21 / 25
想い重なりて
ようやく自分の気持ちに気がついた
龍藍殿が目覚めた次の日、俺が銀雪や龍藍殿と話していると聞きなれた足音が聞こえてきた。この足音はまさか……。綾人がじっと襖の向こうを見つめていると、父上が入ってきた。
「父上……」
「蒼宮殿が目覚めたと聞いて参った。お前もいたければ此処にいろ」
綾人は頷くと、龍藍の方に少し身体を寄せた。慌てて身体を起こす龍藍殿を支えた銀雪は無言で父上を睨んでいる。青龍はあいにく蒼宮邸を守っている為この場にはいないが、もしいたのならば父上に嫌悪の眼差しを向けていたかもしてない。
父上はその場に腰を下ろすと、頭を下げた。綾人は驚きのあまり目を見開く。父上が家で誰かに頭を下げたのは母上を怒らせてしまった時以来なのだ。何か食あたりでもしたのだろうか。綾人がそんなことを考えていると、父上が口を開いた。
「まず蒼宮龍藍殿。貴殿の素性を疑ったとはいえ、軽率にも数々の仕打ちをしてしまったことを謝らせていただきたい」
龍藍殿も驚いているのか言葉が見つからないようであったが、慌てて首を横に振った。
「いいえ。此方が素性を隠していたのが悪いのです。土御門殿、どうか頭を上げてくださいませ」
父上はゆっくりと顔を上げる。父上は先日の行動を本当に反省しているのか、肩を落として少し落ち込んでいる顔をしている。
「蒼宮の先代当主のことで、疑心暗鬼になっておりました。貴方もあの先代に被害を受けた側なのですのにね。貴方の素性は特殊なものではございますが、貴方に悪意が無い以上、そのまま表向きは今までの偽の素性をお使いください。貴方の本性を知れば、貴方を襲う者も出て来るでしょうし」
良かった。父上の龍藍殿への疑いは晴れたようだ。そのことにほっと息を吐き出した。
「ということは私は陰陽寮に入ってもよろしいのですか」
「寧ろ入っていただきたい。貴方程の霊力の持ち主は殆どいないのですから。貴方の技量を磨けば、陰陽寮になくてはならない存在になり得ます。ですが龍藍殿、貴方は本当によろしいのか。貴方が幽閉されている間、ずっと守ってきた武士の矜持を捨てることになる」
龍藍殿の肩がびくりと震えた。叔父上も以前、似たようなことを龍藍殿に問うたことがあった。その時は動じずに陰陽師として生きる道を選ばれた。だが記憶を見られたせいか、龍藍殿が動揺しているように見える。龍藍殿は目を伏せると口を開いた。
「……叔父が生きていた頃は、どんなに辛いことがあっても隙をついて武家に戻ろうと思っていた頃がございました」
それはそうだろう。俺だって生まれてからずっと陰陽師になるのだという自覚を持ち続けてきたのに、急に武家や百姓になれと言われてもなれる筈がない。身分を変えられようとも生まれ持った矜持を捨てるのは難しい。
「ですが翠雨と出会ってから、あの子が叔父のような過ちをおかさないように育て上げねばと思いました。それに……矜持を捨てる訳ではございません。在り方を変えるだけです」
父上は本当に良いのだろうかと言いたげな顔をしていたが、渋々頷いた。
「では改めまして陰陽寮へ入っていただきましょう。ですが素性をこの土御門に偽った罰として……初めは使部になっていただきます」
「使部……!? 父上、使部は下端ではありませんか!?」
先代の蒼宮殿の生前の身分からしてそれはいくらなんでもおかしいのでは。綾人が父を見ると、黙ってろと黙殺された。銀雪も俺と同じ意見なのか、恐ろしい顔で父上を睨んでいる。
「綾人の言う通り、使部は下級の役人。しかしながら最初は使部として陰陽寮、そして宮中の仕組みを分かっていただくのがよろしい。それに貴方ならばすぐにでも出世して陰陽生や天文生となれると判断しました。勿論、お上も快諾なされました」
俺や銀雪の思いに反して、龍藍殿は微笑を浮かべて頷いた。俺はその横で何か使部時代のことで龍藍殿の参考になるものはないか必死に思い出していた。
「すぐにでも陰陽生か天文生になれるのならそこから入れば良いじゃないか。あの阿呆が」
父上が部屋を出た後、銀雪が舌打ちをした。普段ならば父上を罵る言葉には少しカチンと来るところだが今回は同意だ。綾人は頷いた。
「大体、兄上が代理の時は貴方を陰陽生としようとしていたというのに……あの馬鹿親父」
剣呑な表情で泰明の悪口を言う二人を龍藍は宥める。
「まあまあ、無事に陰陽寮には入れるようですし。二人ともそんな怖い顔は止めてくださいな」
龍藍は微笑んでいるが、緊張で疲れがきたので1人横になっている。本当は一番憤りを感じても良い人間が宥める側になっている。それがこの人の美徳であるのだが、不満を表に出してないだけで溜め込んでいるのではと心配になる。
「龍藍殿、嫌な時は嫌だと仰っても良いのですよ。我慢しすぎは身体に毒です」
「いえ。我慢などはしておりませんよ。貴方や銀雪が私の為に怒ってくれるから、それで十分なんです。二人ともありがとうございます」
俺と銀雪は目を見開いて黙り込む。龍藍殿の言いたいことは分かるが、礼を言うほどのことではないだろう。それに他の人が怒っているなら自分は怒らなくて十分というのはお人好しなのでは。
「それはそうだけど、たまには怒ったりなどの感情表現も必要だ。…………いや、こいつがあんなことを言ったときは怒ってたなあ」
銀雪はちらりと俺を見る。確かにとんでもないことを言ってしまったあの時は龍藍殿は怒った表情をしていた。それでは龍藍殿を怒らせたのは珍しい事件だったのではないかと今更ながら思った。
龍藍殿が一日中起きれるようになるまで七日程要したので、蒼宮邸を半月も留守にしたことになる。龍藍殿の素性が露見したので自分は蒼宮邸から荷物を回収しようとしたが父上に止められた。
「半龍の陰陽師など前例が無い。龍の半妖の彼が力が暴走しないように当分の間は見張れ」
当分とは、いつまでなのですかなどとは言えなかった。許されるならばずっと彼の傍に居たいから期間を聞くと野暮な気がしたのである。…………とは言っても彼にとって俺はただの友人なのだが。
蒼宮邸に戻ると、翠雨が泣きながら龍藍殿に抱きついた。龍藍殿は翠雨を抱き上げると、その背を宥めるように擦る。
「翠雨様は貴方が突然いなくなったので夜泣きが酷かったのですよ。ともあれ、無事にお帰りくださいましたこと嬉しく思います。夕餉は何になさいますか。仰ってくださいまし」
翠雨の傍にいた睡蓮は厳しい顔つきではあるものの、帰還にほっと胸を撫で下ろしている様子であった。
「睡蓮殿、ありがとうございます。ここの食事はどれも美味しいのでお任せいたします」
そして龍藍殿は翠雨と離れた分の時間を取り戻すように、遊びの相手をしていた。俺は縁側に座ってその様子を見守る。翠雨が寝つき傍にいた銀雪が席を外すと、龍藍殿は俺に声をかける。
「綾人殿、夜にお話したいことがございます。よろしければ、貴方のお部屋にお邪魔してもよろしいでしょうか」
何のことだろうか。突然のことに俺は一瞬何と返せば良いのか分からなくなる。
「え…ええ。勿論構いませんよ。是非来てくださいな」
挙動不審になっていないだろうか。綾人は必死に平静さを保った振りをしつつも、胸の早鐘が聞こえていないか不安になった。
食事の最中もずっとそのことが気になって味など分からないまま完食する。その後ずっと落ち着かず、部屋を行ったり来たりしていた。話とはなんだろうか。陰陽寮の話だろうか。それならいくらでも出来るし、使部の仕事についてならば色々と教えてあげられる。それとも、今後もずっと友人でいましょうといったことか。その場合、嬉しく思っていいのか悲しいと思えばいいのか分からない。綾人は考え事に浸り、足を止められない。そのせいか、部屋に近づく足音を察知できなかった。
「綾人殿、入ってもよろしいですか」
「ひゃい!?……ごほん。いえ、どうぞお入りください」
不意に聞こえた声に綾人の声が思わず裏返る。咳き込んで誤魔化すと、綾人は龍藍に部屋に入るように促した。
龍藍殿は部屋に入ってくると正座する。普段の俺は胡座であるが、俺もそれに倣って正座した。
「綾人殿、先日は私を庇って頂いた上に看病してくださったそうですね。本当にありがとうございます」
「いえ、お気になさらず」
俺が出来たことなんてそれほど無い。それに助け出す前に、親父が尋問を中断したのだから俺が屋敷に乗り込んだ意味がないのではとも思ってしまう。
それに看病は桔梗が言うがままにやっただけだ。こう振り返ってみると少しずつ胸に棘が刺さった気分になり、綾人は目を伏せた。
「それでですね。貴方にお伝えしたいことがあります」
「何でしょうか。仰ってください」
話の本題に入るようだ。何の話かと綾人は緊張に身体を強ばらせる。そんな綾人を見据えて龍藍は口を開いた。
「貴方からの告白の返事の件です。ずっと悩んでおりましたが、もう心が定まりました。…………私も貴方が好きになりました。貴方の心がお変わりになられていないのならば、貴方の恋人になりたいと思っています」
あまりにも突然の返事。綾人は頭の中が真っ白になる。龍藍の瞳を見たまま、固まってしまった。
落ち着け俺。ちゃんと冷静にならなければ会話もまともにいくまい。綾人は深く呼吸をするが頬の熱さが引くことはない。
「……このことは銀雪に伝えたのですか」
「はい。貴方の部屋を訪れる前に、貴方への自分の気持ちを伝えました。銀雪は、お前の人生なのだから、自分の信じる道を歩むといい。俺はお前を傍で支えるだけだと申しておりました」
銀雪らしいと思う。だが出会った当初の銀雪ならば、力づくでも止めようとしただろう。龍藍殿を俺に預けても大丈夫と思えるほどの信頼を勝ち取れたならばこれほど嬉しいことはない。
「そうでしたか。ならば今の私の想いを打ち明けましょう。龍藍殿、俺の気持ちはあの時から変わってはいません。いいえ、むしろ貴方への想いは日増しに強くなっていく。龍藍殿、俺は貴方をお慕い申し上げております」
綾人は震えないように喉に力を入れて凛とした声音で自分の想いを告げた。龍藍は頬を染めて泣きそうな笑みを浮かべると頷く。そんな彼を引き寄せると綾人は力強く抱き締めた。龍藍も綾人の背に腕を回す。しばらくそうした後、綾人は龍藍の唇に己のそれを重ねた。触れ合うばかりの口づけ。温かく柔らかな感触が唇に伝わる。それだけでもう死んでもいいと思えてしまう程、綾人は幸せで胸がいっぱいになった。
口づけが終わった時、綾人は弛みそうになる頬をなんとか引き締める。確か同性の恋人というものは夫婦になれないが契りを結ぶものだ。……契り?男と女の契りは古事記や陰陽関係の書物で知っている。だが同性同士の契りの方法など分からない。それ以前に俺は童貞だ。肌の重ね方や相手を悦ばせる方法など知らない。
「綾人殿、どうなさいましたか?」
ああ、龍藍殿が首を傾げている。知らないまま流れでやることなど出来る筈がない。
「申し訳ございません。数日程、少し学ぶ時間をください。それから続きをいたしましょう」
「……? ええ、分かりました」
龍藍殿は頷いてくれたが、罪悪感に綾人は胸が痛くなる。俺の家に衆道関係の書物などあったか分からないが探す他に無い。綾人は今更ながら友人たちのように春画などの色を扱った書物に興味を持たなかったことを後悔した。
次の日、一旦家に帰宅して文庫 の書物を漁る。が、当然のことながら色を扱った書物は全く出てこなかった。
「やっぱあいつに聞く他無いかな……」
明日は久しぶりの出仕。友人にそういう関係の書物を借りようかと綾人は文庫の扉に手を掛ける。力を入れたと同時に、綾人の目の前に泰明の顔があった。
「わああ__!? ち、父上。出仕したのではなかったのですか」
「わあではない。今日は休みだから家にいるのだが何をそんなに驚く。そして、お前こそ何故此処にいる」
衆道を扱った書物を探しに来たなどとは口が裂けても言えまい。綾人は必死に言い訳の言葉を探した。
「いやあ……明日出仕するので、講義の復習をしようかと……」
目を泳がせる綾人をじっと泰明は見据える。父上、さっさと此処から出てくれないか。綾人が心の中で祈っていると泰明は口を開いた。
「綾人、隠したいことがあるならば顔に出すな。考えがすぐに分かってしまう」
泰明は溜め息をつくと、綾人の横を通って文庫の奥まで歩いた。そして壁に手を当て小さく何かを唱える。すると壁が溶けるように透明になり、壁の向こう側に所蔵された怪しげな書物の数々が見えた。
「あの……父上、それは……?」
文庫には物心ついた時から兄と入り浸っていたが、このような仕掛けがあったとは。綾人が呆気に取られていると、泰明は綾人の方に視線を戻す。
「我ら土御門は日頃から精進潔斎を重んずるのが家訓。それ故、精進潔斎の妨げになる書物はこのように隠しており、時が来るまでは読めないようにと術を施している。私はお前を童 とばかり思っていたが、もう大人だったな。……必要な分だけ読むといい。お前の欲している書物は、そこの奥の右の上から二段目にある」
泰明はそう言い残すと、陰陽道の書物を手に取ってその場を去る。一人残された綾人が言われた場所の書物を一冊手に取る。表紙を捲ると、同性の情事についての指南書であることが分かった。
「父上……どうして顔色だけで分かったんだろうか」
父のことだから、顔色だけでなく心までも読んでいそうである。ともかくあとはこれを読むだけだ。 綾人は早速蒼宮邸に戻って読んでみることにした。
だが想像以上に描写が細かく内容が濃厚で、綾人は熱が出たのではないかと錯覚するほど、耳まで顔が真っ赤になっていた。
次の日、綾人は予定通り出仕していたが昨日読んだ書物の内容が脳裏から離れず仕事にも手がつかなかった。
「綾君お久しぶり~」
「うわっと。千景 、いきなり背後から抱き着いてくるな!」
思わず筆を取り落としそうになり、綾人は背後の千景を睨む。千景は笑みを浮かべながら謝ってきた。
「あまりにも顔見てなかったからさ。思わずしてしまったよ。申し訳ない」
千景は賀茂の次男で俺と同じ陰陽生である。俺から講義の内容をまとめた紙をいつも写し見てたが、俺が今までいない間は大丈夫だっただろうか。綾人がふんと少し顔を逸らすと、千景は綴じ本を目の前に差し出した。
「いつも見させてもらってたから、お礼にと綾君がいない間の講義内容を纏めたのを綾君の分まで作ってたけどいらない?」
「本当か!? 絶対にいる! ありがとう!」
数ヶ月以上も講義が聞けなかったのだ。何度も頭を下げて綾人が受け取ると、千景はにまっと笑みを作った。
「たまにはお礼ぐらいしなくちゃね。 ところで、新しく入ってきた使部君だけど、人の良さそうな感じだったよ。綾君の居候先の子だっけ」
「そうだが。……変な気は起こすなよ。彼は俺の大切な存在だ。邪な気持ちで触れたらお前とて容赦はしない」
千景は綾人に初めて本気で警告されて軽く目を見張った。そして綾人の意図を理解して目を細める。
「そうか、綾君にも春が来たか。分かったよ。……ということは、綾君はもう身体は童子じゃないの?」
「……穢れなき童子だが。近日大人になる」
綾人の答えに千景は腹を抱えて肩を震わせる。必死に笑いを堪える様に、綾人はむすっとして千景の背をばしんと叩いた。千景は笑い涙を拭う。
「いやー、そうだよな。綾君、初 そうだしな。しょうがない、俺が指南書でも貸そう」
いや指南書は父に場所を教えてもらって読みましたなどと言えば父と俺の立場が色々危うい。それに指南書は多ければ多い方がいい。綾人は千景からも指南書を借りることにした。
ともだちにシェアしよう!