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番外編① : 4

 仕事終わりに、慣れ親しんだ居酒屋にて。 「──今日もパワハラお疲れさまでした~っ!」 「──その掛け声やめろ」  上機嫌そうな様子で、山吹は桃枝が持つグラスと乾杯をした。  二人が飲んでいるのは、どちらもソフトドリンクだ。山吹は十九歳で、桃枝は車の運転がある。普段通りの選択だった。  乾杯を終えてすぐにグラスへ口を付けた桃枝は、苦々しそうに表情を強張らせる。 「だいたい、なにが『パワハラ』だよ。なんで俺の言いたいことはうまく伝わらねぇんだ。最近はかなり言葉を尽くしてるつもりだぞ、クソ……」 「確かに尽くしてはいますが、悪化してなくもないですよね」 「クソが……」  まさか、一口のウーロン茶で酔っ払ったのか。そう危惧してしまうほど、桃枝はやるせなさそうだ。  並んだ料理に箸を伸ばしつつ、桃枝はポツリと呟く。 「お前には伝わるのにな」  おそらく、今の発言は独り言だろう。山吹に伝えるつもりも、ましてや返事を求めたつもりもなかったに違いない。  それでも空気が今ひとつ読めない山吹は、両手でグラスを持ちながら小首を傾げた。 「それのなにが不服なんですか? 仰る通り、課長にはボクがいるじゃないですか」  同じ課に翻訳機がいるのだから、意思疎通に問題はない。山吹が言いたいのは、そういうことだ。  けれど、桃枝には少し違った意味合いに聞こえたらしくて……。 「……はぁ~っ。お前、そういうところだぞ、本気で」 「えっ? えっ、なにがですかっ?」 「なんでもねぇよ馬鹿ガキ。……この、鈍感が」  よく聞こえなかったが、きっと罵られたのだろう。山吹が浮かべる疑問符は消えなかった。  分かることは、ひとつ。桃枝が落ち込んでいる、ということだ。昼間の奢りに対する返礼をすべく、山吹は不必要なほど明るい笑みを浮かべた。 「でも、課長の方がボクより役職は上ですよ。【青は藍より出でて藍より青し】ってやつじゃないですか?」 「それ、使い方間違ってねぇか?」 「言い得て妙じゃないですか」  少しは元気が出たのか、悩むのが馬鹿馬鹿しくなったのか。桃枝は気を取り直した様子で、ウーロン茶を飲み進めた。  やはり、桃枝と過ごす時間は楽しい。下心や肉欲が介入しない関係性はあまりに新鮮で、山吹の気分も不思議と高揚する。  そのタイミングで、店員が料理を運びに個室の扉を開いた。すぐに山吹は顔を上げて、店員に感謝を伝える。  そこで、不意に。山吹は、見たくないものを見てしまった。 「……そう言えば、今夜は夏祭りですね」  扉の向こう側にある、カウンター席。座っていた数名の客が、浴衣を着ている光景だ。  思わず、声が暗くなってしまう。自覚をした時には既に遅かったのだが、どうやら桃枝は気付いていない様子だ。 「確かに、そんなことを課の連中が言ってたな」  夏祭りと言えば、七夕や花火が連想される。桃枝も同じだったのか、話題がそっち方面へと移った。 「お前、七夕に願い事とか書くのか?」 「もしかして課長、ボクのこと子供だと思ってません? そんな非科学的なこと、信じていませんよ」  トン、と。山吹は持っていたグラスを、テーブルに置く。 「それに……ボクの願いは、短冊に書いて叶うようなものではありませんから」  自分で振った話題とはいえ、最悪な気分に陥りそうで。山吹はそっと、奥歯を噛み締めた。

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