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帰る前の準備 其の壱
恐らく疑われても仕方がない。だけども私はもう大丈夫。一人じゃない
俺は仮眠から起きると、予定通り龍藍殿と話し合うことにした。
「貴方の正体は先祖も兄上も検討がついていることでしょう。あの二人は鋭いので。ですが貴方に悪意が無いと証明できれば彼らも貴方の正体を親族や陰陽寮に漏らすことはないと断言できます。…………問題は、現在の陰陽頭 こと私の父、土御門泰明 に露見しないがどうかです」
父上のことだ。半龍などいれば実験の道具として幽閉してもおかしくはない。
「……ですが半妖の陰陽師の前例はあるのでしょう?」
「そうですね。それが私の先祖な訳ですが。ですが、貴方はお父上が生前の頃、鬼祓いの頭領に丁重な扱いを受けていましたよね。その上、険悪な筈の紅原家と蒼宮家が許嫁として関係を持とうとしましたよね。そこで私の父はこう考える。『龍の血にはそれほどの利用価値がある』と。薄氷殿の罪を貴方に着せてしまえば容易に幽閉は可能ですし」
龍藍殿の顔が青ざめる。無理もない。薄氷殿も龍藍殿の利用価値故に幽閉して生かしたのだから。
「で、陰陽師殿は何が言いたいんだ。答えろ」
銀雪が良い質問をしたので、俺は後ろから用意していたものを取り出した。
「だけど、天将が契約した人間ならば幽閉なんて出来ないんだ。土御門の者がいれば、十二天将との契約はすぐに行える。というわけで、まずは私の父が手出しが出来ぬように龍藍殿と青龍の契約を行いましょう」
本来は土御門の当主が結ぶものだが、幸いにも此処は神域。龍神に相談したら立ち会ってくれるそうなので、そうなれば父の時の契約よりも容易に破棄できない強固なものとなる。龍藍殿がすぐに頷いてくれたので、俺は青龍と龍神を呼んでくることにした。
折角だから使って良いよと神域で最も清らかな場所を用意して頂き、儀式を行うことにした。十二天将と契約を結ぶ儀式を俺は何度も見たことがあるので覚えている。一般的には土御門の当主か嫡男が行うものだが、それ以外の土御門が行ってはいけないという決まりはないし前例もある。例えば叔父上と騰蛇の契約の時は叔母上が契約の儀を執り行った。俺も兄や父が万が一の時があった時のために儀式の手順は覚えさせられていた。
一言一句父や兄が口にしていた契約の儀式の言葉を思い出しながら、狩衣に着替える。大切な儀式だからと巫女殿が龍藍殿を着替えさせに行ったがまだだろうか。契約の儀式に必要な陣を描き終わる頃に、龍藍殿が戻ってきた。
「龍藍殿、丁度良い所に………なっ……!?」
龍藍殿を視界に入れた瞬間、どくんと鼓動が耳に響いた。龍藍殿はまるで天人の纏う天衣のような美しい衣装を纏っていた。瞳と同じ海原のような生地の青色は龍藍殿の白い肌を際立たせ、服に縫い付けられた翡翠の装飾は派手すぎず龍藍殿の美しさを引き立たせている。龍藍殿が舞を踊れば此処が極楽だと俺は錯覚してしまうだろう。銀色の髪はいつもと違って頭の上で結い上げられており、風で靡くときらきらと輝いている。
「おー。僕のお下がりだけど良く似合うね」
龍神の言葉に巫女殿が何度もうんうんと頷くと、龍藍殿は顔を赤く染めた。
「龍神様ってば冗談を仰らないでください。私には勿体ないですし、こんなに高価な衣である必要は……」
「いや……儀式の際はなるべく穢れを寄せ付けない物が良いのです。………それと、とても良くお似合いです」
龍藍殿は耳まで真っ赤にすると、袖で顔を隠した。その仕草すら美しい。ずっと眺めていたい。だがそんなことを考えている場合ではないのだ。幾度も契約を行ったことがある青龍と手順を確認してから、俺と龍藍殿と青龍は陣の中に入った。龍藍殿と青龍が向かい合うように立ち、俺はその間に立って一歩下がる。いよいよこの時か。俺は緊張で震える手を握り締めると大きく息を吸った。
「これより土御門綾人の名の元に契約の儀を行う。双方、この儀に異存は無いか」
「ございません」
「全く無い」
龍藍殿と青龍が頷いたので、陣に霊力を流す。すると陣からの羽衣のような淡い光の壁が生じた。
「では蒼宮龍藍。吾は貴殿に問う。土御門の同胞たる十二天将、青龍を従える覚悟はあるか」
「覚悟は出来ております」
凛とした声音が響く。声音や瞳からは僅かたりとも揺るがぬ意思を感じる。本当に美しくも強い御方だ。俺は口元が緩みそうになるのを堪えて奥歯を噛んだ。
「よかろう。次に十二天将青龍、土御門ではなくこの者に従属し、この者の剣となり、盾となる意思はあるか」
「勿論。私は蒼宮龍藍を主とし、式神として剣となり盾となろう」
帯びる神気は一片の翳りなく、どこまでも清らかだ。この二人ならば、相性は問題ないだろう。
「双方等の意思を確認した上で我、土御門綾人は十二天将青龍を蒼宮龍藍の式神として認めよう」
その瞬間、眩い光が視界を覆い周りが見えなくなる。それでも神気が俺の身体を介して龍藍殿に流れるのを感じた。青龍の神気は木行。それ故か、神気は穏やかな物である。神気が流れなくなるのを感じなくなってから目を開けると、龍藍殿が片膝を着いて今にも倒れそうになっていた。それを青龍が支えている。
「龍藍、大丈夫ですか」
「ええ……少し疲れたようで」
十二天将との契約はその天将の性質や相性にもよるが、相性が良くても体力をかなり消費する。酷い場合は半月も起き上がれず寝込む者もいるくらいなのだ。十二天将の全員と契約して1ヶ月後に陰陽寮に出仕した生前のご先祖は中々に狂っている。
龍藍殿の近くに寄って確認してみるとやはり龍藍殿の霊力は枯渇していた。
「とりあえず二日程安静になさってください」
「はい……ありがとうございます」
龍藍殿の場合は表立った苦痛や異常は見られないし、主従の契約はしっかりと結ばれている。ひとまず龍藍殿には休んでいただくことにした。
龍藍殿は眠気が酷かったのか、銀雪が部屋に運んでいる途中で眠ってしまった。脈や魂に異常が無いか再度確認したが今のところは大丈夫なようだ。
「青龍、そっちは大丈夫か? 半妖の者と契約するのは久しぶりなんだろ」
「別に此方は平気だが。…………まさかこの子と契約を結ぶ日が来るとは思わなかった」
青龍は複雑な表情で龍藍殿を見下ろす。龍藍殿は自分は武士でなくなったことに未練が無いと仰っているが、本当は違うだろう。お父上の敬愛の様子からして、本当はお父上のような武士になりたかった筈。だけども、もう選べないと陰陽師として生きる覚悟を決めておられるのだ。
「そう、罪悪感を感じる必要はないさ。龍の坊っちゃん。あいつは陰陽寮に入ると意思を固めていたし。まあ薄氷の仕返しでもあるんだが」
「薄氷殿への仕返し? 銀雪、それはどういうことだ」
仕返しの為に陰陽寮に入ろうとしただと。一体どのような仕返しをするつもりなのだ。青ざめる綾人に銀雪はきょとんとした顔をした。
「言ってなかったか? あいつは薄氷にひす……ではなく母龍の血を悪用されようとした。だけどあいつは真逆のことに母龍の血を使うために陰陽師になりたいんだとよ。でもお前を助けた時のあれがあるから、今は俺はちょっと反対だが」
龍藍殿らしいと言えばらしい。だけども、もし龍の血を使えばまたあの時のように血を吐いて倒れてしまう。考えただけでも背筋が寒くなった。
「ご先祖は半妖だし助けになってくれると思う。ご先祖は龍藍殿の魂を気に入ってたし。俺も龍藍殿に出来る限りのお力添えをする」
「確かに晴明はるあきならばその辺りは修行で負担がより軽くなるように制御する術を教えるだろうな」
頷く青龍の横で影縄殿が不安そうな顔をしていた。
「……ですけど、あの方に任せて大丈夫なのですか。我が主が若い頃、何度も倒れるほど鍛えられていたのですが」
その言葉で、俺の脳裏にご先祖様が考案した修行の数々が過る。
「まあ…………大丈夫だろう。……多分」
俺は震える声でそう言うしかなかった。
龍藍殿は契約をした直後は次の日の夜明けまで眠っていたが、次の日は布団から身体を起こせるぐらいには回復した。
「龍藍殿、体調は如何ですか」
「眠気が絶えませんが、昨日よりは大分楽になりました」
龍藍殿は笑みを浮かべて茶を飲んでいる。これならば明日にでも起き上がれるだろう。
「綾人殿、わざわざ私を気遣ってくださりありがとうございます」
「いえいえ、これくらい当然のことです。此方こそ、貴重な体験をさせて頂きありがとうございました。初めて自分で儀式を執り行いましたのでずっと緊張していたのです」
本当は俺に出来るかどうかなんて分からなかった。不安でしかなかった。上手くいったのは龍藍殿と青龍が信じてくれたお陰なのだ。
「緊張していた割には、随分としっかりとした口調だったがな。正直、少しだけ見直したくらいだ」
いつものように口を挟む銀雪。まさか銀雪に褒められるとは、俺は龍藍殿の側に立っていた銀雪を見上げた。
「本当か!? 立派に出来てたか!?」
「立派だとは言ってない。ただ本当に陰陽師だなと思っただけだ。そんなににやけた顔でみるな!」
銀雪はふいっとそっぽを向く。それでも自分が「本当に陰陽師」と言われて嬉しかった。俺はまだ陰陽生であって陰陽師ではない。本当に陰陽師になるにはまだまだ先の話であるからだ。
「ええ、本当に昨日の龍藍殿は格好良かったですよ。貴方のようになりたいと思った程です」
「ありがとうございます……。ですけど、あまり褒められ慣れていないので、そんなに褒められると恥ずかしくなってしまいますね……」
惚れた相手にまで褒められて、綾人は耳まで赤くして照れていた。
それから2日経った。龍藍殿は体調も戻り、青龍も神気をかなり取り戻した状態。もうそろそろ京に戻った方が良いと判断し、皆で滞在していた場所の掃除をしてから出ることにした。
「龍藍、一応君の意思を尊重しているから送り出すけど、もし何か危ない目に遭ったら此処に戻ってきなさい」
「はい」
龍藍殿が返事をすると目を細めて龍神は笑う。だが少しだけ寂しいとも取れる顔をした。
「それと土御門君、龍藍を頼んだよ」
「勿論です。必ず龍藍殿をお守りいたします」
神の前で誓うということは、違えることは許されない。それでも心からの決意だからこそ、神の前で誓いたい。龍神は俺の覚悟を察したのだろうか。
「言質は取ったからね」
耳元で囁くと、何事も無かったかのように送り出してくれた。気づいたら龍神の山の領域の外。予想はしていたが、外はすっかり初夏の空気となっている。
「…………それにしても眩しいですね」
龍藍殿は嫌そうに目を細める。眩しいと感じるのは龍神の領域では直接、日光が届かなかったからだろう。銀雪と青龍は平気そうにしているが、影縄と龍藍殿にとっては眩しくて敵わないようだ。
「主によると、すぐに此方に向かうそうです。それまで木陰にでも休みましょうか」
別に城下まで歩いていけなくもないが、正直疲れている。原因として考えられるのは、人界と龍神の領域の時間の流れや満ちる霊気が違い、身体が変化についていけてないのだろう。影縄殿の提案に反対するものはいなかったので休むことにした。
俺と龍藍殿と青龍は木陰にある小川で足を浸し、銀雪と影縄殿は木の根本で話をしている。四半刻経った頃であろうか。ぱしゃぱしゃと川で足を動かしていた青龍が足を動かすのを止めた。
「…………何であやつが」
そう一言呟くと、苦虫を噛み潰したよう顔で城下の方角を見つめていた。
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