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第30話 コッペパンと嫉妬
体育の授業中にバスケットボールが頭に当たり、鼻血も出たので保健室で休んでいた。幸い怪我は大したことなく、次の授業から通常通り受けることができた。
体育の授業中に、自身の中に仕込んだローターのことばかり考えていたから、このようなことになったのだ。次の授業からは反省し、ローターは外して授業を受けた。
「りょう、ごめん。今日は部活終わるの遅いから、家まで送れない…」
「問題ない。佐野は部活に集中してくれ」
「ごめんね…あ、優心さんに迎えに来てもらう?」
「いや、大丈夫だ。少し自習室へ寄ってから帰るから」
名残惜しそうな佐野を見送ってから、少し勉強をして帰路に就いた。
「寒い……」
夕方になるとぐっと冷え込み、耳が冷たくなっていくのが分かる。
「あ……」
校門に寄りかかって、誰かを待っているような井沢がいた。
「井沢、もう遅いから早く帰った方がいいぞ。誰か待っているのか?」
「委員長のこと待ってた。今日は家まで送る」
「……今日のことはもう何ともないから、気にしなくていい」
今日の体育の授業中に、俺にバスケットボールをぶつけたのは井沢だ。ただ、井沢はわざとではないし、俺が呆けていたのも悪い。
「それでも、俺が納得できないから、家まで送らせて欲しい」
「……分かった、ありがとう」
人の好意を無下にするのは良くないし、一緒に帰るだけなら問題ないだろう。
ただ、やはり井沢と2人きりというのは気まずい。何を話せばいいのだろう。佐野と2人きりだと、こんなふうに困ったことがないことに、今更ながら気付いた。
「あ…あの……井沢は、バスケやってるのか?」
「え、なんでそう思うの?」
「いや、今日の体育で活躍してただろ?バスケ経験者なのかと思って」
「……中3までは、バスケ部だったよ」
「え、そうなのか…」
ということは、井沢は少し前まで佐野と同じ部活だったのか。井沢は今、何の部活にも所属していないはずだ。なぜバスケ部を辞めたのだろうか。気になるが、訊いても井沢は答えてくれないだろう。
「あのさ、これ。食べたことある?」
井沢が差し出したのは、コッペパンだった。
「いや、一度も買えたことがないな」
このコッペパンは、安くて美味いと学内で人気No.1の学食だ。昼食時はもちろん、夕刻も販売されているが、いつもすぐに売り切れるので購入できたことがなかった。
「あげる。今日たまたま買えたから」
「え!いいのか?」
「いいよ」
「……ありがとう!」
実は結構食べてみたかったのだ。井沢のおかげで、人気のコッペパンに初めてありつけそうだ。
コッペパンはそっとバッグにしまって、井沢と自宅へ向かった。その道中は、新しい担任のことやこの間の期末テストのことで、会話が弾んだ。単純だが、コッペパンをもらえて俺のテンションは少し上がっていた。
体育祭の接吻事件から井沢に苦手意識があったが、話してみると落ち着きのある声や態度が安心できると感じた。陽キャの苦手なノリがないのも良い。
「今日はありがとう」
「いや……じゃあ、また」
「ああ、また明日」
井沢との時間は思った以上に楽しく、あっという間に自宅に着いた。帰宅すると優心が夕食の支度をしていたので、手伝いながら今日の出来事を話す。
「そのコッペパン、父さんも一口欲しい!」
「ああ、半分にしよう」
井沢からもらったコッペパンは、ふんわりとしていて軽い。半分に切ると、中には白いクリームが入っていた。
頬張ると、焼き立てのようにふんわりとしていて、クリームがほんのり甘く素朴な美味しさがある。
「おいしいね」
「ああ」
井沢は俺への謝罪のつもりでコッペパンをくれたのだろうか。ここまでしてもらうとは、逆に申し訳ない。何かお礼をしなければ。
コッペパンを食べ終わると、玄関のチャイムが鳴った。
「あれ、武が鍵でも忘れたか?」
「あ、そうだ!今日佐野くんが来るんだった」
「え?佐野が?」
佐野は今日家に来るなんて言ってなかったが、何かあったのだろうか。優心が急いで玄関扉を開けに行った。
「佐野!どうしたんだ?」
「会いたかったから、会いに来ただけ」
ニカっと破顔した佐野の顔は、部活動での疲れを感じさせない清々しさがあった。
慣れたもので、佐野は我が家の食卓に家族のように参加している。
「佐野くんは、学校のコッペパン食べたことある?」
優心は、先ほどのコッペパンがやけに気に入ったようだ。佐野にもコッペパンのことを訪ねている。
「コッペパン…?ああ、あの人気の。何度かありますよ」
「今日りょうが持って帰ってきてくれてさ、初めて食べたんだけど。めちゃくちゃ美味しいね!」
「りょう、コッペパン買えたんだ!」
「いや、買えたというか……もらった……」
別にやましいことは何もないが、なぜか小声になってしまう。
「もらったんだ。へぇー…」
ニヤニヤしながらこちらを見るだけで、佐野はそれ以上何も訊いてこない。
俺のフェロモンの微かなにおいにも気づく、野性的な感を持ち合わせている佐野のことだ。いろいろと察していることがあるだろうが、何も言ってこないのが逆に怖い。
「デザートにイチゴがあるんだけど、部屋に持ってく?」
「はい、ありがとうございます!」
優心が洗ってくれたイチゴを持って、佐野はさも当然のように俺の部屋に向かっている。その後ろ姿に付いて部屋に入ると、扉を背に右肩を押さえつけられた。
「さっき優心さんが言ってたコッペパン、美味しかった?」
「えっ……あ、ああ。美味しかった……」
「誰にもらったの?」
「その……井沢に……」
「ふーん。もしかして、家まで来た?」
何か分からないが、恐怖で声が出てこない。別に佐野に隠す必要もないのだろうが、これ以上何も言ってはいけない気がする。
「…………」
「なんで黙ってるの?」
「……来た。でも玄関前までだし、家の中には入っていない」
「そうなんだ」
佐野は部屋の中央にあるテーブルにイチゴを置いて、座った。
「今日、りょうに一緒に帰れないって言ったとき、寂しそうだったのが気になって家に来たんだよね」
「そう、か……」
「でも、春久と一緒に帰ったってことは、寂しくなかったんだよね。なら良かった」
佐野は破顔しながら、手招きをした。
「一緒に食べよう」
井沢と一緒に帰ったことを、佐野に咎められるかと思っていたが、大丈夫そうだ。
「ああ」
俺は安堵して佐野の隣に腰を下ろした。その途端、今度は両肩を掴まれ床に押し倒された。
「…って、俺がそんな大人な対応できると思った?俺16歳だもん。りょうの言う通り子供だから、めちゃくちゃ怒ってるよ」
「……佐野を怒らせるつもりはなかったんだ、申し訳ない」
「俺の嫉妬心を舐めてもらっちゃ困るよ、りょう」
すごい力で佐野に押さえつけられ、身動きが取れない。そのまま佐野は猛々しい口付けを始めた。
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