。  ……だが、どうやらその評価は少しだけ間違いだったようで。 「あー、その。な、なんて、言うか。……なにか、あった……の、か?」  ぎこちない、桃枝の言葉。意味が分からず、山吹は桃枝を見上げた。  すぐに目は合ったのだが、合うと同時に逸らされる。桃枝から見て山吹がどう見えたのかは謎だが、山吹から見た桃枝はかなりおかしかった。 「いえ。なにも、ありませんけど」 「その割には朝からずっと変だぞ、お前」 「朝からずっと、ボクを見ていたんですか?」 「ちっ、ちがっ! たっ、たまたまっ! たまたま視界に入っただけだっ!」 「そうですか。ボク、目立ちますもんね。頭とか」 「……そ、そう、だな」  小さな声で「これで誤魔化されるのかよ」と呟いていた気もするが、気のせいだろう。山吹は財布を手にしたまま、桃枝を見上げ続ける。 「もしかして、心配して追いかけてきてくれた感じですか?」 「はっ? た、たまたまだろ。たまたま偶然、タイミングが被っただけだ」 「ステキな偶然ですね」  鋭いのか、鈍いのか。どこか掴みどころがない返事をする山吹を見て、桃枝の表情は赤くなったり青くなったりを繰り返している。不思議な変化だ。  ここ最近、山吹は桃枝と二人で過ごす時間が増えていた。主に【パワハラ矯正】という名目の飲み会で、だが。  そのせいか、そのおかげか。山吹は、口を開いた。 「朝から、イヤな夢を見てしまって。気分が、滅入ってしまって……」  桃枝ならば、いいかもしれない。そう思った山吹は、誰にも告げるつもりがなかった本心を吐露した。  桃枝の情けない姿ならば何度も見てきたが、自分が晒すのはおそらく初めて。山吹はすぐに俯き、小さく頭を下げた。 「社会人なのに、すみません。就業時間中でも、気分に左右されてしまって。挙句、上司に気を遣わせてしまいました。ホント、ごめんなさい」 「……っ」  すると突然、桃枝は自販機に小銭を入れ始める。『ピッ』という機械音の後、飲み物が落下する『ガコンッ』という重々しい音が短く響いた。 「今晩、なにも予定がないなら。……飲みに、行かねぇか。気晴らしに」  誘いと同時に、ブラックコーヒーを手渡される。欠片も想定できなかった動きを受けて、山吹はキョトンとしてしまう。  それからすぐに、自然な笑みを浮かべて……。 「はい。課長とご飯、行きたいです」 「っ! そ、そうかっ! 分かった!」 「それと、ごめんなさい。ボク、苦いのが得意じゃないのでコーヒーは飲めないんです。代わりに、お茶を買ってもらえますか?」 「そ、そうか……」  山吹は桃枝に、ペットボトルのお茶を買ってもらった。

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