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第5話

「しかし、こんな立派な実がなるイチジクの木が二本に、薬草園もあるんですよね。野々宮先生のご自宅って、どんな大邸宅なんですか」 「ですよねー。なんか、すごくおしゃれな洋館に広い広い庭って感じ」 「なんで、洋館なの?」  佳以は少し困ったように言う。明るい栗色の瞳がすっと長い睫毛の陰に隠れた。 「えー、野々宮先生って、ハーフなんでしょう?」  今年入ったばかりの若い秘書がマスカラをたっぷり塗った睫毛をパタパタとさせながら言った。 「違うんですか? 顔立ちも目とか髪の色も日本人っぽくないし」 「違うよ」  佳以は小さく笑った。 「違う違う。僕は日本生まれの日本人だよ。たまたま、いろいろな色素が薄いだけ。家なんかは診療所兼用の古い木造だよ。郊外だから、ちょっと敷地は広いけど」  自分のことを聞かれたり、言ったりすることが、佳以はあまり好きではない。軽く会釈すると、用ありげにすっと自分の席に戻った。ついでにスマホを取り出して、多忙な親友にメッセージを送る。 『どこにいる? 仕事?』  いつ返ってくるかわからないと思ったのだが、意外なことにメッセージはすぐに戻ってきた。 『アーチェリー部のフィールドにいる』  律は、高校時代は和弓、大学に入ってからはアーチェリーをやっていて、どちらもなかなかの腕前らしい。 「タフだなぁ……」  激務である救命救急医を務めながら、さらに体育会系のスポーツを続けているというのが凄い。 「え?」  お茶を持ってきてくれて、佳以の独り言にきょとんとした表情をした秘書に笑ってみせてから、佳以は立ち上がった。 「ちょっと大学の方に行ってきます」 「ああ……」  後輩が頷く。 「不破先生ですね?」  どうやら、佳以と律の親密すぎる親友っぷりは医局内では有名らしい。佳以は苦笑するとはいと頷いて、医局を出た。  白櫻学院大学のキャンパスは広い。多くの学部を持つ総合大学という性格もあるが、体育会系の部活に力を入れており、オリンピック選手も輩出しているレベルであるため、その部活にさくスペースが大きく、結果的に広いキャンパスを保持することになっている。 「自転車ほしい……」  小さくつぶやきながら、佳以はキャンパス内を横切るように歩いていた。佳以の住処である医学部研究棟と体育会系部活が練習を行っているエリアは、一番離れている。佳以は浮かんできた汗を指先で拭いながら、ネットで囲まれたアーチェリー用のフィールドの方向を見た。 「うわー、まだ遠い……」  グリーンのネットは遠く霞んで見えるようだ。佳以はせっせと足を運ぶ。  祖父からの伝言はメッセージではなく、自分の口でちゃんと伝えたかった。 〝というか……律に会いたいのかも……〟  優しく包容力のある幼なじみは、佳以にとって、永遠の憧れであり、頼れる存在だった。彼の凜々しい横顔を見て、いつもふんわりと身にまとっている甘いジャスミンの香りを感じると、心がふっと解けていくのを感じるのだ。  ジャスミンは女性の香水に使われることの多い花だが、律の母がその香りが大好きとのことで、佳以が不破家の庭にジャスミンを植え、手入れをしてきたのだ。不破家には、いつもジャスミンの香りが漂っていて、そこで暮らしている律も、いつもその柔らかく甘い香りを身にまとっていた。クールで知的なイメージの彼から、ふわっと甘い香りが漂ってくるのは、ちょっとしたギャップ萌えのようなものがあるのか、女子たちにはなかなか評判がいいようだ。 「えーと……」  ようやく、フィールドに近づき、中の様子が見えてきた。 「……あれ?」  フィールド内には、五、六人の部員がいるようだが、そこに律の姿はないようだ。彼はすでに学生ではないため、コーチのような形で部活に参加している。 「いないな……」  こちらに背を向けていても、彼の姿はすぐにわかる。誰よりも姿勢がよく、いつもその背中はすっきりと伸びているからだ。 「おかしいな……」  たったさっきメッセージのやりとりをして、ここにいると言っていたのに。  佳以は一応フィールドをもう一度見て、律の姿がないことを確認すると、スマホを取り出した。新しいメッセージは入っていない。 「どこにいるんだろう……」  つぶやきながら、ネットを張ったフィールドをぐるりと回り、近くにある部室棟の方に目をやった。 「あれ……?」  うなぎの寝床のような部室棟には、体育会系部活の部室がずらりと並んでいる。その部室棟の陰に、幼なじみの広い背中が見えたような気がしたのだ。佳以は足早にそちらに向かう。

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