453 / 465
番外編② : 4
時は流れ、場所は変わり、今現在。
「いいか、山吹。そもそも【コンプライアンス】ってものがなんなのかを各自で明確化させなくちゃならねぇ」
仕事終わり。山吹は今、部屋に招いた桃枝から妙なテンションを向けられていた。
仕事を終えてから、二人は山吹が暮らすアパートの一室にやって来たのだが。日中の【段ボール箱運搬事件】から、なぜか話題はエスカレート。
気付けば桃枝は、まるで研修会のようなノリで持論を語り始めたのだ。
「あの、課長? ボクはなぜ、新人研修のようなお話をマンツーマンで受けているのでしょうか?」
「俺がお前の恋人兼上司だからだ。いいから、聴け」
「あっ、はい」
こうして、山吹が戸惑うのも無理はないだろう。
だが、向けられた戸惑いなんてどこ吹く風。桃枝は腕を組み、珍しく饒舌に語り続けている。
「【コンプライアンス】ってやつは、広義的な意味だと【企業倫理】やら【社会的規範】だな。だが、そうだよな。いきなり『広義的な意味では』なんて言われたって、ピンとくるはずがねぇよな。分かり易い例えなら、そうだな……そう、挨拶だ。挨拶はしなくたって罰せられねぇよな? そりゃそうだ」
「えっと、課長? ヤッパリこの状況、おかしいですよね? いったい突然、なにを?」
「だが、出社して『おはようございます』の一言も無かったらどうする? 客が来て『いらっしゃいませ』を言わない企業はどうだ? 雰囲気が良くねぇと感じるだろ? それが【コンプライアンス】の広義的なイメージで──」
「──いやヤッパリおかしいですよねこの状況っ!」
せっかく二人きりなのだから、イチャイチャしたい。こうして桃枝の声が沢山聴けるのも魅力的ではあるが、そんな小難しい話をするために二人きりの空間にしゃれ込んだつもりはないのだ。
だが、ここでストップをかけると負けた気がする。桃枝相手に口で負けるなんて、それは山吹のプライドが許さなかった。
「昨今の若者が向ける仕事に対する姿勢に物申したい気持ちは分かりました。ですが、若い子たちだけに問題があるわけではないんですよ。例えば、基本的な部分で言うのなら上意下達は重要です。課長はできていますか? できていませんよね?」
「待ったナシに決めつけやがったな」
「上意下達──つまり、トップダウン。上の人たちは『報告が~』とか『相談が~』とか言って部下を責めますが、じゃあそっちはどうなんですかという話ですよ。まったく、それなのにボクが気を遣ってお手伝いをしたら責めるなんてあんまりじゃないですか」
「お、おう? よく分からねぇが、俺の態度が悪かったなら謝る。責めたように聞こえてたんだな、悪かったよ」
「──結論! あの人に段ボール運びを頼んだ係長を責めるより、今はボクともっと恋人らしいことをしてくださいっ!」
「──クソッ、可愛いッ!」
勝った、勝利だ。目頭を押さえて俯いた桃枝を見て、山吹はガッツポーズをする。
いきなりなにを論じ始めたかと思えば、簡単な話だ。桃枝は回りくどい話をしていたが、とどのつまり『仲間内でコミュニケーションの取り易い職場づくりをしたい』と言いたかったのだろう。
だが、今の山吹は段ボールの運搬──過ぎた話を長々としたい気分ではない。絶賛【山吹萌え】を噛みしめている桃枝を見て、山吹はドヤ顔を晒す。
しかし、ここで終わる山吹ではなかった。山吹の可愛さを受け止めている最中の桃枝に、山吹はこっそりとスマホを向けたのだ。
それから、パシャッと。シャッター音が鳴ると同時に、桃枝はようやく顔を上げた。
「おい、山吹。お前、今なにか撮っただろ」
「ボクに悶える課長を撮りましたっ」
「やめろ、消せ」
「イヤです~っ」
勝利の記念に、証拠を撮っただけ。責められる謂われはない。
……断じて。断じて、うっかり『恋人らしいことがしたい』と強請った自分の恥を、強烈なインパクトで上塗りして隠滅しようとしたわけではない。断じて、違うのだ。
ともだちにシェアしよう!