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想い出に変わる【塁斗視点】

ふたり並んで座り、下りの電車に揺られる。 試合会場からの帰り道、俺は涼先輩の腕を掴み、他の部員たちに 『一本あとの電車で帰るんで、先に行ってください』 と言った。 特に仲のいい後輩である俺がヨシヨシしながら帰るんだろうと、大方の部員は想像したのかもしれない。それは半分くらい当たっていて、俺はどうしても強くてカッコイイ涼先輩が弱っている姿を、これ以上俺以外に見せたくなかった。 「塁斗ごめん……気ぃ遣ってくれた?俺がへこんでるから」 「別に、先輩とふたりで帰りたかっただけです」 涼先輩は、あの時太陽に目が眩んで一瞬だけボールを見失ったんだ、と俺に語った。 それは顧問にも他のどの部員にも話していないことで、この先もそんな言い訳じみたことを明かすつもりはないんだろう。ただ、事実だから俺だけにそっと伝えてくれたのかもしれない。 「ごめん、あれ捕れてれば延長行けた……塁斗の頑張り、ぜんぶ無駄にした」 「何も無駄なことなんてないです」 「でもお前……このために俺と……」 ガラガラの車内とは言え、番だとかセックスだとか口にするのは憚られる。 「俺は涼先輩がいろいろしてくれたおかげで、いいコンディションで今日まで投げられました。そりゃ先輩から見れば俺なんてまだまだだし、ダメだししたいとこもあるかもしんないけど……」 何だか俺ばかり喋ってしまう。 「まぁ俺が二年で来年もまだあるからこんなノー天気でいられるのかもしれないです。先輩が悔しいのはわかるんですけど……ごめんなさい、うまくフォローできなくて」 そして喋る量のわりにいいことが言えない。 涼先輩はしばらく黙ってから、ぽつりと呟いた。 「塁斗、ほんとに後悔ないの?俺と……そういう関係になったのに、こんな中途半端な結果に終わって」 伝えたかった。俺は涼先輩が好きだから、番になれて後悔するどころか、むしろ一度きりでも抱いてもらえて嬉しかったんだって。 番にはしてもらった。でも恋心まで受け止めてもらえる自信なんてない。 夏が終わったら解消される覚悟の番だった。その夏は、こんなに早くに、あっさりと終わりを迎えてしまった。 涼先輩が好きで大好きでここまでしあわせだったのに。番を解かれて、元通りの先輩後輩に戻れるとも思えないし、先輩は事実上これで引退する。 スポ根漫画みたいな恵まれたスポーツ選手にはなれないし、少女漫画みたいに都合良く進む綺麗な恋愛もない。 不条理さをぐっと押し込めきれずにいたら、 「ほんと、ごめんな……」 涼先輩の手が俺の頭をキャップ越しに撫で、そのままぐいっと俯かせるように押さえつけられた。 「泣いとけ」 俺は涙腺が弱い。 そういえば涼先輩に初めて会った日も泣いていた。綺麗でしあわせな思い出だけ、大切に持って生きていければいい。 出逢ったあの昨年の春から、今日の日まで、ぜんぶぜんぶ大切すぎる。 それから一ヶ月以上が経って、相変わらず暑い暑いとへばりそうになる毎日だけれど、グラウンドに一・二年生しかいなくなったことは大きな変化だった。 俺の新しい相棒のキャッチャーは同学年。大会ではベンチ入りこそしたけれど、出番はなかった。 試行錯誤のバッテリー。練習中、そいつはたまに何気なく零す。 『鵠沼先輩ならこういう時どうするかな』 『鵠沼先輩にもっと教わっとけば良かったなぁ』 ここにはもう、涼先輩がいない。俺はもう、涼先輩のミット目がけて投げることはない。 八月の下旬。スポーツニュースの話題の主役は高校野球全国大会、いわゆる甲子園だ。 昼間の中継だが、決勝の日だけは自主練デーという名目で、各々家で観戦していいことになっている。同世代のトップを見ることは無駄でないと顧問はきっと考えている。 昨年は涼先輩が俺の家に来て一緒に観た。 すごいすごい、今のは上手いと俺が興奮して、いや普通だろ、あーあ何やってんだよもったいねぇと涼先輩が辛口に詰(なじ)る。 観終わったらそれぞれ宿題をやろうと言っていたのに、結局野球談義に花が咲いてしまった。 今年、どうしようかな。 ひとりでじっくり観てもいいし、同級生や後輩に声をかけてもいい。 昨年の涼先輩とのそれが楽しすぎて、本当は誘いたかった。でもその時とは関係性が変わりすぎていた。 俺からお願いして、抱いてもらって番にしてもらった。そこには俺からの一方的なワガママと恋心しかない。 それに涼先輩は、もう野球のことは考えたくないのかもしれない。県予選での敗退はすべて自分のせいだと思っているだろう。 憶測の域を出ない。だってその最後の試合の日以来、会ってもいないし連絡だって取っていない。もう一ヶ月以上だ。 それでも俺にはいい加減伝えなければならないことがある。 『お久しぶりです』 『甲子園決勝の日、予定あいてたらうち来ませんか?今年も一緒に観ましょう』 メッセージを送るのは本当は辛かった。 伝えなければならないことは、番の解消について。 本当はそんな話、いつまでもしなくていいのならしたくないんだ。

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