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龍の子

 身を縛っていた楔が外れ、龍の子は前を見ゆ  月夜の人気の無い道を二人の人影が歩んでいた。月を頼りに夜道を確かな足取りで進む彼らは奇異に見えるだろうが、そんなことを二人の内一人は気にしない。 「なあ、龍藍。昼間に歩いたほうが良いんじゃないか? 俺がいるとはいえ、夜道は危ないぞ。山賊や鬼が出るかもしれないし」 「……昼間はやだ。視界が開けた場所で日光なんて浴びたくない」  龍藍の言葉に、銀雪は溜め息をついた。俺が眠っている間に何があったというんだ。 「龍藍。これから陰陽寮に入るんだろ。確か天文生なら夜だろうが、基本は活動は昼だ。それなのに、昼夜逆転していたらやってられないぞ」  親代わりである銀雪の言葉に龍藍は苦虫を噛み潰したような顔をする。反論のしようがない。そうだ。鬼祓いの友人がいたから感覚が狂っていたが、大体の人にとって夜は寝る時間なのだ。 「文句なら叔父上に行ってくれ。十中八九はあの人が悪いんだ」    龍藍は八つ当たりでもするように、どこかを睨みつけた。  遡るは数ヶ月前、武家の嫡男である蒼宮夕霧は叔父である蒼宮薄氷(あおみやうすらい)を亡くした。それに悲しさを感じはしなかった。父が亡くなり、親代わりである妖狐が行方知れずとなったのは叔父が要因であったからだ。  薄氷は10年もの長い歳月、夕霧を山奥の屋敷に幽閉し、夕霧に嘘を教え込んだ。夕霧の父は紅原家の当主に洗脳されていたのだと。その洗脳を解こうとしたが、それに勘づいた紅原の当主は夕霧の父を殺し、夕霧を我が物にしようとした。それを助け出したのが私なのだと、薄氷は何度も夕霧に言い聞かせた。    実際は薄氷自体が己に洗脳をしかけていたのだと夕霧が気づいたのは、幽閉されて五年経った頃である。  それはかつての許嫁の弟である紅原の嫡男を助けたことがきっかけだった。叔父の目を盗んで彼と幾度と会うにつれて、叔父から植えつけられた紅原への憎悪が消えていくのを感じた。そして、父が密かに遺していた日記を見つけ、今まで失っていた幽閉される直前の記憶を思い出したのである。とは言え、紅原に対して聞きたいことはたくさんあるのだが……。 「それにしてもあの男が既に亡くなっているとはな……」  銀雪は冷たい目で宵闇を見つめた。叔父上は直接手を掛けていないが、私の胸に矢を穿ち、銀雪を殺そうとした。もし叔父上が生きていたら、銀雪は叔父上を刃で切り裂いたのだろうか。そんなことなどさせはしまいが。 「こんなことを言うのはいけないとは分かっているけれど、叔父上が亡くなって良かったと思うよ。君の銀の毛並みが血で濡れるのは嫌だから」 「お前という奴は父親と同じことを……」  銀雪は困ったように笑った。父は銀雪を愛していたからこそ、そんなことを言ったのだろう。数ヵ月前にようやく再会できた父を思い出す。父は……いや父の霊は今は龍神の元で眠っている。そしてその眠りから覚めるまでは私は死ぬに死ねない。 「死人に口無し。死体蹴りは虚し。まあそれでも、あの人の血を引く従兄弟の支えになるという名目で入るというのはちょっと躊躇いがある」 「従兄弟の後ろ楯になるという名目でないと陰陽寮に入れないと言ったのはお前だろ。俺が傍にいるからやらねばと思うことはやるといい」 「うん……銀雪ありがとう」  龍藍はそっと銀雪の袖を気づかれぬように掴んだ。子供っぽいとは分かっている。それでも10年愛情を与えられなかったのだ。親代わりの銀雪に甘えたくても素直に言えぬ。そんな龍藍を微笑ましそうに銀雪は横目で見ると、袖を掴む龍藍に気づかぬ振りをしたまま共に歩くのであった。  昼間の間は洞穴や木陰で眠り、夜は魑魅魍魎を調伏しつつ進むといった日が数日続く。父である氷雨には陰陽道に関しての才能はあまり無かったが、龍藍は陰陽師が使うような調伏の術の腕が上手いことに気づいた。それと氷雨や藩校では学ばなかった筈の戦い方をしている。そう、まるで武士の身分でありながら忍びのように戦い、陰陽道を使いこなす鬼祓いのような。 「幽閉されていた割には随分と俊敏だな。薄氷から習ったのか」 「いや……。楓殿の弟から身体の動かし方を教わった」  あの子供か。銀雪は複雑な顔をした。俺は龍藍と楓の顔見せの際に一度会ったきり。あの泣き虫そうな子供が、年上である龍藍に指南できる程成長するとは。素晴らしいと言いたいところだが……と龍藍の顔を見る。龍藍は顔の片側を包帯で覆い隠し、一度も此方に見せようとしない。 『そうしなければ一生幽閉されるままだったし、楓の弟も二十歳まで生きられなかったんだ。それに龍神様に目の代わりを貰ったから10年もすれば目も見えるらしい。だから良かったんだけどさ……時雨にあんな顔させてくなかった』  あの時、苦しそうに吐露した龍藍。楓の弟を大事に思っていたのだろう。だが、それでも片目を失うという決断をさせたくなかった。そう思うのは俺の我儘だとしても。 「そうか……。いや、幽閉されているから動けないと思っていたから、安心した。龍藍、ここからは道が険しい。背中に乗れ」 「いいの?」  肯定する代わりに、俺は本性である妖狐の姿に戻った。龍藍は幼い頃のように嬉しそうに笑い、俺の背に乗る。 『しっかり掴まっていろよ』  俺はそう言って夜道を走る。妖狐は龍の子を乗せ、一気に京まで駆けるのであった。遠くの空が白んできた頃、ようやく視界が開けてきた。 『ほら京が見えてきた』 「これが……」  龍藍は眼を大きく開いて視界に広がるものを眺めた。十年もの歳月で山の風景しか見てこなかった龍藍にとって、京の町並みは色鮮やかで、少し恐ろしさがあった。故郷である玻璃野も賑わいがあったが、京はそれ以上に人が多いと聞く。そんな中に半分人でない私が入って大丈夫なのだろうか。不安そうな顔のまま龍藍は妖狐姿の銀雪から降りた。 「銀雪……私はただでさえ異端なんだよ。あんな人の多い場所に入って良いのかな」 「まあ見た目は目立つ格好だろうな。銀色の髪に青い目。蒼宮の血筋で無かったら異人として捕まるだろうがお前は晴子のあれを持っているだろう?」 「うん。あの晴子様のだよね。叔父上が一旦粉々に壊したけど、巫女様が直してくれた」  龍藍は懐から布で包んだ呪具を取り出した。龍藍のために許嫁の母、つまり義母になる筈だった晴子が外見を目立たないように偽る呪具を龍藍に贈ったのだ。晴子自身は、当時の龍藍の金糸の髪が隠れるのは惜しいと言っていたが。 「それを身につけている限りは大丈夫だ。それに自分の容姿に自信がついたら外せばいい。……俺が傍にいる。だから龍藍は堂々と町を歩くといい。お前は異端などではない。お前は血は繋がってなかろうが俺の大切な子だ」  銀雪が私の背中にそっと触れる。これからどうなるか分からなくて恐ろしい。でも私を我が子のように慈しんでくれる銀雪が傍にいれば大丈夫。そんな気がする。 「ありがとう。行こうか」  龍藍は銀雪のぬくもりを感じながら、まっすぐ前を見据える。龍藍と銀雪の銀色の髪が朝陽に照らされ煌めいた。

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