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ちぐはぐな2人の夜

団子の時に信用したのが間違いだったのか  蒼宮家の屋敷にようやく慣れてきたと思った矢先に、土御門の次男が住むことになるとは。いやそれ以前に翠雨に会わせても大丈夫なのだろうか。龍藍は銀雪と綾人と歩きながら、そんなことを考えていた。 「どうして俺がこんなことに……。あのくそ兄貴め……」  陰陽師がそんな軽率に悪口を言って良いのだろうか。龍藍は睨みはしないが、ちらりと綾人を横目で来た。 「龍藍殿、そもそも貴方のせいだ。貴方は養子だろ。どうして貴方は早く森を出てこなかったのか」 「亡くなった薄氷に仰ってください。とは言え、死人に口はありませんが」  龍藍はふいと顔を背けた。そりゃあ多少は私に非があるとは思うが、刺々しい口調で言われると気分が悪い。 「あんたや蒼宮家が色々最近怪しいから、兄貴が疑うのも分かるさ。大体あんただって、本当にあの出自なのか? 本当はあんたが嫌いで、薄氷殿はあんたを森に閉じ込めたんじゃないのか? あんたのような霊力と知識の持ち主は化け物同ぜ……」  何も知らないお坊っちゃまのくせに、ずけずけと言ってくれるものだ。龍藍は堪忍袋の緒が切れた気がした。銀雪が口を開くよりも早く、龍藍は綾人の胸ぐらを掴んだ。 「だからなんだ。化け物で何が悪い。狐の血で上りつめた家系の者がどの口を叩いてる」  静かであるがどこまでも冷たい龍藍の口調に、銀雪は周囲の温度が一気に下がったように感じた。こんなに激怒する龍藍は初めて見た。此処で手を上げれば色々とまずいことになりそうだ。銀雪は龍藍の手を掴んだ 「龍藍止めろ。戯言を一々気にするな」  銀雪の声に龍藍は手を緩める。すると綾人はふらつきながら離れた。  綾人は何か文句を言いたげに此方を睨んだが、ふんとそっぽを向いて蒼宮屋敷につくまで黙ったきりであった。蒼宮家につくと例の女こと睡蓮が出迎えてくれた。 「おかえりなさいませ龍藍様。あら、そちらの御方は土御門の方でしょうか」 「ええ、諸事情で此方に一年滞在されることになりました。よろしければ、部屋の一室を用意出来ますか?」  すると睡蓮は笑みを浮かべて頷いた。 「勿論ですよ。用意いたしますので、しばしお待ちを」  睡蓮は早足で奥へ向かい他の下男下女に指示している間、私は綾人を案内する。綾人にお茶と菓子を出すと、私はすぐさま立ち上がった。 「では綾人殿。部屋の用意が済むまで休んでいればいい。私は用があるので失礼する」 「客人を置いて何処に行くつもりだ」  こんな人間を客人扱いしたくないのだが。龍藍は冷たい目で綾人を見据えた。 「化け物と私を罵ったのは貴方だ。ならばこんなに化け物の私とは一緒にいたくあるまい。では」  龍藍はすたすたと客間を離れ、自室に戻った。第一、人を化け物扱いとは躾がなっていないのではないか。そも異端の者を化け物扱いしているようなら貴方のご先祖は何だと問いたくなる。貴族とはあんな奴らが多いのだろうか。苛立ちを隠せない龍藍に対し、背後からついてきた銀雪ががばっと背後から抱きしめた。 「なっ……!? 何だよ銀雪いきなり」 「怒るのも分かるが、あんな態度はいけないだろ? 夕霧、あいつは一応は目上の者だから、粗末に扱うと大変なことになるぞ」  銀雪のふわふわの尻尾が身体を撫でる。ゆらゆらと揺れる尻尾と銀雪の温もりに包まれる内に龍藍の怒りが解けていった。  龍藍は銀雪の腕に触れると目を伏せる。こんなどうしようもない負の感情を抱えているときに、大切な者が傍にいることの何と心強いこと。 「だって……此方のことを知らないくせに化け物呼ばわりなんて酷いじゃないか。きっと此方の素性を知れば、此方に刃を向けかねない」 「だから素性を偽っているんだろ。ならば少しでも信頼関係を築き上げないと怪しまれるままだ」  分かってはいる。だが、あの人を好きになろうとは思えないのだ。ぎゅっと銀雪の腕を掴む龍藍に銀雪は苦笑する。 「龍藍は化け物なんかじゃない。翡翠と氷雨、そして俺の大切な子だ。だから奴の言うことなんか気にするな」  銀雪の言葉が傷ついた胸に温かく染み渡る。そうだ、私は三人の子なのだ。誰から化け物と言われようが、その事実は変わらない。 「銀雪……ありがとう」 「どういたしまして」  目を閉じると一気に今日の疲れがどっと身体に押し寄せて来て、眠くなる。身体を預けてすうすうと寝息を立てる龍藍の抱き締めて、銀雪は穏やかな顔で見守っていた。  龍藍が気がつくともうすっかり外が暗くなっていた。起き上がると身体に掛かっていた羽織がずれ落ちる。辺りに目を向けると、銀雪が傍に横になって寝息を立てていた。どのくらい寝てしまったのか。龍藍が銀雪に羽織を掛けてから障子を開けてみると、澄み渡った空に星々が輝いていた。 「綺麗だ……」  こういう夜には笛が吹きたくなる。龍藍は山から持ってきた笛を取り出すと、庭まで降りる。そしてひょいと飛び上がると屋根に上った。屋根に上ると一層星がよく見える。龍藍は腰を下ろすと、唇を笛に当てた。  その頃、貴族らしい調度品と陰陽道の道具が置かれた部屋の中。綾人は自責の念で、胸が苦しくて眠れずにいた。昼間はあまりに突然の兄の言葉に怒ってしまい、龍藍殿にとんでもないことを言ってしまった。人とは考えられぬ程の霊力と知識を持ち合わせた彼。必死に陰陽道の勉学と修練に励んでいた俺を易々と越える彼に対する嫉妬を最悪の形で向けてしまったのである。 『だからなんだ。化け物で何が悪い。狐の血で登り詰めた家系がどの口を叩いてる』  細身であの狐がいなければ己の身を守れぬか弱い男と思って侮ってしまった。だが、此方の胸ぐらを掴んだ強さは間違いなく男の物であった。 「本当に俺は最低だ………」  彼が拒絶するのも当然であろう。あれで相当怒らせてしまったせいか、夕食の時は一切姿を見せなかった。仲良くなりたいと思って、団子など買って食べてもらったというのに、自分で彼と仲良くなる機会をどぶに投げ捨ててしまったのだ。 「謝らなくては……」  それ以前に、彼に近づけられるのだろうか。綾人の脳裏に銀髪の妖狐の姿が浮かぶ。俺が龍藍殿を『化け物』と言った際、俺の胸ぐらを掴んだ龍藍殿を宥めてくれた。だが、俺を恐ろしい眼で射抜いていたのである。此方も睨み返したが、龍藍殿からすれば自分が睨まれたと勘違いされてそうだ。 「ああもうどうする……!」  最悪だ。このままではろくに話も出来ないじゃないか。ごろごろと御簾の前で頭を抱えて転がる。その時、美しい笛の音色が耳に響いた。 「笛…………?」  こんな夜更けに誰が笛を……? 綾人は御簾を上げるとそっと庭に出た。  晴れ渡った夜空に響き渡る笛の音。物悲しくも美しいその音色は綾人の胸を貫く。 「…………っ」  何故か目の奥が熱くなって、頬を熱が伝い落ちた。これは心を操るといった呪いだろうか。笛の音色は笛の主の悲しみを悲痛に訴えているようだった。綾人は濡れた顔を袖で拭うと、庭に出て笛の主を探した。どうやら笛の音は屋根の上から聞こえるようだ。綾人が視線を屋根に向けると一人の人影が座っていた。月の光で輝く長い銀の髪。老人かと一瞬思ったが、あの光沢からして年若い者であろう。横顔が髪に隠れて見えないがあの妖狐が笛を吹いているのだろうか。 「良い音色だ……」  思わず感嘆の言葉が口から零れる。その途端、銀の髪の笛の主と目が合った気がした。笛の音が止み、いきなり濃い霧が現れ、視界が見えなくなる。 「な……何だこれは……!?」  これも何かの術だろうか。綾人は咄嗟に懐の霊符を手に取った。待ってくれ行かないでくれ。無性に逸る心のままに霊符に込められた術を発動させる。瞬く間に霧は晴れていったが、もうあの銀髪の人物はいなかった。 「天女か?……いや、衣の作りは男物。神か鬼か」  そんなのはどちらでも良い。……いやなるべくは人を食った経験が無いほうが、祓わないで済むのだが。綾人は先ほどまで銀髪の男がいた場所を見つめる。 「君は一体誰なんだ……」  先程の笛が聞きたい。彼の顔が見たい。だが彼がいない今、そんな気持ちは叶わない。 「また会えるといいのだが」  綾人は空を見つめながら、寂しげに呟いた。  静かな宵の時、晴彦は目麗しい青年と酒を飲み交わしていた。 「晴彦、君はあの青年をどう思う?」  青年が微笑を浮かべて首を傾げる。酒を静かに飲んでいた晴彦は盃を静かに置いた。 「……十中八九、龍藍殿は素性を偽っていると思いますよ。まだ確証したわけではございませんが………貴方と同じ半妖かと」 「半妖か。だとしたら2人目の半妖の陰陽師となるのかなあ。お仲間が出来るなら楽しみだ」  からからと青年は笑い声を上げる。晴彦はそんな青年を浮かない顔で見つめた。 「本当によろしいのですか? 陰陽寮に入れても。彼は十年間山で修練していたと言っていましたが、今時そこまでしますかね? それも蒼宮の名を名乗るものなのに元服の儀でお披露目も無しに」 「…………まあ、幽閉されていたと考えて良いだろう。幽閉すれば、薄氷の都合の良いことばかりを植え付けることができるから」  薄氷の名前を出した時、青年の瞳に鋭い光が宿った。その光を認識した途端、晴彦は背筋が寒くなる。薄氷殿、ご先祖様をここまで怒らせるだなんて貴方は一体どれ程のことをやらかしたのか。 「今後は、龍藍君の監視が主かなあ。同じ半妖のよしみであの子には一回会ってみるとするよ」 「それがよろしいかと」  青年はふふっと笑って酒を飲み干す。青年は立ち上がってじゃあねと晴彦に手を振ると、瞬く間に姿を消した。青年のいた後には、一枚の桔梗の花弁。晴彦は拾って溜め息をつく。 「龍藍殿が何も企んでいなければ良いのだが」  父上の義兄弟や叔母上(晴子殿)、そして従妹()を含めて最近は身の周りで人が亡くなりすぎだ。これ以上誰も血を流すことが無いようにと晴彦は震える手で祈った。  龍藍は霧に紛れて部屋に戻ると、ぜいぜいとしながら突っ伏した。やってしまった。夜の変な気分の高揚感に任せて本来の姿のまま笛を吹いてしまった。しかもそれをあの綾人に見られるとは……。龍藍は煩く鳴る胸を呼吸で落ち着かせる。取り敢えず、現在の上司である龍神様に相談してみるか。龍藍は薄い盆に水を張ると霊力を込める。水面が青白く光ると、眠たそうに目を擦る寝起き姿の龍神様が映った。 『なんだい。ふぁ~あ。僕眠いのに』 「龍神様。とんでもないことをやらかしてしまいまして」  事情を説明すると、龍神は一言こう言った。 『もうっ、龍藍くんのばーか。僕が言えることはこれだね。知らぬ存ぜぬで突き通せ。終わりっ!』  その途端水がぱしゃんと跳ねて、龍神様の顔が映らなくなった。 「そんなあまりにも雑な……」  その夜はいつ綾人殿が駆け込んでくるかとびくびくしながら床に入ったせいで、眠ることが出来なかった。  次の日、綾人殿は気まずそうにこう問うて来た。 「龍藍殿、銀色の髪の笛の名手の鬼か天人を知っておられるか」  ……まさか鬼か天人と思われるとは。龍藍は平静を繕った。 「銀髪の髪など銀雪以外に知りません」 「俺は琵琶は少々出来るが、笛など吹かないしなあ」 「そうか……」  がくりと肩を落とす綾人殿が無性に気になる。だが、銀雪が恐ろしい眼光で此方を見ていたのでそれどころではなかった。そして二人きりになると、銀雪からたっぷりと説教を食らうのであった。  数日経って、龍藍は再び土御門邸に呼ばれた。今後の陰陽寮での出仕についての説明を受けるためである。夜型人間の龍藍としては夜に星の観測などの仕事を行う天文生か下端である丁稚奉公のような直丁だと思っていたがそのどちらも外れた。 「陰陽寮のことを貴方はまだご存知でないでしょうから、雑用である直丁か使部となって覚えて頂きたいと思っていましたが相談の結果、陰陽生となっていただくことにしました」 「わざわざ私などの為に有り難き幸せ」  ただでさえ、昼間にこうして邸に来るのも辛いのに昼型の仕事の陰陽生とは……。龍藍は顔を伏せた状態で苦虫を噛み潰したような顔をした。 「私が天文特業生、そして綾人が陰陽生に就いております。なので分からないことがあったら気軽に私や弟に聞いてくださいね」 「はい……」  よりにもよって、あの綾人と同じ部署につくこととなるとは。あの一件からろくに口も聞かないままで気まずいというのに。 「ところで今夜貴方に会いたいという御仁がおりまして、夜中にそちらにお伺いしてもよろしいでしょうか」  私に会いたい御仁? 殆ど京では面識のある者はいないというのに一体誰が。 「はい。勿論構いませんよ」  龍藍が素直に承諾する隣で、銀雪は妙な予感を感じていた。これは何だろうか。かなり悪い予感ということでもないが、良い予感でもないような……。銀雪は警戒するように周囲を見回したが、何も感じ取れないまま時が過ぎていった。  その頃、綾人は陰陽寮で浮かない顔で書物を運んでいた。また龍藍殿に謝れなかった。いい加減謝っておかなければ、話もままならないというのに。どう謝ろうか考えていると突然嫌な悪寒に襲われた。この悪寒は御先祖様の抜き打ち試験時以来である。 「まさか御先祖様が……? いや、いや気のせい……気のせい……」  綾人はぶつぶつと呟きながら、どうかこの悪寒が気のせいであってほしいと願った。

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