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狐の子の子孫

 出自を伏せる我が身を容易く陰陽寮に迎える訳もなく  翠雨ときちんと顔合わせをした後、陰陽師を統べる土御門に連絡を入れることにした。向こうからすれば、あまりに突然の事態であろう。中々返答が無かったので、その間は屋敷内の様子を丹念に調べることにした。  既に叔父が私を養子として表向きには迎えていた為か、受け入れられはした。そして私を怪しんでいた者も、翠雨が私を気に入ったことで少しは信用してくれたようだった。翠雨にはまだ複雑な感情はあれど、憎しみはもう無い。あの女……いや睡蓮はもう信用してくれたのか、忙しい時に私に翠雨の面倒を押しつけるようになった。 「りーあー」  名前を覚えてもらえるように一応教えてはみたが、当然まだ言葉となっていない。 「懐かしいなあ。お前がそんなに幼い頃に俺も俺の名前を覚えさせようとしたっけな」  銀雪がしみじみと頷く。そうなのか。いかに私が半妖であれど、物心つく前のことなど覚えていようがないので、初めて知った。 「そう言うなら銀雪、子育ては上手いんだろう? 交代してくれないか」 「もう疲れたのか? 仕方がない」  翠雨を銀雪に渡すと、銀雪は翠雨を器用にあやした。すると翠雨はキャッキャと笑う。驚いた。この子供は妖狐である銀雪にも懐くのか。いや……私よりも懐いているような……。ムッとする龍藍を見て銀雪は噴き出しそうになる。 そんな時、突然ドタドタと走る音がした。 「大変だ。土御門がいらっしゃった!」  息を切らせて走ってきたのはあの時背中を押した少年の風太。いよいよか。龍藍は覚悟を決めるように拳を握りしめた。  急いで晴子殿の呪具を首にかけ客間へと向かう。そこで待っていたのは、冷たい印象の青年であった。歳は私と同じ程か。美麗さが若干晴子殿や時雨、楓に似ているのは気のせいだろうか。男は立ち上がると、笑みを浮かべたがその紫に近い色の瞳は冷ややかな物であった。 「お初にお目にかかる。蒼宮の養子殿……いや、蒼宮の若君と呼べば良いのかね?」  嫌味ったらしいにも程がある。龍藍は平常を保ちながら口を開いた。 「これはこれは。此方から参上いたそうと思いましたのにわざわざ御足労なことで。一応文には書いておりましたが、名を名乗っておりませんでしたね。私、蒼宮龍藍と申します」 「俺…じゃなくて私は土御門家次男の綾人(あやと)」  土御門家の次男がどうしてわざわざ此方まで来たのだ。使いを出せば良かろうに。私がこっそり袖の下で印を組もうとした時、手首を掴まれた。 「何を……!」  私が睨むと、綾人は無表情でぎりぎりと私の手首に爪を立てた。 「蒼宮家の者が認めようが、貴様のような慮外者を陰陽師の頭たる土御門家が認めると思うたか? さあ来い。貴様を土御門の元で裁きにかけてやる」  疑われるとは思ったがここまでとは。ここで抵抗すれば余計疑われる。私がどうしようか悩んでいると、慣れた気配を背後に感じた。 「貴族の癖に手荒いことをなさるもので。品格が疑われるのではないか?」  気がつくと、綾人の首に刀が突きつけられている。背後に目を遣ると、銀雪が恐ろしい顔で綾人を睨みつけたまま、父上の刀の柄を握っていた。  綾人は顔を恐怖で引きつらせたが、すぐさま冷酷な表情に戻り、銀雪を睨み返した。 「ここで私を殺せば、貴様等の命は無いぞ。分かっているのか」 「百も承知。だが先に手を出してきたのは貴様であろうが。我が主の手を離せ」  綾人は舌打ちすると、ようやく手首を離した。強く掴まれたせいか手首は赤くなっている。 「そちらが手荒な真似をなさらないのであれば、大人しく、ついていきますよ。ですが手荒な真似をなさるのであれば、此方も大人しくするわけにはいきません」 「……すまない、気が急いてしまった。龍藍殿、我が屋敷に来て頂きたい」  流石にやりすぎてしまったと思ったのか、綾人殿はばつが悪そうな顔をする。銀雪にちらりと目を遣れば、銀雪はまだ不機嫌そうな顔をしていた。 「我が式神である銀雪を傍に置いてもよろしいのなら、参りましょう。銀雪、それでいい?」 「仕方がない。龍藍殿、貴方がこの狐の手綱を握るというのなら構わない」 「そういや、土御門は狐の子孫なんだよな。……ああそれで」  悪そうな顔で笑う銀雪を、ぎりっと歯を噛んで睨み付ける綾人殿。銀雪の気持ちは分かるが、ここで煽るのはまずい。 「銀雪あまり良くない物言いは止めて。綾人殿、では土御門の屋敷に行きましょう」  龍藍が穏やかな笑みを繕うと、綾人は何故か大きく目を開いた。一体どういうことだろうと龍藍が首を傾げると、綾人は背を向けた。 「では行こう。我が土御門の館へ」  数日過ごした蒼宮の屋敷を出る。これが最後でないようにと祈りながら、蒼宮の屋敷を一瞥した。 幸い手に縄を掛けられずに済んだので、端から見ればただ3人で出歩いているようにしか見えない。 「綾人殿、貴方に式神はいらっしゃるのですか」  すると綾人は苦虫を噛み潰したような顔で、目を逸らした。 「……いない。別にいなくったって私は平気だ」  先程仰っていたように綾人殿は土御門の次男だ。ならば十二天将数名の所有権は兄の方に引き継がれたのか、あるいは今後その予定なのか。 「龍藍殿、貴方はいつその狐を式神にした?」  一介の藩の学者であった父が幼い頃に銀雪を拾って式神とした。そんなことをそのまま言うのはちとまずい。さて何と誤魔化そうか龍藍は考えた。 「山に籠って修練をしていた頃、前の主を失っていた銀雪と出会いまして式神となってもらいました」 「山に籠って修練ねえ……私もやってみようか。……いやでも鬼祓いと鉢合わせになれば面倒だし……」  ぶつぶつと独り言を口にしながら、綾人殿が前を歩く。土御門の口からも鬼祓いという言葉が出るということは、陰陽師の界隈でも彼らは知られているのだろうか。 「龍藍殿、着いたぞ。ここが土御門の館だ」  いつの間にか着いていたようだ。私が見上げると、そこには蒼宮屋敷よりも立派な屋敷があった。ここが陰陽師を統べる一族の屋敷。緊張する龍藍の隣から銀雪が背中にそっと触れる。今は傍に銀雪がいてくれるのだ。堂々と自分が出来ることをしよう。龍藍は銀雪に微笑むと、土御門の門をくぐった。  土御門の屋敷は何重もの結界で覆われた空間で、中に入った途端に清らかな空気に包まれた。そして屋敷の中から体の神気を感じる。恐らくは天将の二人、貴人と天后か。こんなことを言うのも何だが、銀雪と私では太刀打ちも出来ないだろう。下手に動くのはまずいか。龍藍は平常を保ってはいるものの、緊張のあまり己の鼓動がうるさく感じた。 「兄上、お連れしたぞ」  戸を開けた綾人殿に続いて入る。そこに立っていたのは、柔和に笑う青年であった。 「お初にお目にかかります、蒼宮龍藍殿。私はそこの綾人の兄である土御門晴彦と申します。現在は父の代理として陰陽家の管理を行っております」  性格は正反対であるようだが、晴彦殿も十分端正な顔立ちである。そしてこの人が土御門の跡継ぎなのか、十二天将が隠形して背後に控えていた。 「此方こそお初にお目にかかります晴彦殿。此方から参上いたそうと思っておりましたのに、申し訳ありません」 「いえいえ、そんな大したことではありませんので」  言い終えると、さっと周囲の温度が下がった気がした。晴彦殿の瞳を見ると、抜き身の刃を思わせる冷たい色をしている。 「さて蒼宮殿、貴方には色々お聞きしたいことがあります。陰陽寮とは帝に仕える生業。いくら蒼宮家と名乗っていても不審な部分があっては困りますからね。よろしいですかな」  背筋が一気に寒くなり、身震いしたくなる。だがそこをこらえて龍藍は真っ直ぐと見返した。 「はい勿論です。此方も疑いは早めに晴らしておきたいと思いましたのでね」  晴彦と龍藍は互いに視線をぶつける。二人とも微笑を浮かべてはいるが、互いの目は冷たく相手を見据えていた。  挨拶の後、晴彦殿に奥の部屋に通された。部屋には屋敷の周囲の物よりも厳重に結界が張られている。少しでも晴彦殿が私を害ある者と見なせば、すぐにこの結界は発動するだろう。銀雪は隠形しているが、この部屋には入れないようだ。 「では、一刻程時間をお与えしますので机の上にある問いを答えてください」  文机の上にあるのは、陰陽道に関する問いが記されているであろう紙の束。まずは知識を測ろうという訳か。龍藍は文机に向かう。 『龍藍もし何かあれば呼んでくれ』  部屋が閉ざされる寸前、念話を介して銀雪が此方に声を掛ける。龍藍は頷くと、部屋の襖が一気に閉ざされた。 「さて解くとするか」  問いを見る限り、そこそこの難問は含まれてはいるが大したものでもない。そう感じるのは十年間幽閉されて、自分が出来ることが陰陽道の勉強くらいしか無かった為か。龍藍はあっさりと全部解いてしまうと、文机に顔を伏せてぼんやりと微睡む。  狭い場所に閉じ込められるのは苦手だ。叔父上の機嫌を損ねるとこんな狭い閉じ込められたのだ。誰も助けてくれる人などいなくて寂しくて涙で頬を何度濡らしたことか。まあもうそんな叔父上はいないのだが。 「さて……次は何をすればよいのだろうか」  独り言を呟くと襖が静かに開く。龍藍は眠くなりかけた意識を醒ます為に己の頬を軽く叩くと、背をしゃんと伸ばした。  襖を開いたのは綾人であった。綾人は盆を持ったまま、部屋に入ってくる。綾人殿は文机にある問いが記された紙と問いを解いた紙を見比べると私の隣に座った。 「随分とお早いことだこと。……まあ何だ。兄が来るまで少し休むといい」 文机の上の紙の束を回収する代わりに、綾人殿は緑茶と団子を文机の上に置いた。 「…………何故?」 「何故って……一応は客人だから」  客人というよりも私は下手人に近い扱いのような気がしたのだが。まさか毒でも入っているのではないか。私はじっと茶と団子を見つめたが見た目には異変は無さそうな気がする。 「毒なんて入れてない。これは俺……私が今さっき買ってきた物だからな。疑うならば一本食べるぞ」  綾人はおもむろに団子を手にとって食べる。彼があまりにも美味しそうに食べるものだから、私は思わず生唾を飲み込みそうになった。団子なんてここ10年の内に片手で数える程度にしか食べていない。    それも少し時間が経ったものばかりだったから、できたての団子が美味しそうに見えてしまう。 「龍藍殿食べたいか?食べたいなら食べるといい。貴方のために買ってきたのだから」 「……有り難く頂く」  龍藍は恐る恐る団子を食べる。久しぶりに食べる甘味は頬が落ちそうな程甘くて美味しい。隣を見ると、綾人殿が団子を食べながらにこりと此方に笑いかける。その笑みがかつての親友(時雨)に重なってしまい、龍藍の胸がずきりと痛んだ。  茶を飲み終えると、足音が近づいてきた。開いた障子の向こうから顔を出したのは、晴彦殿である。 「龍藍殿お待たせしてすみません。では今から私がお相手致しましょう。綾人、一旦下がりなさい」 「……はーい」  綾人は身体が重いとでも言うようにゆっくりと立ち上がる。綾人は襖を閉める前、ちらりと私の方を振り返った。その瞳にどのような感情があったかは分からない。だがその紫には最初にあった敵意を感じなかった。 「さて、龍藍殿。まずはこれで貴方が蒼宮の血筋なのか調べさせて頂きます」  差し出されたのは銀色に光る針と、真言に似た呪字が描かれた紙。これを血で濡らせば良いのか。眼球を抉られる痛みよりは些末な物だ。 「針は指先でよろしいでしょうか」 「ええ。1滴分で結構です」  龍藍は受け取ると、針で指を刺した。ぽたりと紙に血が落ちた途端、文字が淡く青に光る。晴彦殿はじっとそれを眺めていたが、私が紙を差し出すとそっと受け取った。 「ありがとうございます。では最初に申したようにこれからいくつか質問をさせて頂きます。……本当によろしいですね?」  晴彦殿の瞳が抜き身の刃の如くぎらりと光る。そこまで念押しするということは、根掘り葉掘り聞かれるということか。ここで僕が蒼宮夕霧とバレてはいけない。慎重に答えなければ。龍藍は微笑みを繕った。 「はい。そうではなくては陰陽寮の門をくぐることなど出来ませんからね」 「よろしい。ではお聞きしましょう。貴方と現当主以外の蒼宮の一族が、貴族も武家も共々全員お亡くなりなのはご存じですか?」 「………………はい?」  衝撃的過ぎる質問に、龍藍は全身の血の気が引いた気がした。 「そのご様子だと、ご存知でないといったようですね。ちなみに貴方が森で修練を始められた頃でしょうか。武家蒼宮の本家である蒼宮零月殿がその嫡男が何者かによって襲撃を受け、零月殿が亡くなり、嫡男が行方不明なことはご存知ですか?」 「……いいえ。存じ上げません。ですがあの頃は薄氷が暗い面持ちをしていた気がいたします」  嘘だ。叔父上は父の死を何とも思っていなかっただろう。それどころか、私を都合の良い道具扱いするための手段としてその話題を持ち出していたのだから。龍藍が目を伏せて答えると、晴彦はただ龍藍の瞳を見つめる。 「そうですか。薄氷殿にとっては零月殿は実の兄ですので、兄と甥を喪った悲しみはさぞ大きかったでしょうね」  いや叔父上は私の父殺しに関わっているし、私は叔父上に胸を射られた。等と言ってしまいたくなるがそこは我慢しなければいけない。晴彦殿の言葉に頷いた。  その後の質問は私の出自に関することなどであった。私は叔父上に叩き込まれた偽の情報を答える。怪しい部分が無いのか分からないが晴彦殿は表情を変えないまま頷いて紙に記録を取っていった。一旦部屋を出られ、不安で堪らなかったが四半刻後に晴彦殿は戻ってきた。 「……よろしい。陰陽寮の方に入れるように手続きをいたしましょう。知識を測らせて頂きましたのでそれによって、何処に所属になるのか決めます。ですが、まだ貴方は完全に信用出来る訳ではありません。そこで……綾人、盗み聞きなどせず入りなさい」 「ちっ……」  ひとりでに音を立てて襖が開く。襖の先にいた綾人は驚いた顔をしていたが、大人しく部屋に入り晴彦殿の横に座った。 「これから一年間我が弟こと綾人を貴方の監視として蒼宮邸に置きます。それが貴方を陰陽寮に迎える条件です」 「……え?」 「あ、兄上何で!?」  龍藍と綾人は動揺を隠せぬまま互いの顔を合わせた。晴彦は扇を広げて笑みを浮かべる。 「綾人はもうとっくに元服した身。貴方が婿入りするかどうか分かりませんが、いづれ土御門の屋敷を出る日が訪れるでしょう。独り立ちのためには良い訓練なのでは?」  いや、だからと言ってどうして僕の監視に綾人殿を置くのだ。監視の結界なり張れば済む話だろうが。龍藍は慌てて口を開いた。 「ですが綾人殿は大事な土御門の君ですよね。そんな方を危険に晒すことにはなりませんか?」 「いえいえ、私と綾人はかの安倍晴明の血を引く土御門の末裔。陰陽師を統べる一族がちょっとやそっとの危険に怯えてどうするのです。それに……蒼宮家の若君である貴方が、綾人に危害を加える訳無いじゃないですか」  晴彦は飄々と笑って見せる。だが目の奥には鋭い光が宿っている。穏やかに言っているように見せて、此方を牽制しているのだろう。不服だが諦めるしかないか。 「そうですね。その条件を飲みましょう」 「何で龍藍殿まで!? おい、貴人と天后!兄貴を止めてくれ!」  すると綾人が突然、見えない何かに首根っこを掴まれる。 『諦めなさい、綾人。これは晴彦と君のご先祖が相談した結果だ』 『そうですよ。蒼宮の若君、後程綾人の荷を運びますので部屋の準備をば』  頷くと、綾人の背後の気配が微笑を浮かべ綾人を外へ運んでいった。私はそれをただただ眺めていたが、晴彦殿に名を呼ばれて我に返った。 「龍藍殿、綾人はああ見えて根は優しい子です。どうか仲良くしてやってくださいね」  仲良く出来るのだろうか。不安もあるが、団子の件を思い出すと綾人と少しは上手く行きそうな気がする。 「はい、承知いたしました」  龍藍が平服すると晴彦は初めて柔らかく笑った。

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