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龍の子の葛藤

誰かに傷ついてほしい訳じゃない 『前からずっと………いえ、何でもありません』  あれは一体何を言おうとしたのだろうか。もしかして、既に私の正体が露見したということか。龍藍は布団に爪を立てる。遅かれ早かれ露見すると思っていたが、思ったよりは早かった。いや、あの晴彦殿とそのご先祖にはとっくに気づかれていてもおかしくはない。 「……陰陽寮に入れぬためか」  私のような人でなしを入れる危険性を考慮してわざとこの任務を下したと考えられる。これから先、私はどうなるのだろう。  父上の分まで生きると決めた。あの赤子翠雨が元服するまで守ろうと誓った。ならばやるべき事は、土御門に敵意無しと伝えることのみか。しかし、私のような人間の言葉に説得力があるとは思えない。 「どうして……綾人殿は聞かなかったのだろうか」  完全に証拠を暴いてから私を殺すのか。それとももう晴彦殿には報告済みなので後は晴彦殿に任せるつもりなのか。どちらにしろ、青龍を発見後には敵に回る可能性がある。 「敵か……」  誰が敵かも判断できぬ状況下で、私は幽閉された。いまだに誰が味方で誰が敵かも分からない。確たる味方は銀雪のみである。 「もう……誰とも争いたくないんだけどな」  龍藍は泣きそうな顔で呟いた。綾人殿とは争いたくない。もう化け物と言われたくない。冷たい目で見据えられるのが怖い。誰かの血が流れるのが怖い。  ならば此方から正体と事情を話す必要があるのかもしれない。自分を偽って生きていく覚悟をしたというのに、己の素性を話す覚悟をせねばならないとはあまりにも酷い話だ。龍藍は、眠る銀雪の手を掴んで自分を宥めていた。  気がつくと眠ってしまっていたようで、暗い闇にいた。夢の中に来るのはいつぶりか。とはいえ周囲が判断できぬ程に暗いのだ。不用意に動けばろくでもないことになるのは、想像しなくても分かる。どうしようか。とりあえず瞑想でもしてみれば何か変化でもあるのではないか。龍藍はその場に胡座をかくと目を閉じた。 『……誰か……そこにいるのか……』  掠れた声。少年と青年の中間のようなその声音は聞き覚えがある。龍藍は大きく目を見開くと、遠くに青い光を放つ神気が見えた。 「私だ。蒼宮夕霧だ。青龍……殿……私のことを覚えておられるか」  龍藍は立ち上がると、光の方に駆け出した。声の主は酷く驚いているようであった。 『夕霧…? 声が随分違うようですが……。零月殿は……!? 薄氷様が貴方と零月殿を……』  その様子からすると、この天将はあの事件に加担した訳ではなさそうだ。その事に安堵した途端、零月の足場が突然底無し沼に引きずり込まれたかのように崩れ、腰まで何かに沈んだ。その瞬間、身体を貫く痛みが全身を走る。 「がああっ____!? っ……これは……」 『夢の中とは言え、私と接触したせいですね………。これは蟲毒と呪詛の沼によるもののようです。半妖のそれも……清浄を好む龍の血を引く貴方には……毒そのもの……早く目覚められよ……そして……貴方の父を守れず……申し訳なかった……』  加担しなくても彼は知っている。龍藍は身体を地獄の炎で焼かれるような痛みに耐えながら、叫んだ。 「どういう……ことなのです……!? 貴方は一体何処に……叔父上はどうして……貴方をそのような目に遭わせたのです! どうして父は死なねばならなかったのです!!」  答えは返ってこない。徐々に青い光が見えなくなる。龍藍は必死に手を伸ばすが、沼に肩まで浸かると意識を失った。 「……っ!」  目が覚めれば、銀雪が心配そうに此方を見下ろしている。 「夕霧……何かあったか?」  龍藍は答える代わりに、銀雪の手をすがるように掴んだ。背を震わせる龍藍を銀雪は痛みを堪えるような顔で抱き締めた。  夢は陰陽師や術師にとっては意味のあるものである。もしかしたら居場所が分かるかもしれないと龍藍は綾人から借りた簡易の六壬栻盤(りくじんちょくばん)で占ってみることにした。すると今まで行方を全く示さなかった方角が曖昧ながらも現れる。 「龍神様の山の方角みたい」 「やはりあいつ何か知っているみたいだな。……もしもの時は巫女に言って無理矢理にでも此方の助太刀をさせようか」  龍神に一切の敬意を払わない銀雪に龍藍は苦笑した。穢れをどんな神よりも嫌うあの龍神にそんなことさせてよいのだろうか。でもあまりに手のつけられない事態が起これば頼れる相手は龍神様だけであろう。 「綾人殿は連れていく?」 「連れて行きたくはないが……あいつは土御門の陰陽師だろ。何か遭ったときには戦力になるんじゃないか。貴族のお坊っちゃまだしお荷物になる可能性もあるが」  どうしたものかと龍藍は悩む。綾人の兄である晴彦の発言からするに、戦力にはなりそうだが……。龍藍は綾人に朝食時に聞いてみることにした。 「私が行かねばどうするんです。勿論行きますよ」  綾人はそうあっさりと言い放つと、ここぞとばかりに大量の霊符を取り出して見せた。雑であるが、しっかりと書かれた書き間違えなどない霊符である。 「綾人殿、戦闘経験はございますか」 「兄と父に死ぬほど鍛えられました。あと……あの先祖にも都の外から出されて野宿で修行とかしましたので実戦経験もございます」  綾人は苦虫を噛み潰したような顔で答えた。相当嫌な記憶だったのだろうか。龍藍は少し申し訳なくなった。 「何かすみません。嫌なことを思い出させてしまって」 「いえ! 貴方は悪くないのです。ですからそのように気落ちなさらないでください」  綾人は慌てて首を横に振った。 「ともかく、私は足手まといにはなりませぬし、先祖からの任務は龍藍殿と私に課せられたもの。共に協力しなければならないでしょう」  綾人殿はすっと手を此方に差し出した。握手をしろということなのだろうか。龍藍はおずおずと手を差し出すと、ぎこちなくそっと握り返された。 「共に協力しましょう龍藍殿」  あの時は折らんばかりに手首を掴んだ手は、比べ物にならぬほど優しかった。……この人は私の正体を既に知っているかもしれないのに、私に手を優しく握ってくれるのか。普通は逆であろうに。何故だかおかしくなって出そうになった笑いを飲み込んで、微笑を顔に浮かべる。 「はい、勿論ですとも。綾人殿」  綾人と龍藍は互いの瞳を見つめ合ったまま、互いの手を握るのであった。  そして龍藍と銀雪と綾人は山に来ると、辺りを探索することとなった。綾人の目の前で地図を広げるのは憚られたので、記憶を頼りに残りの場所に向かう。だが、目的地に向かって迷わない足取りを見せれば怪しまれると思ったので遠回りを幾度かした。 「そういえば此処は天津神である龍神の山と聞く。姿を現されないが、大丈夫なのだろうか」 「どうなのでしょう。山に立ち入った時に御神酒を捧げましたし、山に入っても威嚇するような神気も感じませんでしたので大丈夫では?」  本当は私が龍神の眷族なので、信用されているとは言えぬ。なので龍藍は愛想笑いをして誤魔化すことにした。 「何だ、陰陽師殿は怖いのか」 「こ……怖くなどない! 神の怒りに触れぬか懸念しているだけだ!」    銀雪がにやりと悪い顔で笑うと、綾人はむっと拗ねた顔をした。  それでも以前のような剣呑さは無い。そのことに龍藍が安堵する。神とは気紛れでいつ逆鱗に触れるか分からぬ存在である。それ故、綾人殿が心配になるのは当然の事であるが、今回は大丈夫だろう。それとなく地図に記されていた印の位置を回ってみるが、それらしい場所はない。それでも少々手こずってしまって、最後の印の場所に来る頃には夕方になってしまっていた。 「龍藍殿、もうすぐ大禍時です。帰りませぬか」 「そうですね。もうそろそろ帰りましょう。……ん?」  何だか違和感を感じる。今までとは違う邪気の気配。龍藍が歩いて近付いて行くと、いつの間にか銀色の毛並みの狼が佇んでいた。 「白、どうして此処に」  白は龍神が眷族として使役している狼である。会ったのは、同じく龍神様の眷族になった時の数回程度だが何をしているのだろうか。 『神がおまえが此処に来るであろうと仰っていた。ついてこい』  白は首を前の方を指し示すように振る。まだ完全には日が沈んでいない。龍藍は銀雪と綾人を呼ぶと、共に白に着いていった。 「こいつ山の主なのかな。だとすればこの先は少しまずいのでは」 「山の主でも対処できない穢れがある可能性はあるでしょう」 「その場合は俺が殿(しんがり)を務めるから、陰陽師殿と龍藍は逃げろ。……命あっての物種だ。無駄にすることなど許さない」  銀雪の声が翳る。銀雪はまだあの事を根に持っているのだろうか。銀雪は愛しているからこそ許せないと言っていた。 『命令です。銀雪、夕霧を連れて私の前から去りなさい。そして今から夕霧が貴方の主です』  父上の最期の言葉が胸に過る。あの時の父上は今にも泣きそうな顔で笑っていた。父上は自分が死ぬことを理解していたのだろうか。僕は銀雪の主だ。いくら父上を尊敬しようとも、主となったからには銀雪の思いを無駄にしてはいけない。桜の如く散ることは許されない。龍藍が俯いて歩いている内に目的地に着いた。 「……っ。これは………」  着いた先には墨色に染まった泉が広がっている。まさかこれは……。大きく息を吸った瞬間、龍藍の全身に苦痛が走りその場に崩れ落ちた。 「ぎ……ぁ……ぅ…………」  鼓動が響く度に息をするのが苦しくて、たまらず空気を求めて口を開ければ苦痛が悪化する。痛みのあまりに目から涙が溢れてぱたぱたと涙が溢れた。 「龍藍!?」 「龍藍殿!? 待て、この今すぐ邪気を祓うから」  綾人殿の柏手が響き、銀雪が背中を擦ってくれると苦痛が徐々に鎮まってくる。龍藍はやっと顔を上げることが出来た。綾人殿は顔が蒼白になっており私の元に片膝を着いた。 「龍藍殿、大丈夫ですか? 立てますか?」 「ええ……何とか」  龍藍は銀雪の手を借りて何とか立ち上がる。綾人殿が張った結界のお陰で、呼吸をするのが随分楽になったが、此処までの邪気をどうして龍神様は放置していたのだろうか。 「携帯用の占具が反応しております。……恐らく青龍はこの中にいるかと」  こんな呪詛と蟲毒の泉に天将がいるかもしれない。龍藍は身も凍る程の寒気を覚えた。 「綾人殿、天将が10年も此処に沈められたらどうなるのです」 「……正直、考えたくもない。天将とて神です。このような穢れに沈められれば祟り神にでもなりましょう」  龍藍の顔から血の気が引いた。私がもっと早く探していれば。もっと早く気づいていれば。自分を責めても足りない。龍藍は手を血が出るほど握りしめる。すると綾人はそっと龍藍の指に触れた。 「ですが、貴方は夢の中で青龍に会ったのでしょう? それに天将と先祖との契約は途切れておりませぬ。大丈夫、貴方と私なら救い出せます」  優しい言葉に龍藍はたちまち目が潤む。龍藍は涙をこれ以上見せぬようにと涙を拭った。 「綾人殿、ありがとうございます。絶対に彼を救い出してみせましょう」  強い決意を固めた龍藍を、銀雪が複雑そうに見つめる。僅かに鯉口から覗いた刃がきらりと青白く光った。 「で、どうやって救い出すんだ。そもそも泥の如く濁っているから本当にいるかも分からんぞ」 目視でも分からなければ、神気の気配も邪気に阻害されて一切分からない。かといって素手で探ろうにも、素手で泉の水に触れるのは危うい気がする。龍藍が悩んでいると、かたりと懐に入れていた笛が音を立てた。 『その笛に細工をしておいた。君が笛を吹けば、我が力の一部を思うままに操れる』  ここは龍神様の領域と言っても良い場所。ならば、龍神様に願いながら吹けば龍神の神気で浄化出来るのではないか。綾人殿の前で吹きたくないが、致し方ない。龍藍は懐の笛に手を掛けると、銀雪に念話で話しかけた。 『銀雪お願い、ちょっと綾人殿をあっち向かせた状態で、耳を塞いで』 『分かったよ。でも手短に済ませろよ』  龍藍が頷くと、銀雪はすぐさま綾人の身体を後ろから拘束した。 「銀雪!? おい止めろ! いきなりなんだ、気色悪い!」 「危害など加えねえよ。ちょっとの間だ静かにしてろ」  綾人は抵抗しながらちらりと龍藍を見たが、ただ後ろ姿が見えただけ。綾人が抵抗を止めると、銀雪は綾人の耳を塞いで音を遮断した。銀雪が綾人の耳を遮断したのを確認すると、龍藍は笛を取り出した。笛に唇を当てると、笛を奏でる。美しい旋律が山に響き、それだけで辺りの邪気を一掃する。だが泉の中を満たす蟲毒に変化は見られない。この泉の穢れが祓えるようにと願いながら笛を奏で続ける。笛を奏でる指に冷たい雫が落ちてきたかと思うと、ぱらぱらと雨が降り始め、やがて全身を濡らすほどの雨が降り始めた。 「なっ………何で神気が混じった雨が降っているんだ!?」  神気の雨が降るのは滅多に無いこと。突然のことに綾人はポカンと口を開けた。  穢れ無き清らかな雨が途切れること無く泉の水面に打ち付ける。龍藍はただ泉を見据えて笛を吹き続けた。奏でる音は春のせせらぎを思わせる程優しく美しき音色。龍藍の笛の音に呼応しているのか、雨は陽射しを受けるが如く光を帯びていた。綾人がその光景に見惚れている中、銀雪は龍藍が急激に霊力を消耗しているのを感じ取っていた。 『龍藍、そろそろ止めろ。このままでは霊力が底を尽きるぞ』 『分かっている。あと……もう少し』  気候を操れるのは楽だが、もう少し狭い範囲に限定できないだろうか。龍藍の頬を伝う汗は瞬く間に雨に洗い流された。霊力が無くなれば、母の血の力が制御出来なくなる。晴子殿の外見を偽る呪具は()の血を制御してくれるらしいが、一度叔父上に割られたのだ。修復したとはいえ、母の血をいつまで押さえられるだろうか。ただ雨音と笛の音のみが聞こえる時間が続いたのはあっという間であったのか四半刻以上経ったのか。神気の雨に打たれ、蟲毒の泉の色が薄れる。一瞬、泉に揺蕩う青い髪のような何かが目に入った。 「はっ……」  それを認識した途端、龍藍は霊力が底を尽きてその場に片膝を着く。笛の音が中断すると瞬く間に雨が止み、空は赤く染まっていた。 「龍藍殿、大丈夫か!?」  銀雪が拘束を止めたのか、綾人殿が駆け寄ってくる。大丈夫と言いたいが、霊力の凄まじい消耗と長く笛を吹いていたせいか頭がくらくらする。ひゅうひゅうと息を荒げろくに返事も出来ない龍藍は咄嗟に笛を隠した。 「あ……ち……ら……に」  龍藍が泉を指差す。綾人が泉に視線を向けると、黒い泉の底にぐったりと目を瞑る青い髪の青年が眠っていた。 「分かった。何が何だか分からないが、これだけ泉が清められれば俺でも何とか出来る。龍藍殿、しばし休まれるといい」  綾人は笑みを浮かべると、銀雪に龍藍を任せて泉に近づいた。  本当に何が何だか状況がいまいち把握出来てないが、龍藍殿が霊力と引き換えにこの山の龍神を呼び起こし、清めの雨を降らせたようだ。泉は完全には浄化出来てはいないものの、陰陽師の俺ならば泉に入ることは出来るはずだ。綾人は懐から油紙に包んでおいた護符を一枚取り出して霊力を込める。  すると護符に込められた術が発動し綾人の身体を包み込んだ。それをもう一枚の油紙に包んで懐に入れると、泉を覗き込む。泉は中央になるにつれて深くなっているようであり、ざっと見たところ俺の身長よりも深いだろうか。先祖や兄上に鍛えられているので泳ぐことは出来る。しかし一つ懸念しているのが、泉の底に淀むどす黒い何か。あれになるべく触れないようにしたいが……。綾人は草履と上衣を脱ぐと、一気に助走して泉に飛び込んだ。 「綾人殿!?」 「おい、お前は無鉄砲か何かなのか!?」  龍藍殿と銀雪の声が聞こえるが、俺がやらなくて誰がやるというんだ。綾人は泉の中央にいる青龍の元まで来ると、一旦水中に潜った。ぐったりと目を瞑る顔は血の気が無く死相すら見える気がする。幼い頃に見た時は随分年上のように見えたが、十年も経てば俺よりも年下の外見である。綾人は身体に刺すような苦痛を感じつつ、青龍の身体を抱き抱える。何だあっさりいくではないか。後は岸に上がれば……。綾人は一旦水面に顔を出す。 「龍藍殿、今青龍に助け出したぞ。今から岸に向か……」  その時、綾人の足に冷たい何かが巻きつく。綾人がそれが何かを判断する前に、綾人だけが泉の底に引きずり込まれた。 「綾人殿……!?」  息を整えながら待っていた龍藍は、思わず立ち上がって泉に駆け寄る。泉の底に沈殿していた穢れが獲物を捕まえた歓喜に打ち震えるように激しく蠢いていた。 「綾人……殿……」  龍藍はただ唖然と泉を眺める。そんな龍藍の耳に嫌な音が聞こえてきたかと思うと、手足の末端が急激に冷えていった。早く助けなければいけないのに霊力が尽きた私に出来ることなどあるのか。龍藍は水面に足を踏み出そうとすると、銀雪に後ろに引き倒された。 「銀雪何を……!」 「間違っても入るんじゃない。死ぬつもりか」 「でも……!」  あそこにはまだ青龍と綾人殿がいるのだ。天将はまだしも綾人殿は人間。蟲毒に呑まれれば死ぬ。窒息しても死ぬ。時は一刻も待つことが出来ようか。それでもどうすれば助け出せるか分からなくて、龍藍は唇を噛む。  銀雪はそんな龍藍を一瞥すると、刀を泉に突き立てた。すると、泉の澱みが震え、襲い掛かってきた。即座に龍藍は銀雪の横に立つと、結界を編み出す。結界を食い破ろうとする澱みを防ぐが、苦痛が身体を蝕み龍藍は奥歯を噛む。その内、澱みから発せられる不快な音が、声であることに気づいた。 痛い 苦しい 恨めしい 殺してやる 化け物 お前のせいで我らは死んだ  聞き覚えがある声に龍藍の青い瞳が凍りついた。声は十数人以上の重なった声。……親戚達の声によく似ていた。 『貴方と現当主以外の蒼宮の一族が貴族も武家も共々全員お亡くなりなのはご存知ですか』  ここの泉の蟲毒と思っていた物は親戚で……親戚は魂を穢れの澱みと化している。それを考えただけで龍藍は吐きそうになり、目の奥が熱くなった。そんな龍藍に気づいたのか銀雪は刀を振るう。澱みは銀雪が結界の内側から斬ると途端に形を失った。だが再び襲ってきてもおかしくないだろう。こんな状態で泉に入れるものか。いや……待てよ。蒼宮家の武家と公家のどちらも龍を信頼し、崇めている。それはつまり、龍には抗うことは敵わぬということだ。もし僕が龍の血を使うのなら……? 「……龍藍、俺が泉に入るからお前は………おい、待て___!!」  龍藍は銀雪の制止を無視して泉に飛び込んだ。龍藍は駆け出す直前、晴子の呪具をその場に落とした。この呪具は半妖の私が生きる助けにはなるが、今は枷になってしまう。今から龍の血を解放するのだから。龍藍の足が水面についた途端、黒い穢れは一斉に龍藍に襲い掛かる。手足を引きずり込まれながら、龍藍はある言葉を思い出した。 『夕霧君、貴方が人として生きたいならば、お母上の血の力を使わぬように。その力はとても強いのだけど、その代わりに君の身体や心を蝕んでしまうからね』  楓殿の父君はそんなことを言っていたっけ。あの人は僕を思ってそう言ってくれたのだ。だけども青龍や……綾人殿を失うのはあまりにも惜しいのです。ごめんなさい。龍藍は一度目を瞑る。そしてゆっくりと目を開くと、青い瞳が翡翠色に染まっていた。血の解放の仕方は知らない筈なのに身体が知っている。身体の奥底から濁流のように四肢を流れる冷たい血。人の霊力とは違う霊力が龍藍の身体から溢れる。黒い穢れはそれに勘づいたのか怯んだ動きをした。それを翡翠の双眸が冷たく見据えた。 「二人を返せ」  龍藍が一言呟くと、藍色の霊力が穢れの水を侵食していく。穢れは……否、亡霊達は龍藍の息の根を止めようとするが龍藍の身体から溢れる龍の力の前には砂のように散り散りになるしか出来ない。 化け物 化け物 化け物  亡霊達は断末魔代わりに龍藍を罵る。そうだ。僕は化け物と言われてもおかしくない存在だ。それでも心までもが化け物になった覚えなどない。龍藍は刀印を組むと龍の血に任せて振り下ろす。 「すみません。たとえ僕が化け物であろうと、殺されるわけにはいかないのです」  龍藍は泣きそうな顔で親戚の怨念が消えるのを見ていた。  龍藍は泳ぐと、底に沈んでいる二人の元に来た。二人を同時に抱えていくことなど出来るだろうか。 『銀雪もう大丈夫。ちょっとこっち来て手伝って』  銀雪に念話でお願いすると、ばしゃんと水音が響いた。十も数えぬ内にこちらまで泳いで来た銀雪に合図をすると、銀雪は青龍を抱えて岸に向かう。それを見送ってから龍藍は綾人を抱き抱えた。 「…………?」  薄く開いた綾人殿と目が合う。だが綾人殿はすぐに目を閉じた。どうやら大丈夫そうだ。龍藍は泳ぐと岸に上がる。顔を上げると、銀雪が恐ろしい顔をして見下ろしていた。 「………俺の言いたいことが分かるか」  冷たい声は怒鳴るのを寸前で堪えているようであった。龍藍は穢れに水に引きずり込まれた時よりも恐怖を覚えていた。分かるとも。銀雪の制止を振り切って飛び込んでしまったのだから。龍藍は目を泳がせながら頷く。 「ごめんなさい……」  やっと言えたのはその一言。銀雪はため息をつくと龍藍の頭を撫でた。その優しい手つきに龍藍はされるがままになる。しばらくしてから銀雪は撫で終えると、龍藍の身体をぎゅっと抱き締めた。 「謝らなくていい。ただ俺はお前が命よりも大切なんだ。囮になるような真似は止めてくれ」  銀雪の声が震えている。龍藍は自分の選択が銀雪に心配をかけてしまったことに罪悪感を覚えていた。青龍と綾人殿は死んでないし僕も無事だ。龍の血を解放しても案外平気なものであった。それでも、一歩間違えば取り返しのつかないことになっていた。衝動に任せてこの身を危険に晒すべきではなかったと反省する。 「うん。……心配かけてごめん。次はこんなことしない」 銀雪()を置いて黄泉へいく真似など絶対するわけにはいかない。龍藍は自分の胸の内にそう刻み付けた。  銀雪が抱き締めるのを止めてから、龍藍は青龍と綾人の容態を見た。青龍は何とか生きているという状態であろう。一刻も早く浄化する必要がある。綾人殿は陸上げた直後、水を吐いてから呼吸が安定している。足に穢れの痣があるのでこちらも浄化しなければならない。龍藍が龍神を呼ぼうとした時、不意に視界が暗くなった。 「あれ……?」  状況を把握できないまま、その場に倒れる。地面に叩きつけられる寸前、銀雪が私を受け止める。 「龍藍……!? 大丈夫か!?」  大丈夫と言いたい。別に目眩がしただけだと。言葉の代わりに喉から鉄の臭いがせり上がって赤い何かを大量に吐く。 「………! ………!?」  銀雪が何を言っているのか聞こえない。ごめん。心配させちゃって。銀雪が泣いているのだけが分かる。温かい雫が頬に落ちるのを最後に龍藍の意識が途切れた。

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