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帰る前の準備 其の弍
百数える前に姿を現したのは、叔父上と元服したばかりの年頃の若い武士姿をした騰蛇である。
「影縄久しぶりー。俺らと離れて寂しくなかった?」
「数日離れたことで寂しいなどと言っていられませんよ。騰蛇、貴方はお変わり無いようで」
素っ気ない会話にも思えるが、影縄殿は身内に再会したことで心なしか嬉しそうだった。
「ところで…………そこの青龍殿はどうして俺を睨んでいるのかな。俺何もやってないんだけど」
「何故貴様が来るんだ。目覚めて最初にあった同胞が貴様など最悪の気分だ」
そういえば、騰蛇と青龍はあんまり仲が良くないと聞いたことがある。その証拠に、龍藍殿には外見の年相応な反応だったのに、途端に大人びた怖い顔になっている。
「だってこの周辺にいる同胞は俺ぐらいだし。ちょっと心配して見に来たのにあんまりな態度じゃないか」
「貴様に心配される覚えはない。さっさと帰れ」
「頭領とお前達の護衛として来たのだから一人では帰れない。そこのところ青龍殿はお分かり?」
「貴様………!」
青龍と騰蛇の口喧嘩が始まる。叔父上と影縄殿はまた始まったのかという顔をしているが、龍藍殿は初めて見る青龍の様子にただただ驚いていた。この口喧嘩を放置してたら夕方になってしまう。
「騰蛇、相手をおちょくのもそこまでにしろ」
「青龍、怒るのはちょっと我慢してくださいね」
青龍と騰蛇は互いの主に窘められて口喧嘩を止めたが、バチバチと火花が出そうな程にらみ合いをしている。そんな二人の間に挟まれて歩く綾人はどっと疲労が溜まっていく気がした。…………青龍って水行っぽいが木行だよな。騰蛇とは相生そうしょうで爬虫類仲間?な筈なのに何で仲が悪いのだろう。考えても分からないし本人達に聞いては火に油を注ぐだけである。龍藍殿と歩く銀雪が羨ましいと思っている内に、城下に着いた。
案内されたのは城下の鬼祓いの館………などではなく、俺達が滞在していたあの宿である。俺達を見るなり、女将は驚いた顔をした。
「あれまあ、あの時のお客様ではないですか。荷物を置いたまま随分と顔を見せないものだから、てっきり危ない目に遭われているのかと心配していたのですよ。荷物の方は、そこの鬼祓いのお頭さんが引き取ってくださいましたがね」
いつまでも荷物があっては邪魔だし、あれは色々と大切な呪具も入っていたから叔父上に一時的に引き取ってもらえたのは助かる。とはいえ、女将からすれ忽然と失踪してば数ヵ月も経っていたのだから心配を掛けてしまって申し訳ない。
「申し訳なかった。だがこの通り無事に戻って来たので、安心してほしい」
「女将、朝伝えた通り用意した部屋に案内して頂けないだろうか。見ての通り、彼等は疲れきっている」
叔父上の言葉に女将は頷くと、俺達を部屋に案内した。部屋は最初に泊まったところよりも広く、7人が入っても窮屈さを感じない。絶対俺の予算を越えているだろうなあ。俺達と叔父上は向き合うように座る。
「まずは、龍藍殿。同じ十二天将を従える身として青龍と契約を結ばれたこと、お祝い申し上げる」
慇懃に頭を下げる叔父上。龍藍殿も慌ててありがとうございますと頭を下げた。
「しかし綾人。晴明や泰明に許可を得ず、勝手なことして良かったのか?」
騰蛇の問いは至極もっともな物だ。本当は父上に無断でやったことが怖い。それでも………。
「龍藍殿が信用に足ると思ったから執り行った。それに俺だけではなく青龍も龍藍殿を主と認めている。………あと十二天将の本当の主は御先祖様なのだから龍藍殿が青龍と契約を交わせたということは、あの人が認めたと言えるんじゃないか」
「まあそれはそうだ。だとしても綾人、心も逞しくなったな」
俺のどこが逞しいか? 俺が首を傾げると騰蛇は無言で笑みを浮かべた。
「綾人殿、初めて執り行われたというのに一人前同然であったと聞き及んでおります。……貴方は本当に立派に成長なさった」
「いえそんな………俺は大したことなど……」
やっぱり褒められると、何だかむず痒くなる。俺が照れて頭を掻いていると、叔父上は少し厳しい表情になった。
「ですが、土御門のご当主に許可を取らなかったのは少しまずいのでは。口頭注意で済めば宜しいが………あの方が手を上げられる可能性はございます」
叔父上の言葉で過去の記憶を思い出す。基本的に暴力を好まず、子にも手を上げたことが無い父なのだが、唯一手を上げた者がいる。それが目の前にいる叔父上だ。
叔母上が亡くなられた忌中の時、叔父上を責めた父は傍にあった肘掛けを叔父上に向かって投げつけた。よりにもよって厠から戻る最中に部屋を覗き見し、それを目撃した俺はあの惨状を見て意識を失いそうになった。血を見た恐ろしさもあったのだが、人に暴力を振るい刀を振り下ろそうとした父が涙を流す惨状が恐ろしかったのだ。
「………大丈夫です。叱られるのも殴られるのも、覚悟の上。それに……父とも中々会う機会もありませんので、会う頃には怒ってないと思いますよ」
「そうだと良いのですが……」
ぽつりと呟く叔父上。すると龍藍殿が俺の隣に来た。
「土御門のご当主がどのような方なのかは存じ上げませんが、綾人殿だけに重荷を負わせるつもりはございません」
横の龍藍殿をチラリと見る。凛とした青い瞳で叔父上を見据える龍藍殿の横顔はとても美しい。それに……龍藍殿の言葉が嬉しかった。
「お二人がそれだけ覚悟しておられるならば、大丈夫でしょう。ですが、もしも身の危険を感じられたらすぐに呼んでください。私どもが駆けつけますので」
それから叔父上は懐から包みを取り出した。
「それと……此方をお渡しいたします」
包みの中に、は龍藍殿が首に提げていたあの呪具がある。ただし違うのは、金継ぎされてぼろぼろであったあれではなく、真新しそうな物であること。
「紅原殿……これは……」
「我が妻が設計図を遺しておりましてな。新しいものを作り直したのです。古いものはご必要でしたらお返ししますし、処分なさるつもりならば此方で処分いたしますが、如何いたしますか」
龍藍殿は新しい物を手にとってじっと眺めていたが、叔父上の方に視線を向けた。
「古い方の物は今までずっと私を守ってくれました。思い入れがありますので持っておこうと思います」
「そうですか、ではお返しします。……妻がそれを聞いたら喜んでおりましたでしょうね」
古い方を渡しながら叔父上がぽつりと呟く。龍藍殿はただ小さく頷いた。少し気まずい雰囲気になったが、これであの代用の面倒臭い呪符を書く必要が無くなると、俺はすこしほっとした。
「あの……紅原殿。これはいくらするのですか。お金は今たいして持っておりませんので、京に戻り次第お支払いしたいのですが」
「いえいえ。元々銭は頂いておりませんでしたので、お気になさらず。貴方のお父上への恩返しの代わりだと思ってくだされば」
あれ絶対工程や掛ける術が複雑なやつだ。あれをただでやるとは、零月殿は相当な恩を叔父上に売ったに違いない。
「さて、折角人界に戻ってこられましたことですし、ささやかではございますが宴を開くといたしましょう」
叔父上は影縄殿に女将を呼ぶように命じると、影縄殿はふわりと此方に一礼してから部屋を去っていく。
「ありがとうございます。ところで、龍藍殿はお酒に弱いようですから甘酒でよろしくお願いします」
あんなことがあっては俺の理性がもたないのですぐに伝える。銀雪は俺を毛虫を見るような目で見て、龍藍殿は「そんなに私は弱いですか?」とでも言うように首を傾げた。
宴と言うだけあって、料理は豪勢でどれもこれも美味しかった。和やかな雰囲気のまま宴が終わり、叔父上達は帰っていく。本当は俺は別室で寝ようかと思ったが、他の部屋は丁度旅の客で埋まってしまったらしく同室で寝ることになった。まあ前より部屋が広いからいいか。また衝立越しで眠ろうと思ったが、これに龍藍殿が少し落ち込んだ顔をした。
「龍藍殿、如何なさいましたか」
「折角広い部屋を借りましたし、川の字で寝られるかなと思いましたが……ちょっと調子に乗っておりましたね。申し訳ございません」
川の字でだと………!? 俺は動揺を隠せぬまま、すっとんきょうな声を上げそうになった。
「確かにもう素性を隠す必要も無い上、同性で旅の連れなのだから衝立など要らぬだろうな。……だが、龍藍。念のためということがある」
「念のためって………綾人殿が何をするって言うのさ」
おのれ妖狐。余計なこと言いかけて、奥歯を噛んで耐える。確かに父親代わりの銀雪が警戒するのも仕方がないだろう。
「自慢ではないが、生まれてこのかた女も男も知らぬ身だ。安心してほしい」
「…………二十歳だよな。本当に?」
銀雪は信じられないという顔で見てくる。まあそんな顔で見られてもおかしくない。だが俺は正真正銘の童貞である。本当に自慢にはならない。
「ああ、本当だ。疑うならば銀雪、あんたが真ん中に寝ればいいだろ」
「ちっ……それもそうか。仕方ない。今回は認めてやる」
俺は嬉しさのあまりに小躍りしたくなる。だがすぐ後に自分の言葉に後悔した。なにせ、何故か今夜の銀雪は人型のまま寝たのだ。ぐぬぬと呻く俺とざまあみろと笑う銀雪。銀雪の向こう側では髪を下ろした龍藍殿が書物を読んでいた。
龍藍殿が読んでいるのは陰陽道の書。夜まで読んでいるとは勉強熱心だ。俺はそんなに勉強に真面目に取り組まないので尊敬する。本当はそんな龍藍殿の傍で寝たいがそんなことを言えば、銀雪に関節技をお見舞いされる。
「では俺は眠いので寝る。銀雪と龍藍殿おやすみ」
「おやすみなさいませ」
「おう、おやすみ」
俺は目を閉じるとあっという間に眠りに落ちた。
ふと真夜中に目が覚めた。厠に行きたいと起き上がる。部屋の灯りは消されているが、俺はすぐに妙な違和感に気づいた。起きてすぐは周囲が真っ暗だったが、次第に目が慣れてくる。そこで違和感が確信に変わった。
「何故龍藍殿と銀雪が居ないんだ」
銀雪までもが消えているということは龍藍殿は安全な可能性が高いが、大丈夫なのだろうか。とりあえず厠に行ってから隠形して宿の中を歩いてみると、部屋の一角から話し声が聞こえた。近くに寄ってみると、声は叔父上と龍藍殿のようだ。
「…………」
「…………」
声は聞こえるのだが、耳が言葉として声を捉えられない。恐らく叔父上の張った結界のせいだろう。それ程の重要なことを俺抜きで話すということは、龍藍殿個人に関する重要な事柄を話しているのだろう。それが分かっていても心がつきりと痛む。どうせ分からないならこれ以上此処にいる必要はない。俺は部屋に戻ったが中々眠れない。
「……秘密事か」
俺だって貴方のことが知りたい。だけど彼も知られたくないことだってあるのは分かっているんだ。この胸のもやもやをどうすれば良いものか。綾人は目を瞑った。
読書設定
目が覚めると、もう朝になっている。俺は起き上がると寝返りを打った。銀雪はもう起きたのか姿がない。龍藍殿はまだ眠っているようで、銀の髪がきらきらと朝の光に輝いている。あまりの美しさに俺は目を細める。手を伸ばせば髪に届く気がする。だけども自分が彼の髪に手を伸ばしていいのか分からなくなって、ぎゅっと自分の手を握り締めた。
四半刻後、銀雪と青龍が俺達を起こしに来る。俺は寝た振りをしていただけなのですぐに起き上がったが、龍藍殿はのろのろと起き上がるのに時間がかかった。寝起きが悪いのだろうか。しばらくぼんやりしていたが、俺を視認するとふわりと微笑んだ。
「おはようございます、綾人殿」
「りょ……龍藍殿。おはようございます」
龍藍殿を見ていると鼓動が煩くなる。目を合わせられなくて下を見ると龍藍殿の胸元がはだけていた。真っ白で綺麗な………ん? よく見れば、胸元に痣らしき物があるような……。直感的に見てはいけないと気づいて俺は別の方向に目を遣った。
朝餉を食べて荷造りを終えてから宿を出た。最後に叔父上に挨拶に行ったが少し疲れておられる様子だったので二、三言だけ言葉を交わしてから城下を出る。
「………龍藍殿、生家の跡地や藩校に行かなくてよろしかったのですか」
すると龍藍殿は首を横に振った。
「いいのです。龍神様の元に行く前日に先祖の墓には参りましたし。………それに生家の跡地が空き地でも、誰かの家が建っていても耐えられなくなってしまう。あと藩校に行けば素性を知られかねないですから」
笑みを浮かべているが、どこか悲しげで綾人の胸が痛む。落ち込んだ表情になる綾人に気がついて慌てて付け加えた。
「ですけど来年も此方に来たいと思ってます。先祖の墓がありますからね。その時は一緒に来てくださいますか」
綾人はきょとんとした後、少し嬉しそうに笑みを作った。
「ええ、喜んでお供いたします」
その時には龍藍殿は俺の想いを受け入れてくれるだろうか。それとも友のままなのか。どちらにしても龍藍殿と隣を歩ければそれで幸せなのである。
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