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血縁と邂逅す

 仇の息子であり、従兄弟である蒼宮の嫡男。彼はまだ幼く、親の罪など知りもしないのだ  一旦宿を取って昼間はそこで休憩する。宿の女中は昼間に眠る為に泊まる俺たちを怪訝そうに見つめながらも、龍藍が微笑みかけるとぽっと頬を赤く染めた。そういや、龍藍の父も数多の縁談に誘われたっけ。それを頑なにあいつは拒んでいたが、龍藍はどうだろうか。龍藍の方を見ると、龍藍はすやすやと寝息を立てていた。 「……俺も寝るか」 銀雪はあくびをひとつするとそのまま布団の上で眠る。夕方になるまで、二人分の寝息がするのであった。  気づいたら日も暮れ夕刻となっていた。夕霧は起き上がると、鏡を見つめた。昔に比べれば随分と姿が変わってしまったものだ。母から譲り受けた髪色は、父が死んだ夜に銀雪と同じ色となった。そして父と同じ色の目は片方を抉られ、代わりに龍神に賜った義眼を嵌めているが、見えるまでに十年もの歳月を要する。そのため、片側の顔を包帯で隠しているせいで、奇異に映るだろう。 「父上……」  父と似ているのに違う顔は悲しげに鏡に映っていた。悲しげな顔など銀雪に見せてはいけない。悲しい顔をしては銀雪も悲しんでしまうから、銀雪を悲しませてはいけない。笑ってみるが、父の優しい笑みとは違って不自然なので、龍藍は溜め息をついた。先程、宿の女性の前で笑えていただろうか。いや、それ以前に陰陽寮に入って目上の者達の前で笑みを作れるだろうか。……父と巫女以外の人間を信じられぬ私が。龍藍は唇を噛むと、寝息を立てて仰向けになっている銀雪の袖を握った。幼い行為とは分かっている。それでもこうしないと落ち着かない。 「銀雪……もう一人は嫌だよ……」  震える声で龍藍は呟く。一人何年も屋敷に幽閉され、山から出られなかった。一人で眠る夜は胸が裂けそうな程辛くて寂しかった。もうあんな思いはしたくない。あんな思いをするくらいならば、自分の全てを偽っても構わない。覚悟を秘めた龍藍の澄んだ蒼色の瞳が一瞬夜の海の色に染まった。  夜になり、蒼宮邸に向かう。宿からはさほど離れておらず、東に位置する蒼宮邸は焼失してしまった龍藍の実家よりも広いようで、壁に囲まれていた。戸を数回軽く叩き龍藍は声を上げた。 「夜分に申し訳ない。私は薄氷殿の命で参った」  その声に戸の向こうから動く気配がする。 「どなたですか。名を申しなさい」  三十路程の女の声。乳母か下女か。どちらにせよ、当主が無いというのに屋敷が機能しているのは幸か不幸か。龍藍は平静のまま続けた。 「名乗るのが遅れて失礼した。私は蒼宮龍藍。蒼宮の遠縁にして、薄氷殿に何かあれば、後ろ楯として蒼宮の後継ぎを支えよと仰せつかった者だ」  女がはっと息を飲むのが聞こえる。それはそうだ。突然の来訪者が突拍子もないことを言っているのだから。 「……それは真ですか」 「これでも蒼宮の端くれ。陰陽家である蒼宮が言質を違えると思うのか」  しばらく沈黙が流れる。どうする。力ずくで入るなど逆効果。龍藍の頬から汗が流れる。すると戸がゆっくりと開いた。気難しそうな女が龍藍を真っ直ぐ見つめる。私が外見を偽っていると悟ったのか分からないが、わずかに私を睨んだ。 「……その霊力は蒼宮の血を引くもの。お入りなさい」  返答は意外なもので、龍藍は拍子抜けする。外見ではなく霊力で判断したのか。何者だこの女は。龍藍は警戒したものの、案内されるまま中に入った。  屋敷の中は、華美では無いものの、品の良い装飾が施されていた。屋敷は数名の気配があるが、貴族の屋敷にしては少ない気がする。当主が不在……いや、記憶が正しければ当主がまだ幼い子供であるからだろうか。 「こちらです」  案内された先は来客用の間。隣を歩いていた銀雪は私の前に出ると、先に部屋に入る。続いて私も入ることにした。 「現当主に会わせる前に尋ねておきたいことがございます」 「何でしょう」  疑わしい者をそう易々と会わせてくれる訳はないか。さて、何と聞く。龍藍は身構える。 「先代は、確かにもし自分に何かがあれば銀髪の養子を向かわせると仰っていました。ですが、貴方は青い髪ではありませんか。これはどういうことなのか説明してください」  そんなことか。龍藍は首に下げていた呪具を一旦取り外す。すると女が凝視してきた。こういった奇異の見るような視線は嫌いだ。龍藍は顔を少ししかめた。 「先程の容姿は目立たぬようにするもの。此方が本性だ」 「……いいでしょう。確かに先代が仰っていたように銀の髪に青の瞳。……此方に来なさい」  どうやら一応信頼はされたようだ。次の部屋に通される。 「当代は眠っております。どうかお静かに」  そっと部屋を覗き込む。そこにはまだ二歳程度の赤子がすやすやと眠っていた。あれが仇の息子。龍藍の瞳が憎悪に翳った。 「まだ物心もついていないでしょうに何と不運な……」 「はい。先代はとうに亡く、奥方様も当代様をお産みになって半年後にお亡くなりに……」  龍藍が同情するかのような言葉を述べると、女は苦しそうに言った。仇の子とはいえ、両親をこのように早く亡くすとは。同情しない訳ではない。それでも叔父と似た幼い寝顔を見ていると、腹の奥底でじわりと仄暗い感情が燃える気がする。いや、幼子に復讐を向けるべきではないし、復讐をする時期は今ではない。 「私は10年も諸事情で人目を避けた場所で陰陽道の修練を行ってた身。力不足でございましょうが、ご当主が元服するまでの間、蒼宮家の地位を維持する為、そしてご当主が立派な陰陽師になられるように支え続けましょう」  龍藍は片膝を付き、頭を垂れると誠意のこもった声で告げた。修練を行っていたのは嘘ではない。山の屋敷に幽閉されてすることがなかったのだから。龍藍の宣言に女は感激したのか分からないが、口を開いた時涙声になっていた。 「ありがとうございます……。蒼宮の親族は残っておらず、このままではと悲観していたところなのです。先代はこのような時を想定して貴方をお遣わしになったのでしょう」  蒼宮の親族が残っていない……? それはどういうことなのだろうか。それと武家の方の蒼宮の親族は? 幽閉されている間に何が起こったのだろうか。  一応この宣言で多少は信用されたのか、部屋に案内されそこで泊まることになった。それでも完全に信用された訳ではない。これからあの幼子に信用され、土御門からの信用も得なければならないだろう。部屋で考え込む龍藍を銀雪は心配するように見つめていた。 『陰陽師となり、紅原の一族郎党を処分せよ』  幽閉されている間、叔父上から何度も言われた。父を殺した鬼祓いを殺せと。だが父を死に至らしめたのは叔父上に相違ないだろう。それが間接的か直接的にかは知らないが。龍神によると、父は襲撃者である外法師二十名を殺した罪で手を汚している。そして……。 「ただ……お前の父を殺したのは紅原なのは間違いがない。それはお前の父を思ってのこと。妻子を喪った悲しみから抜け出せずにいる今の紅原に近づくのはちと危うい。時期を見てから、紅原に事情を聞いてみるがいいさ。紅原を生かすも殺すも、お前の判断次第」  そう言われたのは数ヵ月前。訳が分からない。外法師と鬼祓いは別物。しかし父上を殺したのがあの紅原。私の義父になる筈だった方が? 一体どのような理由があったのだろうか。父上に聞きたかったが、父上の魂は輪廻に入らず龍神の元で浄化の眠りに入っている。そんな父上を起こすことは出来ない。 「一体何が正しいのか………」  父上は私と銀雪を逃がして亡くなったので、父上の最期を知らない。ただ父上が亡くなった瞬間を悟ったのは、あの時突然涙をぼろぼろと流した銀雪の顔を見たときであった。いつも笑って私に接してくれた銀雪があんな風に泣いているのを見た時、苦しくて一緒に泣いてしまいそうになった。 「龍藍、お前が何を考えているか聞かないが……絶対に自分を蔑ろにするな。氷雨のように」 「……うん、分かっている」  父の死の真相は知りたいし、仇が生きていれば討ちたい。だが復讐に心を染め上げてはいけないのだ。龍神に仕える身となった今、寿命で死ぬことは数百年程ないのだ。復讐のまま死ぬ羽目となって、銀雪を遺して死ぬわけにはいかない。龍藍の青い目が憂いで染まる。 「楓殿……」  この想いが叶わぬ今も、私は貴女を想い続けている。貴女を喪った私は銀雪以外の何を(よすが)に生きれば良いのだろうか。これから起こる未来を知らぬまま龍藍はかつての許嫁の名を呼んで目を閉じた。  次の日になり、昨夜寝ていた当主に挨拶することにした。 『幼名は翠雨(すいう)と決めた』  昨年の五月の頃であったか、叔父上は山の木々を見つめながら私に言った。叔父上は父上と違って長い間、子に恵まれなかった。そこにようやく生まれた子供。私は叔父上に捨てられると覚悟していたが、叔父上はこう続けた。 「おぬしが翠雨を守れ。……私がおぬしに命じたことよりもそちらが優先だ」  叔父上は知っていたのであろうか。「翠雨」という名前には私の父の幼名と、私の父が私の母に贈った名前が一文字ずつ含まれていることに。あの時の叔父上はいつもの恐ろしい表情などしておらず、どこか悲しげで遠くを見つめた瞳は憂いを帯びていた。叔父上は……私の両親にどのような思いを抱いていたのだろうか。顔を伏せて幼子が現れるまで考えていると、足音が近づいてきた。 「龍藍殿、昨夜も紹介した通り、此方に御座おわします方が翠雨様にございます」  私が頭を上げると、翠雨という幼子はキョトンとした顔で此方を見つめていた。蒼宮特有の深き海原の如き青い髪に透き通ったような青い瞳。あの女に抱き抱えられた幼子は、短い腕を此方に伸ばしてきた。 「翠雨様がお呼びです。来なさい」  私は立ち上がって近づく。幼子など触れたことがない。子供がいつ泣くか分からなくて幼子の腕が少し届かぬ距離にいると、背中を押された。 「若君が届かないだろ。早く寄れ」  背中を押したのは、自分より年下の少年。身なりからしてこの屋敷に仕えているのだろうか。銀雪に視線で助けを求めたが、銀雪は少しにやっと笑うだけ。嫌だ。赤子同然の子供になど……。だが背中を押されたせいで、幼子に近づいてしまう。ついには幼子の小さな手が私の指を掴んだ。 「ひっ……」  短く小さな体温が指に伝わった途端、私の喉から引き張った声が喉から零れる。怖い。たかが幼子相手に怯えるとは滑稽であろう。それでも、怖くてたまらなかった。まだ私が半妖だとこの屋敷のものは気づいていないだろう。だが幼子は敏い。私の身体に流れる龍の血に気づき怖がって泣いてしまったら……。はらはらとしながら幼子を見つめる。幼子は私の顔を見る。そして…………ふわりと笑った。 「っ……」  その無垢な笑みに心を突き動かされた。私の心の暗い部分など、知らぬと言うかのような眩しい笑顔。そんな笑顔で見られてしまえば、私という在り方が瓦解してしまう。そんな大袈裟な錯覚さえしてしまった。 「翠雨様を抱いてみますか?」  固まって動けなくなった私に女が問うた。幼子の抱き抱え方など知らない。 「いえ……私は……」 「翠雨様が貴方を気に入られたというのに拒むのですか?」 「う……。いえ、そんなことは」  拒みそうになった私を女が睨んだので、拒むことが出来なくなってしまう。幼子の抱え方を教わってからゆっくりと受け取る。布越しでも伝わる幼子のぬくもりと重み。幼子は……いや翠雨は無邪気な笑みで私の腕を掴んだ。  父を死に至らしめ、私を幽閉した仇の息子。今でも叔父に矢で胸を貫かれ殺されかけた痛みを忘れることが出来ない。会う前は恨みのひとつでもぶつけようと思っていた。だが………。 「……翠雨様、どうぞよろしくお願いします」  龍藍は心のそこから優しい笑みを浮かべて翠雨を見つめた。  それを傍らから見ていた銀雪はほっと息をついた。幽閉されている間に、どれだけの辛苦を味わったのか、龍藍……いや夕霧の表情には陰りや憎悪があった。そんな龍藍が憎いであろう仇の子供に慈愛を向けている。良かった。これなら憎しみに溺れることが無いかもしれない。これ以上、龍藍が負の感情を得ないようにしなければ。銀雪は愛する人間(氷雨)の形見である刀の柄を無意識の内に掴んだ。

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