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離れての捜索
手分けして天将の捜索を行う内に、とある感情を胸に抱いた
「龍藍、夕飯の時間だぞ。起きろ」
銀雪に揺すぶられて目を覚ます。外は薄暗く、行灯の光が柔らかく部屋を充たしている。もうそんな時間かと龍藍は目を擦った。
「銀雪、僕どのくらい寝てた?」
「一刻と言ったところか。陰陽師殿の帰りが遅くてな。つい先程戻られたばかりだ」
これから一緒に食べると綾人と約束したのを銀雪も守ってくれているのか。それはありがたいが、寝顔を見られていないか不安だ。
「銀雪、綾人殿に僕の寝顔を見られてない?」
「いや、見られていたぞ。別に呪具も外していないから大丈夫だろ」
見られていただと!? 何ということだろう。みっともない姿を貴族に見られたのか。龍藍は頬が熱くなった。
「大丈夫じゃないだろ! 僕、いびきかいていなかった!? 寝相酷くなかった!?」
銀雪はしばらくきょとんとすると、肩を震わせ笑い始めた。
「そこ気にするのか? いびきはかいていないし、今日は寝相もいつもより可愛らしかったけど。あ~あ、おっかしい」
「もー、笑わないでよ銀雪。僕は真面目に聞いているのに」
頬を膨らませる龍藍に、笑いが止まらなくなる銀雪。銀雪は笑い涙を溢しながら、龍藍の不貞腐れた顔に幼い彼夕霧の顔を思い出す。
「あのー。龍藍殿と銀雪殿? もう入ってもよろしいか」
二人の騒ぐ声が収まると、遠慮がちな声が部屋の外から聞こえた。龍藍は驚きのあまり飛び上がりそうになったが、呼吸を整えて応えた。
「はい、綾人殿。どうぞお入りください」
部屋に入ってくる綾人。宿に着いた時と比べて、何だか浮かない顔をしている綾人が龍藍は気になった。
「綾人殿? どうなさったのです」
綾人は困ったように笑うと、首を横に振った。いつもと違い、元気が無さそうな彼の姿に龍藍は怪訝そうな顔をする。
「いや……何でもない」
そんな顔で何でもないと言われても説得力がない。龍藍は目の前に腰を下ろす綾人を、心配そうな顔で見つめていた。
食膳が運ばれるまであまり聞ける雰囲気では無かったが、綾人が酒を飲み始めると、ようやく綾人の顔が少し晴れた。
「綾人殿、もしや私の文が紅原殿の機嫌を損ねたのでしょうか」
「いや、紅原の頭領は龍藍殿の文に喜んでおられましたよ」
そうか。それは良かったと龍藍はほっと胸を撫で下ろした。あの人のことについては彼に親友として好意を持った父上と、敵意を持った叔父上の二人から話を聞いている。もし機嫌を損ねれば危ういから不安だったのだ。
「今回は龍藍殿に会えぬことを残念そうにしておられたから、いつか叔父……じゃなかった。紅原殿に会って頂けないか」
会いたいのは山々だ。それでもそれがいつかになるかは分からない。
「……はい、勿論です」
龍藍は罪悪感を抱えながらも、叶わないかもしれない約束を交わしてしまった。
「で、どうして陰陽師殿は帰ってきた時、浮かない顔をしていたんだ」
「銀雪!?」
そう直球で聞いては不味いのでは!?龍藍がハラハラしていると、綾人はまた困ったような顔になった。
「……紅原殿に零月殿の話を聞いてみたが………紅原殿の心の傷をいたずらに抉ってしまったような気がして」
父の名を耳にした途端、どくんと鼓動が鳴った。綾人は酒を一気に飲み干すと、話を続ける。
「紅原殿と零月殿が親友だったことも、紅原と蒼宮が和解を兼ねて二家の子を許嫁にしたことも知らなかった。俺は霊力で人の感情が分かるのだが……零月の話をする叔父上の霊力が悲しみで染まっていて、苦しかった。あの人、数年前に妻子を喪ったんだよ。時雨みたいにまだ悲しみから立ち上がれてないんだ。なのに親友を守れなかった上に、殺さざるを得なかった話をさせちゃってさ……俺最低だ……」
酒が入ると、饒舌になるのだろうか。綾人殿はそこまで話すと顔を覆った。守れなかった? 殺さざるを得なかった? 意味が分からないにせよ、父上の命を絶ったのは紅原に違いないことが確実なことに、龍藍は奥歯を噛んだ。龍神を信用してない訳ではない。だが神以外の人から情報を聞きたいと思っていたのだ。何にせよ、知りたい情報が聞けて良かった。
『……さっきから、綾人殿が紅原殿を叔父上と呼んでいるけど、どういうこと』
口には出さず、銀雪に念話で聞いてみると、銀雪はさも当然そうに答えた。
『ああその事か。秋也の妻である晴子が土御門家の本家の家系、つまり晴明の子孫だからだろうな』
へえ晴子殿は土御門の娘。……つまり、時雨が晴明殿に似ているのは土御門の血を引くから。
「えっ!? うっ………!?」
龍藍は思わず大声を出しそうになり、口許を押さえた。
「どうかされましたか? 龍藍殿。」
声を出した龍藍を綾人がじっと見る。龍藍が何でもないと言うと、綾人殿は思い出したように、手を叩いた。
「青龍に関しての情報も得ましたよ。なんでも、零月殿が襲撃された夜、紅原殿の部下が夕霧少年と零月殿の式神を保護いたしましたが、青龍の神気を纏った何者かに連れ去られたと。詳しいことは明日聞くつもりです」
そこで龍藍は思い出した。あの夜、叔父が何故か青龍の神気を帯びていたこと。そしてその神気の量は、まるで天将の生命力までもを根刮ぎ奪ったようだったことを。
その頃、晴明は晴彦と酒を飲んでいた。
「ご先祖様、龍藍殿を陰陽寮に迎え入れてから青龍捜索を命じれば良かったのでは? 青龍は無事なのでしょう?」
「……無事とはいかないかも」
晴明は今まで黒布で隠していた指先を、晴彦に見せる。晴明の手を見た晴彦は言葉を失った。
「それは一体……」
「本当は、あの夜、龍藍くんと綾人の様子を見る筈だったんだけどさ。綾人と龍藍君に依頼する直前にこうなった。辿ってみれば、耐えきれぬ苦痛に呻く彼の声が聞こえる」
しなやかな白絹の色の筈の指先は穢れで黒ずんでいる。そういえば、龍藍くんの母はあの穢れなき龍神とお知り合い。龍藍くんに投げ飛ばされたのは、無意識の内に龍藍くんがこの穢れに拒否反応を示したのかもしれないなと晴明は考えた。
「薄氷亡き今、彼の命を繋いでいるのは私の神気。故に青龍が今受けている穢れが移ったのかもしれないな」
今すぐ助け出したい。だけど、土御門現当主が京にいない今、私が抜け出せば土御門家が危ういという直感がある。
「それ程の穢れを青龍が受けているということは……彼は今どこに」
「分からない。……だけど、蟲毒を全身浴びる程の穢れに身を沈めていること。それだけは分かる」
神気の消耗が激しくなっている要因に、穢れが身体を侵すまで気づけなかったとは十二天将の主失格だ。青龍よ、どうして助けを呼んでくれないのだ。歯痒い思いばかりが気を急く。
「……龍藍殿の魂の陰陽は人より均衡が崩れやすい。もし穢れを浴びでもしたら」
「大丈夫。あの子には龍神がついている。それに君の弟も」
晴彦は不安のあまり、血の気が引いた顔を伏せて向いて唇を噛み締める。そんな晴彦の背を、晴明は撫でた。
夜が明けて3人は手分けして情報集めと捜索を行うことにした。勿論、龍藍と銀雪の二人と、綾人の一人という分け方であるが。龍藍と銀雪は龍神に指示された山に向かう。歩いてだと半刻かかるが、銀雪の背に乗っての移動だったのであっという間に辿り着く。銀雪は人型に戻ると、大きく背伸びをした。
「やっと、あのいけすかない陰陽師と離れられた」
「銀雪、そんなに綾人殿のこと嫌いなの? 会った頃よりは大分優しくなったでしょう?」
銀雪は不機嫌そうに尾をぱたぱた振る。最初は綾人殿に怒った私を嗜めていたというのに、今では綾人殿を嫌う素振りを隠さない。
「優しい人間であれば、最初から人を『化け物』呼ばわりなどしない」
「でも謝ってくれたからいいんだ。もう蒸し返さないの」
龍藍は苦笑すると、地図を見ながら印の位置に向かって歩く。銀雪の不機嫌さは治らぬままであったが、龍藍に怒りを向けているわけでもないので龍藍の傍を歩く。
「……あの陰陽師、お前に似た男に惚れたと言っていたぞ」
龍藍は碧玉の眼を見開いた。惚れた……? 私に似た誰かに……!? 龍藍は頭の整理が追いつかないまま、立ち止まる。
「……一体誰なんだろうね」
まさか本性姿の私ではと思ったが、すぐに考えを振り払った。同性同士での恋仲は父上と銀雪を目の当たりにしているから分かる。それでも
「僕のような化け物に惚れるわけがないだろ。銀雪、安心して良いよ」
龍藍は自嘲する笑みを浮かべる。地図を持つ指は微かに震えていた。
「だからお前は化け物じゃないと言っているだろう。自分を卑下するな」
優しい銀雪の声とぬくもりに抱き締められて、龍藍は泣き出しそうになった。
そもそも、この山は龍神の住処なのだから、貴方が山の穢れを浄化してくれれば良いではないかと考えてしまう。しかし、龍神は面倒臭いとでも言う顔をするのだ。
『ごめん。穢れってさ、僕触りたくないんだよ。何て言うのかな……君が苦手な百足をひっくり返して蠢いている足を触るみたいな』
具体的な表現で言い訳されたせいか、思い出すだけで鳥肌が立つ。龍藍は思わず身震いをすると、懐から霊符を取り出した。最初の目的地まで後少し。空気の澱みを感じ取った龍藍は霊符を構える。その瞬間、山椒魚の姿をした穢れの塊が襲い掛かる。龍藍は避けると、霊符を素早く投げつける。霊符は矢のように勢い良く敵に貼りついた。
「これなる穢れを祓い給いて、龍神のご威光を示したまえ」
すると霊符から青白い光が飛び出し敵の身体を包んでいく。敵が身悶えして悲鳴を上げている隙に、銀雪が刀で両断した。
「呆気なかったな」
「そうだね。銀雪の太刀筋がいいお陰だよ」
龍藍は銀雪が刀をしまうのを見ながら、微笑んだ。呆気なく倒せたのは銀雪の太刀筋だけではない。此処は龍神の霊山。ならば龍神の神気を借りることが容易に出来る。まあ龍神の山で真言を唱えれば『浮気者』と怒られそうだし浄化の術なら龍神を頼った方が都合がいい。
一応、周辺を調べたが、此処の穢れはあれを倒したことで浄化が済んだようだ。青龍の痕跡は何処にもない。
「次行くよ」
果たして今日中に見つかるだろうか。龍藍と銀雪は地図の次の場所に向かうことにした。
龍藍と銀雪は次々と地図の印の場所へと移動する。龍藍が術を使い、銀雪が刀で始末する。体良く山の掃除でもさせられているのではないか。龍藍と銀雪は言葉にはしなくても同じ考えをしてしまった。残り数ヵ所となった時にはうっすらと空が茜色に染まり始める。早く帰らねば怪しまれると、銀雪の背に乗って山を降りる。
「なあ、龍藍。青龍を見つけたらどうするんだ。お前の式神にするのか」
「したいかどうかよりも、一時的には式神に下さないといけない。十二天将を従えるのは名のある陰陽家の特権。蒼宮家を支えるためには翠雨が育つまで私が所有権を預かっておく必要がある」
権威の為に従えようとするのが邪道であることは承知だ。それでも、私が生き残る方法は蒼宮家の一員として家を支えることに他ならないのである。
「翠雨が陰陽師となるのはまだまだ先の話だ。それまでずっと自分を偽っていく覚悟はあるか」
偽る覚悟。あろうとなかろうと、覚悟を決めねば蒼宮家を守れない。あの幼子を守りたいから覚悟を決めるしかないのである。
「覚悟は片眼を失ったときにもう決めた」
死にたいと言っていた楓の弟を生き長らえさせる為に、彼の手を僕の血で染めさせた。自分が偽って生きていくことなど、彼の苦痛に比べれば児戯な方だろう。ああでも……綾人殿にずっと嘘をついて生きていかねばならぬのか。何故だがそれを考えただけで、胸が痛んだ気がした。
「そうか……俺はお前を守るだけだ。辛かったら何でも吐き出すと良い」
「ありがとう、銀雪」
銀雪はいつも僕に優しい。だがもう僕は大人なのに、甘えて良いものか。彼に重荷を負わせていないか。それが少し不安になってしまった。
夕時になって戻ってみれば、既に綾人は部屋に戻っていた。二人の衣が汚れていることに気付き、怪訝そうな顔をする。
「まだ戻ってないと聞いて心配いたしました。ところで衣のそれはどうなさったのです」
「少し捜索に手間取りまして、綾人様の方はどうでしたか」
すると綾人は微妙な顔をした。何も情報を得なかったということはないだろうが、確実な物ではないといったことか。
「いくつかは情報は得ましたが、10年前のあの夜以降の情報は得られませんでした。紅原殿と占術を用いても、確かな手掛かりはなし。ただ……夕霧少年がこの近くにいることは、占の結果に出ました。紅原殿によれば、ずっと10年も行方は占に出てなかった。彼に尋ねてみたいと思うのですが……龍藍殿、夕霧少年の居場所を知りませんか。貴方は知っているのでは」
知っているどころか当人ですなどと、口が裂けても言えまい。それどころか、私は青龍の居場所など知らない。私はずっとあの屋敷に閉じ込められていたのだから。
「……知りません。私は山に籠っていたので」
すると綾人殿は眉間に皺を寄せて腕を組んだ。何を考えているのだろう。まさかもうバレたのでは。綾人は顔を上げたが、そこには敵意は無かった。
「前からずっと………いえ、何でもありません。龍藍殿、お疲れ様です。明日も頑張りましょう。そして10日も見つからねば、京に戻りましょう」
「ええ」
龍藍はぎこちなく頷く。一方銀雪は無表情で綾人から視線を外さなかった。
綾人は一人部屋に戻ると、ずるずると壁にもたれ掛かった。昼間の占具による結果。そして叔父上から聞いた過去の占いの結果。
『ここ最近、少しずつ占の結果が鮮明になったのです。そして昨日、あの子の居場所がはっきりと結果に出ました』
その言葉の意味は分かっている。蒼宮龍藍と蒼宮夕霧が同一人物と考えて良い。今夜はそれを問い質すつもりだったが、喉に言葉が貼りついたままであった。
「言えるわけがないだろ……」
綾人は額を押さえる。言えたら何になったというのか。せっかく仲良く話せるようになれたのだ。もし問い質したら、取り返しのつかないことになってしまいそうで、俺は臆病になってしまった。
「兄貴……知っていたのかなあ……」
俺と違って聡明な兄のことだ。既に知っていてもおかしくはないだろう。だが……もしこれを報告すればどうなる。蒼宮夕霧は龍の母と龍神の加護を持つとされた人間の間に生まれた半妖の身だ。いや、力なら半端な半神にも劣らないだろう。生きたまま、幽閉されてもおかしくはない。
『山に籠っていたので……』
何も知らないと言う時の、龍藍殿の言葉。最初は言い訳だと思っていたが、あの言葉を言う時の龍藍殿は悲しい目をしているのだ。10年という歳月幽閉されていたのならば、また幽閉などされては狂うてしまう。
「龍藍殿、貴方は……」
どうして姿を偽ってまで陰陽師となろうとするのです。武家の子供であった貴方は金髪碧眼で無邪気な子供だったそうではないですか。どうして……貴方は私達 の前に姿を現したんだ。出来ることはおろか、相手の考えさえ読めない。綾人は歯痒さのあまり、唇を噛み締めると鉄の味が舌に染み込んだ。
『楓の許嫁であった夕霧少年はどんな子でしたか』
『両親に似て優しく賢い子供でした。そして子供ながら楓を慕っておりましたよ』
その言葉を聞いたとき、どうしてだか彼に愛された従妹 が羨ましくなった。
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