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公爵の性格があまりにも悪すぎる!後編
俺は笑うリケを前にして頭の中が真っ白になった。
何か言わないといけない。
謝罪か、言い訳か、批難か、怒りか。
言葉も感情もリケの微笑みの前では消えてしまう。
黙った俺にリケが口を開いた直後、イザベラが部屋に飛び込んできた。
淑女らしからぬ慌てっぷりでだ。
リケが注意するがイザベラは聞いていない。
背中に嫌な汗が流れる。
イザベラと妹よりも、リケとイザベラのほうがよっぽど上下関係があって見ていて気まずい。無邪気にリケを慕っているイザベラに居心地の悪さを覚えるほど、緊張感のある時間だ。
俺と二人の時間を邪魔されたことが不快だったのか彼は無表情になった。が、すぐに笑う。
瞬間的にイザベラを部屋の外に連れて行きたくなった。
もちろん俺は戸惑いから動けないのだが、今までの経験から全身に鳥肌が立っている。
聞きたくない、見たくない。
リケが指先で口元を隠している。
笑っている。
理由は分からないが隠された表情は分かる。
イザベラは自分の兄の状態に気づかない。
それほど焦っていた。
いいや、元々、リケのことは俺しか分かっていなかったのかもしれない。
俺が居ることも忘れたのか、判断力がなくなったのか、イザベラは自分たちの父親が倒れたことを叫んだ。どうすればいいのかとリケにすがりつく。
リケは次期公爵ではなく公爵となった。
つまり我が家に必要な救世主は彼だ。
本当はリケから公爵に願ってもらうつもりだった。
私的な交流ではない。
自分の家のための交渉だ。
公爵が理解しなかったとしてもリケ越しの要請は断れない。
完全にリケと手を切れと圧が掛かってくるだろうが、引き換えに家族は救われる。
ただ自分から別れを告げてきた相手が、自分を利用することをリケが受け入れなければ成立しない取り引きでもある。
リケが俺に未練があることを利用して公爵を動かそうとした。
言葉にすると卑怯で最低だ。
復縁する気もないのにリケの甘さを信じてやってきた。
ハメられているという感覚があるので、この罪悪感もまた間違っている。
リケが笑っていなかったらまだ、ハメられたのは被害妄想だと思うところだ。
あの微笑みは「おかえり」であり、逃げた俺を捕まえたときのものであり、隠れていた俺を見つけたときのものだ。
二人で遊んだ時に何度だって見た茶目っ気のある笑みのひとつ。
体が震える。
足元がおぼつかず、座り込みたい。
イザベラの泣き声が胸をかき乱す。
気を抜くと息をし忘れてしまう緊張感。
イザベラと違ってリケが純粋でも、愚かでもないことを俺は知っている。
公爵が亡くなった。
その事実をどう受け止めるべきか。
分かっているのに分からないふりをしたい。
リケを見て、無意識に後退する。
どうにかしなければならない。
頭が回らない。
逃げられないのに逃げてしまいたい。
リケは俺が理解することも分かりきっていたのか「直接お願い出来て良かったね」と笑う。
言葉の意味がきちんと理解できてしまう。
恐ろしさに息を呑む。
こんなタイミングよく公爵が亡くなるはずがない。
平然としているリケが何も知らないわけがない。
病気ではない人間の死を予想できたとしたら、それは殺した人間そのものだ。
自分が相手の息の根を止めたのだから、死は予想ではなく事実として驚きを与えない。
イザベラの手前、リケを自分の父を殺した殺人鬼だと糾弾できない。
あと数年以内にリケは公爵になれた。
リケに自分の父を殺す理由はない。
次期公爵に指名されているゆるぎない誰もが認めた跡取り。
学生である彼は最後の自由を満喫している。
今後、休みらしい休みは取れなくなる。
隠居する前までの間ずっと忙しくなるであろうディーアグェ家の当主の立場が控えている。
なるべく長く休みを満喫するならともかく、早く働きたがるなど貴族らしくない。
疑わしいところがあったとしてもリケを犯人だと思う貴族などいない。
この世で一番、父親を殺す理由がない。
普通ならそう考える。
誰もが動機がないと判断できる犯人ではない人物がリケだ。
動機が俺だというのはあまりにも自惚れがすぎるが、そう思うしかない。
彼の微笑みが俺の想像を肯定していた。
これは俺しか察することができない犯行でもある。
たまたま公爵が亡くなり、リケが意味深に笑ったなどという偶然ではない。
俺は今、愛を見せつけられたのだ。
リケの俺への愛が今回の一連の事件のすべての元凶だった。
そういった種明かしをされている。
自分の妹を煽って聖女に危害を加えて、俺の妹どころか家を丸ごと窮地に陥れる。
俺を引っ張り出すためだけに彼は今回の件を企んだ。
考え過ぎだと言って欲しい。
もう好きなんかじゃないと振り払って欲しい。
そうはならない。
妹であるイザベラを部屋に追い出して、リケは俺を抱き寄せる。
この時のために三年間、頑張っていたのだという感慨を抱いているのだろう。
俺が理解したことを分かって、自分の愛が伝わったことを噛みしめている。
沈黙が怖い。
こんな勝手な愛を分かってしまう自分が怖い。
三年前に公爵からリケと離れるように提案された。
そのことを俺はリケに伝えていない。
親殺しなど見たくなかったからだ。
引き離されるより駆け落ちを選ぶか、障害となる存在を排除する。
親だとしても関係なく残酷なやり方で始末するはずだ。
自己保身に走ったと軽蔑されていい。嫌われていい。
全部俺のせいでダメになったと恨まれていい。
つらくても俺に選択の余地はない。
リケの人生を台無しにするよりは離れて生きていくべきだと思った。
「馬鹿な父のせいで俺たちの三年が無駄になっちゃったね」
俺を責める言葉をリケは使わない。
恐ろしかった。愛おしかった。苦しかった。
美しい微笑みは妖しくて人とは思えない。
「離れていると思いは募るって本当だった」
ちいさなつぶやき。
それは窮地にいる俺を彼が見捨てないことを意味している。
彼が俺を崖に突き落とそうとしていたというのに彼に助けられて安心してしまっている。
リケに冷たい態度をとられなくて俺はこの状況で喜んでいた。
誰も助けてくれないことじゃない。
リケが助けてくれないことが怖かった。
俺を追い詰めているのがリケだとしても、リケに俺は助けられたい。
「父も分かってたんだよ」
俺を慰めるための言葉かと思ったが、彼は寂しそうな顔をした。
満たされていた顔から遠くを見る視線に不安を感じた。
俺だけを見ていた視線が過去を見ている。
「父も自分の父を殺した。愛する人と一緒にいるために。でも、一足遅くて愛する人はこの世から居なくなっていた」
「だから」
「そう、だから」
俺は公爵のあまりの性格の悪さに驚いた。
こんなことが、あっていいのか。
自分が出来なかったことを息子にさせてあげようという親心だというのだろうか。
自分の死を使って先に進めというのは残酷だ。
自分を殺さない程度の感情なら愛とは呼べないとリケを煽ったのだろうか。
あり得る話だ。
公爵はずっと死にたかったのかもしれない。
愛する人の居ない世界で生き続けたくなかった。
リケが何もしなくても勝手に公爵は亡くなったのかもしれない。
胸が痛んだが、俺たちは事態を収拾しなければならない。
休んではいられない。
俺にも、リケにも、せつなさと後味の悪さを残しながら公爵の死を理由にして聖女に危害を加えた事件は片付けられた。
誰かが犠牲になった事実があれば丸く収まる。
事実と事実が別々の場所にあっても構わない。
ひとつの物として話をまとめる技術さえあればいい。
俺とリケは男同士ではあるが正式な婚姻を発表した。
ディーアグェ家が我が家を庇う正当性が欲しい人間と自分の娘を嫁がせようと考える貴族たちを追い払うことが目的だ。
俺たちの仲が本当かは誰も興味がない。
下品なうわさに煩わされるかと思ったが、意外と静かだ。
何度か顔を合わせた聖女が顔を合わせた俺に好意的だったからかもしれない。
リケから俺の話を聞いていて、聖女は俺たちを応援していたらしい。
俺たちの仲が円満か気になるようだ。
聖女はイザベラと俺の妹と俺たちの話で盛り上がることで仲良くなったという。
すべてが上手くいった結末だと言える。
リケの父のことを考えなければ。
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