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第3話

「あ……っ!」  軽々と身体をうつ伏せに返され、お尻を突き上げる恥ずかしい体位を強要される。今度は背後から抱かれるのだ。 「お許し……ください……っ」 〝僕は……〟  愛されている感覚はなかった。蹂躙とも違う。  強いて言うなら、これは一種の儀式だ。  この人は……この国の未来を担うこの人は、カイの中に精を注ぎ込むことによって、ある目的を果たそうとしている。 〝僕は……この人の子を宿すためにいるんだ……〟  そう。  この世界で、カイは子を孕むことのできる存在なのだ。  ほんの数時間前まで、カイはそのことを理解していたはずだった。  ローリーを身ごもり、産み、大切に育ててきた。その経験により、カイは自分がどんな存在であるのか、ある程度は理解できていたはずだった。 〝それなのに……〟  突然、記憶は混乱した。自分がどこにいるのか、誰なのか、わからなくなった。 「……っ!」  背後から激しく抱かれながら、カイは閉めたはずの窓が細く開いていることに気づいた。  そして……微かに……甘い香りが。 〝僕は……〟  この香りを知っている。甘く切なく……こっくりとした香りを。  意識を手放す瞬間、カイはなぜか微笑んでいる自分に気づいた。  なぜか……微笑んでいる自分に。 ACT 2 「佳ー以っ!」  長く引っ張るように佳以の名を呼ぶ人物は、この世にたった一人しかいない。 「おい、いるか?」 「不破(ふわ)先生」  広い医局にずらりと並ぶ机。普通の医局であれば、そこに医局員が揃っている風景はあまりない。ほとんどの者が臨床に出ているからだ。しかし、基礎医学系の医局では、その限りではない。しんと静かな医局には、びっくりするくらいの人数がいた。なぜなら、基礎医学系の医局員たちは、医師ではあるが、その本来の姿は研究者であるからだ。実験に出ている医局員もいるが、机に向かって、静かに論文を書いたり、資料を当たったりしている者も少なくない。 「野々宮先生なら、薬草園にいらっしゃいますよ」  出入り口のドアに近いところにいた医局員が笑いながら答えてくれた。 「ご自宅のゲンノショウコを採取し損ねたとかで」 「し損ねた? ゲンノショウコなら、いっぱい咲いてたぞ」  きょとんとした表情で言ったのは、すらりとした長身の医師だった。涼しげに切れ上がった一重まぶたと少し微笑みを浮かべたような薄めの唇、すっきりと細く通った鼻筋が知的だ。鋭さを感じさせる容姿だが、甘く柔らかい響きの声のせいで、うまくシャープな感じが緩和されている。 「咲いちゃダメなんですよ」  医局員はさらに笑っている。 「ゲンノショウコは、花が咲く直前に採取しないと薬効がないんです。野々宮先生は、そういうところはしっかりされているんですけど、めずらしいですね」 「ふぅん……そんなもんか」  濃紺のスクラブに白衣を羽織った姿は、まさに前線に立つ医師である。 「じゃあ、薬草園に行ってみる。サンキュ」  軽く片手を上げ、爽やかに笑うと、彼はぱっと走り出していた。  佳以は柔らかく吹く風にさらさらとした髪をなびかせて、緑の中に佇んでいた。  佳以が所属する白櫻(はくおう)学院大学医学部は、臨床系はもちろんだが、基礎医学の分野でも評価が高い。すぐに診療報酬に結びつかない基礎医学は、なかなか予算もつきづらく、医局員も集まりにくいのだが、ここ白櫻学院大学医学部基礎医学系ユニットは、例外的に医局員のコマも揃い、研究環境も整っている。医学部長から学長になった人物が、基礎医学系の研究者だったためと言われている。 「佳ー以っ!」  ぴんとよく通る声で呼ばれて、佳以は振り向いた。 「ああ……律(りつ)」  緑の中を泳ぐようにしてやってきたのは、同い年の幼なじみだ。  不破律は、佳以の自宅から歩いて五分くらいのところに住んでいる。律が生まれたのを機に一戸建てを建てて、移り住んできたのである。  実は、幼なじみと一言で片付けるには、二人の縁はあまりに深い。 「どうしたの?」 「どうしたじゃねぇよ」  律はしょうがねぇなという顔をしていた。 「おまえ、昨日、うちに来る約束だっただろ? 母さんが待ってたのにさ」 「あ……」  そういえば、昨日の朝、不破家の前を通った時、律の母に呼び止められた。いただきものの果物や瓶詰めがたくさんあるから、後で取りにいらっしゃいと言われたのだ。祖父と佳以、二人暮らしの野々宮家を何かと気にかけてくれる優しい女性である。 「ごめん……昨日は家に帰らなかったから……」 「だろうと思ったぜ」  律は呆れたように言う。 「母さんからの差し入れは、今朝、野々宮先生に渡してきたから」 「ごめん」  佳以と律は、誕生日が一緒だ。生まれた産院は違うのだが、同じ日に生まれ、同じ保育園と同じ小学校、中学校と進み、同じ私立の進学校から白櫻学院大学医学部に入った。さすがにその先は、佳以が基礎医学、律が救命と進路は分かれたが、お互い実家に住んでいる者同士、ずっと肩を並べて歩き続けている。 「おまえな、すぐに徹夜する癖、やめた方がいいぞ」  律は佳以の華奢な手首を軽く取った。 「ほら、痩せすぎ。身体に悪いぞ」 「僕が太れない体質なのは、もともとだよ。律みたいな筋肉がつかないんだよ」  律はすらりとしたプロポーションの持ち主だが、所謂着痩せするタイプで、しっかりとした筋肉質の身体つきをしている。一方、佳以はプロポーションのバランスはとれているものの、ほっそりと華奢で、全体的に色素の薄い儚げなルックスも相まって、遠目には女性……いや、少女にも見える可憐な容姿である。

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