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第46話

「まこ?」 「…そっち、向きたい」 真は自分の目を塞いでいた弘の大きな手をゆっくりと剥がして、 身体を弘の方へ反転させた。 急に明るくなった視界に、一瞬目がくらむ。 膝を立て、弘の腰をまたぐ形で向き合った。 薄茶色の瞳を、まっすぐに見つめる。 「まこ…?」 弘はキョトンとした顔で真の顔を見ていた。 どう見ても、男の顔から 全てを受け入れるような悟り切った雰囲気は見て取れなかった。 ”夜の男”を表す整った顔立ちは、色気の中に素朴ささえ感じられる。 それが不思議で仕方ない。 真は身体を前傾させて、弘の口元に自分の唇を当てた。 口を離すと、弘は目を丸くしたまま、両手の指先を自分の唇に宛がった。 薄茶色の上下の睫毛が何度も重なるように、細かく動く。 「キス…好きなのかなと、思って。さっきから、結構してる気がする」 「う…ん。…好き。…好き」 この反応は、意外だった。 視線をこちらに向けたまま、何度も頷いているのが何だか可愛く思えてくる。 真は目を細めながら、向かいのバスタブに背中をつけてまた、大きく息を吐いた。 弘はこんなことを、会ったばかりの客に何度繰り返してきたんだろう。 自分には到底出来そうもない。 真の後頭部に、どよりとした空気が重くのしかかる。 何故そんな平気な顔をしていられるのか。 それとも平気そうな顔をしているだけなのか。 理解できなかった。 けれど、これだけは分かったような気がする。 ずっと心が満たされないでいたのは、 与えるものと与えられるものが、どちらか一方に傾きすぎていた。 当時渦中の二人はそれに当然のように無関心で、 気づく手だてさえ、なかった。 今ならそれが、分かるような気がする。 「あんた…不思議な人だな。」 真はそう言うと、バスタブの淵に右肘を乗せて、拳で自身の頬を支えた。 落ち着きを取り戻した弘はまた少し目を見開いて、笑った。 「…まこの方が、よっぽど不思議な人だよ」 夢の世界に、2人きり。 限りある時間に交わされたこのやり取りを、他に知る者はいない。 つい1時間ほど前に初めて会った男。田中弘。 何もかもが、幻想のように思える。 「…弘に…会いにきたってことにする」 真は揺れる湯船に視線を落としながら、静かに呟いた。 そのまま身体ごと、バスタブの底に沈めていった。 「うん…そうして」 その姿を見て、弘は嬉しそうに微笑んでいた。

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