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異端なる者 其の壱
今も両親のことが大好きなのに、半妖であるこの身が憎い
牢の前に立った少女はちょこんとその場に座って尋ねてきた。年は時雨とより少し年下程であろうか。そんな少女に歌声を聞かれていたのは少し気恥ずかしくて私の頬が熱くなる。
「土御門の姫君にお褒め頂けるとは恐悦至極。…………ところで、何故貴女は、こんな薄暗い牢に来られたのですか。危ないと言われたりなさらなかったのですか」
すると少女はばつが悪そうな顔をする。そんな表情をするということは、親か晴彦殿に入るなと言いつけられていたのだろう。少女が手招きしたので、牢の傍に近寄る。少女はこそこそと牢越しで、話し始めた。
「晴彦兄様から言われていたのですが、通りがかった時に貴方の歌声が聞こえましたの。それに花に誘われる蝶のように、ついふらふらと入ってしまったのです」
別に誘い込むつもりはなかったのに、悪いことをしてしまった。泰明殿が今戻ってきてしまったら、私だけでなく、この少女もまずいことになる。
「姫君、悪いことを言いませんから、早くお戻りなさい。もう少しすれば、貴方のお父上が戻ってきます」
「父なら、貴方のことで御先祖様と言い争い中です。あの様子ではしばらく戻らないかと。ねえ、綾兄様との旅のお話聞かせて頂けるかしら。私京から出たこと無いんですもの」
少女は、目をきらきらと光らせてこちらを見ている。そうか。貴族の娘となると、外出は私よりも少ないわけか。龍藍は目を細めて頷いた。
「ええ。私でよろしいのならばお話いたしましょう」
そして龍藍は少女に旅の思い出を話し出す。話すにつれて、脳裏に浮かぶは綾人の様々な表情。怒ったり驚いたり……あの人は私の素顔を醜いとは言わなかったし、平然と受け入れてくれた。それに……。
『俺……は……貴方が好きなんです……!!』
あの人はこんな私のことを好きだと言ってくれた。あれほど驚いて嬉しかったことは、無いかもしれない。
「どうされたのです。悲しいのですか?」
「え……?」
気づけば涙が止まらなくなっている。ああ、この感情はまさか。それに気づいても今さら遅いのだと、龍藍は自分の涙を袖で拭う。だが一向に涙は止まらなかった。
肩を震わせる龍藍に綾人の妹はただ狼狽えることしか出来ない。どうしよう。こんな綺麗な人を泣かせてしまった。せめて手を重ねようとしたその時、僅かではあるが近づいてくる足音を耳にした。
「姫君、早く此処を出てください。お父上が来られます」
「ですが……!」
この人をこのまま見捨ててしまってよいとは思えない。だが何も出来ない。
「大丈夫です。……さあ、お早く」
さっきまで涙を溢していたが、安心させるような笑みを向けていた。本心はきっと違うだろうに。少女は頷くと素早くその場を去る。後ろ髪引かれる思いであれど、非力な自分にはどうすることも出来なくて悔し涙が出そうになった。
少女が座敷牢の前から去って数十秒後、入れ違いに泰明が入ってきた。牢の中の錠前を開けて入ってくるなり、龍藍の胸ぐらを掴んだ。
「貴様、どうして陰陽寮に入ろうなどと思った。陰陽寮を内部から崩落させる為か?」
寒々とした敵意ある声。それに臆してはならぬと、龍藍は凛とした表情で答える。
「そのようなことなど一切考えておりませぬ。叔父が無き今、後ろ楯なき身であり、叔父に陰陽道を教え込まれた我が身が出来ることは、蒼宮の幼き子が成熟するまで支えることと判断したまでです」
一層泰明殿の表情が険しくなる。泰明殿は私の首に下がっている呪具を奪うと一瞬で容姿の変わった私を嘲笑った。
「このように姿を隠していたのにか? 姿だけでなく心も偽って俺の子を騙し、傀儡としたのではないか」
姿は偽っていたが、綾人殿には自分の出自以外には欺いてなどいない。それだけでも罪悪感があったのに、まだ疑うのか。龍藍が反論しようとすると、突然目眩がして倒れる。
「な……に……を」
「貴様の言葉など信用できない。そこで記憶を見ることにした」
嫌な予感がする。抵抗しようとするが、身体に力が入らない。
「記憶を見られたくなければ、母の力でも使うが良い。そんなことをすればたちまち貴様は血でも吐くだろうがな」
泰明殿の声を最後に私の意識は暗闇に呑まれた。
泰明は意識を失った龍藍の顔に触れる。包帯で覆われてはいるが見目麗しい外見。例えるならば雪が人の姿を取ったような清らかさである。では中身はどうか。包帯に手を掛けると、先祖の気配を感じた。
「私としては包帯の下と記憶を見ない方が良いと思う」
「どうしてですか。この者は外法師と結託して我が姪と妹と……我が友を死に追いやった可能性があるのですよ」
「この子は誰も殺していない。普通、人を殺せば魂に澱みが生じるがこの子は無いだろう? お前はそんなことも忘れたのかい」
魂の純度だけで信用するだなんて無理がある。泰明は龍藍の包帯を剥がしていった。魂の純度など偽ろうと思えば出来るのだ。
「貴方もあやつもお人好しだ。貴方達がそのようだから傷つくことになるのですよ」
俺はもう人を信じられない。義弟を信頼して妹を託したというのに義弟は守ることなど出来なかった。弟のように可愛がっていた薄氷は、妹を間接的に殺した容疑がある。そして何度も肌を重ね生涯共に支え合おうと誓った親友は、数年前に呪詛で死んだ。
「薄氷のことだからこやつを利用しようとするでしょうに。………っ……これは……」
包帯の下を見た泰明は絶句する。包帯に覆われていた皮膚は酷く爛れており、目を逸らしたくなる。さらに目の辺りから微かに神気を感じる。動揺で動けずにいる泰明の隣に晴明が来ると、そっと龍藍の瞼を覗いた。
「……目はこうなってたのか。言っておくけど、この子は時雨が蛇神に愛されているように、龍神に相当気に入られている。それでも記憶を覗こうと言うのかい」
「当たり前です。もしこの子に人を害した罪あらば、陰陽寮には入れられませんから」
泰明は龍藍の頭に手を翳す。目を閉じた泰明の頭に龍藍の記憶が流れ始めた時、龍藍の目尻から涙が零れた。
自分に出来ることが無いだろうと思いつつも、綾人は実家である土御門邸に乗り込むことにした。屋敷の構図を誰よりも知っている綾人は、紙に見取り図を描く。性格の割には丁寧に描かれたそれを見ながら、3人は話し合うことにした。
「鬼門の方角にあるのが座敷牢。恐らく龍藍殿は此処に入れられていると思う」
「身体や精神が傷つけられる恐れは?」
銀雪の率直な疑問に、綾人は顔を強張らせた。銀雪は淡々と訊いているが、目の鋭い光からは怒りがうかがえる。
「…………すぐに身体に危害を加えられることはないと思うが、精神の方は分からない」
心を覗くことで龍藍殿の心の傷を折檻する可能性がある。その際、もし龍藍殿にとっての心の逆鱗に触れるようなことがあれば、龍藍殿の母君の血が暴走し、身体に負担がかかる恐れがあるのだ。その前に助け出す必要がある。
「すぐにでも龍藍を助け出したいのは山々だが、土御門の結界に歯が立つと思うか。あれは十二天将全員の神気と土御門の術式によって強固な結界となっているのだぞ」
青龍が暗い顔で答える。そうだ。土御門の庇護を受けていた頃ならば結界などあって無きが如しだったが、今しがた俺は父に攻撃された。もう結界は頑丈な壁として立ちはだかるだろう。まずそれをどうにかしなければ。結界を強引にでも傷をつけられれば入り込めるとは思うが。綾人が奥歯を噛んで唸っている時、ふと冷たい神気が頬を撫でた。
「天将どもの結界ぐらい僕が破れると思うけど」
恐る恐る綾人は顔を上げる。そこには口元に微笑を浮かべた龍神が立っていた。だが一切目が笑っておらず、綾人は背筋に寒気を覚えた。
「余裕そうな顔をしているが本当に出来るのか? 龍神は黄泉の風にあたって十年前から体調不良な上、力の源である龍玉を砕いて龍藍の義眼にしたから神域から出るのすら渋っていただろう」
「………………はい?」
綾人は思わず聞き返す。包帯の下の眼球は普通の目に見えていた。なのにあれは義眼だと? その上、あれは龍玉? 話を飲み込めない綾人を置き去りにして話が進む。
「なあにちょっと目眩がするだけで大丈夫さ。これでも僕は坡璃野では縁結びの神、浄化の神として慕われているから信仰の力でどうにでもなるよ」
目眩がする時点で少しまずいのではないか。それに龍玉を砕くなんてとんでもないことをしている。我が身を削るほど龍藍殿に慈愛を注いでいる龍神。陰陽師が嫌いらしい彼に龍藍殿への想いを打ち明けた時、俺を排除せず見守ってくれた。それは無力な俺を信頼をしているということだ。ならば……信頼に応えなければならない。そうしなければ龍神や龍藍殿の前に立つ資格すらない。
「お力を貸して頂けること感謝いたします。では俺が注意を引き付けますので、その間に結界を破壊してください。それで私達が龍藍殿を救出いたします」
「うん、分かった。でも良いのかい? 家族を敵に回すことになるかもしれないのだよ」
「はい。承知の上です。でないと龍藍殿に合わせる顔がありませんから」
負けるだろう。死ぬかもしれない。だけども龍藍貴方殿を失うことが怖い。覚悟を決めた綾人を笑みを浮かべて見つめる龍神。その隣で暫く無言で眺めていた銀雪は、刀を鞘ごと腰から引き抜いた。
「おい綾人」
「何だ銀雪。俺が気にくわないのか」
いいやと銀雪は首を振る。銀雪は綾人に刀を突き出すように持つ。
「お前のことは気に喰わぬ。だが今宵だけはお前を主と仰ぎ、この命と力を預けよう」
思わぬ銀雪の申し出に綾人は口をぽかんと開けていたが、ゆっくりとその手に己の手を重ねた。
「ああ……銀雪。ありがとう」
目頭が熱くなり、声が震えてしまう。銀雪にそう言ってもらえたことが嬉しくて、綾人は口元に笑みを浮かべていた。
綾人はすぐに持てるだけの霊符を書き始めた。霊符はあるだけ持っていたほうがいい。そうすれば万が一怪我をしても最悪の事態には至らない筈。書き終えると即座に動きやすい服に着替えた。
刀は持ってはいるし、そこそこに武術を実家を訪れる天将達に教えてもらっているので使えるが、実践で試したことがない。そこで、いつも呪術で使う愛用の短刀だけ持っていくことにした。俺が懐に短刀をいれようとすると、きらりと龍神が目を光らせる。
「中々いい得物だね。ちょっと細工してもいいかな」
「勿論にございます。有り難き幸せ」
神に細工していただけるなどまたとない機会。それに従兄弟の時雨が持っている刀が、騰蛇と国津神である蛇神の炎に鍛えられたという羨ましい物だから、時雨に自慢出来る。龍神は俺の短刀を手に取ると、神気を込めた。龍神は短刀を鞘に納めてから返す。
「はい。これでちょっとした厄介な結界は破れるし、面倒な妖にも効くよ」
「本当に有り難き幸せにございます。後程お礼に酒でも献上いたしますので」
手に取るだけで、清浄な神気に包まれている心地がする。お礼が酒だけで良いのかと思うほど、愛用の短刀が物凄く強化されているのがわかる。
「では君が好きなお酒を捧げてくれると嬉しい。やっぱり高い安いよも、美味しいと思うお酒を捧げてくれるのが良いからね」
龍神は微笑を浮かべていたが、すっと土御門邸に視線を向けた。
「軽口はそこまでにして……龍藍を助けに行ってくれ。合図をしてくれたら結界を破る」
「あの、龍神様……結界を破るのはよろしいですが、家族に危害は加えないでくださると有り難いです。私は兄や父と刃を交える覚悟は出来ております。ですが、自分以外の手で家族が傷つくのは……」
我儘を言っているのは分かっている。それでも、誰かに死んでほしくないという思いは押し殺せない。いや、自分以外の手に掛かることへの覚悟が出来ていないのだ。綾人が目を伏せて唇をわなわなと震わせているのを一瞥すると、龍神は綾人の頭を撫でた。
「分かったよ。……君も、なるべく家族を傷つけない道を選びなさい。覚悟が出来ていたとしても、後で罪悪感に苛まれることになるからね」
綾人は黙って頷く。その震える手には青く淡い光を放つ短刀が握りしめられていた。
青龍と銀雪に隠行してもらい、綾人は夜の町を進む。夜ともなると辺りは静かで少し不気味だ。道中誰とも遭遇すること無く土御門邸に着く。案の定、門に触れた途端に結界が光り、綾人は凄まじい衝撃で弾かれた。想定していたことなので、咄嗟に受け身を取る。
「やはり駄目か………」
許可無き者が結界に触れれば、たちまち父か兄に知られてしまう。さてどっちが来るか。綾人がじっと門を睨んでいると、門の上から幾筋もの光が俺の身体を貫こうとした。
「おっと」
綾人は器用にも全てを避けて後方に下がる。門の上には兄である晴彦が、複雑な面持ちで立っていた。
「兄上も父上のように高いところがお好きなようですね。ところで父上はいづこに」
「父上はお取り込み中ですよ。それよりも綾人。貴方は知らないところで勝手な真似ばかりをして。今夜は貴方を入れるわけにはいきません。戻りなさい」
父上が出てこないということは、龍藍殿に何かしている可能性が高い。兄上にはすまないが、俺は此処で足を止める気はない。
「戻る? 戻るも何も此処は俺の家です。 そして彼処は蒼宮の邸宅。主不在の屋敷でのうのうと過ごす訳にはいかないでしょう?」
彼のいない彼処にいて何をすればいいのだろう。綾人が晴彦を睨みつけると、晴彦もいつもは滅多に見せぬ冷たい表情になった。
「早く戻りなさい。もしこのまま押し入ろうとするなら容赦はいたしません」
兄上は本気だ。綾人は強がった顔をしつつも内心は冷や汗が止まらない。綾人が身構えると、晴彦は呪符を投げつける。呪符は石礫に変じて綾人の身体に降り注ぎ、綾人は霊符の障壁を作ってこれを防ぐ。それが合図というように兄弟の攻防戦が幕を開けた。
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