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先輩と俺の18.44メートル【塁斗視点】

俺もいよいよ二年生になり後輩ができた。みんな緊張しながらも慕ってくれて、昨年の涼先輩も一学年下の俺たちが入部したのがかなり嬉しかったんだろうと、今やっと理解できる。 『片瀬くんを守るよ』 そんなキザなセリフも飛び出しちゃうほどに浮かれていたんだ、あの頃の涼先輩は。 それでもその言葉に嘘はなく、ここまでの一年間ことあるごとに涼先輩は俺を気にかけてくれていた。 体調は大丈夫か。走り込みがキツかったら無理しないでいい、俺から顧問に言っておく。 それだけでも充分すぎるくらい過保護なのに、他の部員との会話で盛り上がっているとその相手をじーっと睨みつけて、話がなかなか止まないとわざとらしく割り込んできてしまうこともある。 男の中の男っぽく見えて、意外と嫉妬深いのかもしれない。俺のことを弟分みたいに感じて、誰よりも率先して世話を焼きたいと思ってくれているんだろう。それであんな独占欲。 そんな涼先輩はちょっと女々しくて可愛かったし、構われて構われて構い倒されるのも嫌いじゃなかった。それどころか涼先輩に『俺のモノ感』を出されることには、胸の内がふわふわするみたいな不思議な嬉しさもあった。このふわふわ感は涼先輩に対してしか感じられない特別な気持ち。 昨秋から俺は実質チームのエースに叩き上げ的に昇格し、涼先輩も順当に正捕手の座を得て、満場一致でチームの主将にもなった。 投手陣の中には一学年上の藤沢先輩もいた。身長が部内一高くてどこか野性味のある人だ。速球派で経験値も高い彼の方がエースにふさわしいと思ったけれど、顧問も、それから新主将の涼先輩も俺を推した。 「塁斗はコントロールが安定してるしこっちも安心できる。藤沢は球は速くて奪三振率もいいけど、何しろ調子にムラがあるし四球もちょっと多いしな」 涼先輩は選出理由をそう説明してくれた。 そしてエースの座を逃した藤沢先輩もまた漢(オトコ)だった。 「片瀬が身体しんどくなったら、そん時は俺が投げるよ。高校野球ってひとりのエースが投げ切るみたいなのが美しいセオリーみたいになってるけど、それってそいつの肘とかぶっ壊れねぇのかなってコエーし、リリーフ(=救援投手)はいくらかいた方がいいじゃん。一年と二年の中にも何人か見込みがありそうな奴がいるし。まぁ今年は安泰だな」 「藤沢先輩……」 三年生には最後の夏なのに、まだ来年もある俺なんかに先発の座を譲ってくれて。俺の体調のことまで気にかけてくれて。 「何だよ、そんな泣きそうな顔して」 「だって優しすぎでしょ……俺、みんなに迷惑かけてばっかりなのに……」 せっかく顧問が組んでくれた練習試合は抑制剤が効かなくて欠場。練習もみんなと同じメニューをこなせないこともあって、チームのお荷物になっていないか不安だったのに。 「俺が泣かしたみたいになるから泣くなよー。あーもう……俺のせいじゃねぇのに、鵠沼に誤解されたら利き腕へし折られるわ。……あ、ちなみにランナー満塁の状態で俺に交代させたらさすがにキレるからなー」 藤沢先輩はオトナだ。最後のは俺を和ませるための冗談で、実際にそんな大ピンチの場面で交代させられてもスマートに火消ししてくれるんだろう。本当にいい先輩だ。 その日の練習終わり。 「今日さぁ、藤沢とやたら楽しそうに話してたけど、何かおもろいことでもあった?」 涼先輩が尋ねてきた。 「あー、えっと、片瀬が先発でダメそうになっても俺がリリーバーでいるんだから安心しろって……。それってすごく心強いなって思ったし、俺が先発に固定っぽくなっちゃったのにムカつかないでオトナな対応してくれるのって何かカッコイイなぁって」 「ふーん……あっそ」 あれ?涼先輩怒った? そりゃ藤沢先輩のことは褒めたけれど、涼先輩のことをディスったわけじゃないのに……。 「あのさ、藤沢も一応αだから適度に距離取っとけよ。アイツ結構な女好きだけど、ちょっといいなくらいにしか思ってない女子にでもガンガン行くタイプだから」 「はぁ……」 「塁斗は男だけど、ぶっちゃけ藤沢のストライクゾーン入ってると思うわ」 「ストライクゾーン……」 根っからの高校球児である俺の頭の中にはホームベース上の領域がすぐにイメージされるわけだが、今のはたぶんその意味合いじゃない。 「何かされたら俺に言えよ。……つーか何かされる前に言って」 『何か』って具体的に何ですか?涼先輩の顔さっきからずっと険しすぎです。藤沢先輩のこと敵だと思ってませんか?あなたの同級生でチームメイトですよ。 俺は言いたいことをぜんぶ飲み込んだ。 涼先輩に気にかけてもらうことでのふわふわのしあわせ感は、何かの拍子に崩れるものなのかもしれないと思った。 俺はただふわふわのしあわせを守りたくて、それを崩そうとする何かの正体について考えないようにする。 ゴールデンウィークの始まりの四月下旬、その日は快晴の空のごとく俺の体調も万全で練習試合に出られることになった。 場所は対戦校のグラウンド。その最寄り駅に集合してみんなで向かう。 遠慮なく話せるからか、自然と学年ごとにいくつかのグループになってゾロゾロと歩く。 「あのさ、他の人の邪魔になるからあんまり広がらないようにね」 横に並んで歩道を占拠していた一年生たちに俺が声をかけると、彼らは『すみませんでした!』と慌てて端に寄る。 俺も上級生になったんだなぁなどと感慨にふけっているのを、前を歩いていた涼先輩が見ていたようだ。立ち止まって俺を待ってくれている。 「塁斗もすっかり先輩してんじゃんか。昨年の今頃はボクもう野球やめるんだーってぴーぴー泣いてたクセに」 「ぴーぴーはしてませんー!」 こんな軽口を叩けるのも涼先輩が相手だからだ。お兄ちゃんがいたらこんな感じなのかな。一人っ子の俺にはこういうフランクな男同士の関係性にちょっと憧れがあった。 それでも練習試合が始まれば、涼先輩のキャッチャーとしての力量に、叩き上げエースの俺なんておんぶにだっこ状態だ。 試合の流れや相手バッターの情報を把握しているだけでなく、グラウンドのコンディションも何もかも読んでいる。 特に俺の状態に関しては、俺も気づかないくらいの細かな不調すら見透かしてくる。もちろん勝負しなくてはいけない場面もあるが、基本は俺の調子を見て、甘く入って打たれそうなコースは要求してこない。 涼先輩はこのチームの頭脳にして、俺にとっても最大の理解者でパートナーだ。 「どうして俺のこと完璧にわかるんですか?」 と尋ねたことがある。 「塁斗のことはずっと見てるからわかるよ。つーか、俺が塁斗をいちばん理解できないでどーすんだよ。俺らうちの部の黄金バッテリーよ?」 嬉しさ八割、もどかしさ二割。 バッテリーとしてだけじゃなくて、野球や部活に関係ないところでももっと親しくなれたら。兄貴みたいに慕っている涼先輩に対してだからこそ感じる、行き過ぎているかもしれない濁った親愛。 「俺、塁斗と組めてめっちゃ楽しいもん。このチームで野球できるのも俺は今年で最後だし……そうだな、少なくとも夏が終わるまでは野球がいちばん大事!勉強なんかしねぇ!野球が恋人だ!」 「じゃあ俺も野球が恋人にします。あと、ちょっとくらい勉強した方がいいと思いますー」 「勉強はいいのいいの。……あれ?つーか俺ら、野球ちゃんに二股かけられてるってことじゃねーか」 「あはは、やば!」 今は四月の終わり。季節は容赦なしに進んでゆく。 涼先輩にとっての最後の夏が終わったら、野球という恋人を完全に捨てこそしないだろうけれど、生身の、ちゃんと人間の姿をした女子のことも思い出すのかな。それとも今度は受験勉強でそれどころじゃなくなるのかな。 目鼻立ちがスッとしていて、身長も俺よりずっと高い涼先輩。鍛えている分だけ筋肉もバランス良くついて、縦幅でも横幅でも俺はまったく敵わない。 そんな涼先輩がしっかりモテるのも知っている。 ただ、涼先輩と同学年の人たちの話では、彼は二年生に上がったあたりでその時付き合っていたαの彼女と別れて、それっきり女っ気がなくなったらしい。 それでも学校のグラウンドで練習していると、ちらほらと女子が野次馬的に見に来ていることがある。その目は明らかに涼先輩を追っているのに、彼がキャッチャーマスクを被るとやや興味を失うようでスマホをいじり出す人までいる。顔ファンってやつですか。 彼女たちには見えないから知らないんだ。キャッチャーマスクから覗く涼先輩の鋭い目つきはめちゃくちゃカッコイイことを。 その目がマウンド上の俺を見据えて。 『お前の力と俺のリード信じて、思いっきり投げてこい』 そう、俺に無言で語りかけてくる。 マウンドからホームベースまでの18.44メートル。ここで思いを交わし合う時、まるで世界にふたりきりのような静寂感さえ感じられる。 俺が野球を続けられて良かったと思う理由は、この瞬間の燃え上がるような高揚感なんだ。

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