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第4話「バイト終わりちょっと付き合える?…ってどういうこと!?」
「あ、あのっ!」
自分でも驚くくらい大きな声を出してしまい、咄嗟に口を手で覆った。
「びっくりしたー。ははっ、大丈夫ですよ。今日お客さん全然いないし。瑞樹さん合わせてたったの三組しかいないんで。一組は喫煙ルームですしね。」
確かに。そう言われて店内を見渡すと、瑞樹以外の客は、少し離れた席に小さい子供を連れた二人組のママしかいなかった。ママ友同士のトークに花を咲かせ盛り上がっているおかげで、瑞樹の大きな声もまったく気づいていないようだ。
「で、どうかしました?あ、もしかしてスプーンなかったですか?」
「いや、そ、そうじゃなくて…その…。」
勢いで呼び止めたものの、とくに話題は考えていなかった。
ただ、今日はもう少し愁と話したかっただけだった。他愛もない話に花を咲かせ、この鬱々とした気持ちを少しでも晴らしたかった。
えっとー…あのー…。と、くぐもった声で言うばかりでなかなか本題に入らない瑞樹を、愁は急かすことなく、優しさで包み込むような眼差しで見つめ、瑞樹が話し始めるのをゆったりと待っている。
頭をフル回転させ、長続きできそうな話題を考える。瑞樹はとあることを思い出した。
「あの…『初めましてを何度でも』の、どこが良かった…?」
目をぱちぱちと何度か瞬きさせる愁。少し離れた席で三歳くらいの男の子同士がきゃっきゃっと盛り上がっている声が静かな店内にやけにうるさく響いている。
咄嗟に、愁と初めて会話をした時、桜庭みずきのファンで二作品目の『初めましてを何度でも』が好きだったと言っていたのを思い出し、どこがよかったのか気になり聞いてみたが、話題提供をミスったかもしれない。
やってしまった…と、項垂れるように椅子へどかっと座る。
「ごめん、なんでもない――」
「非現実的の中に現実らしさがあって好きなんです。」
「え?」
項垂れた頭を上げ、愁を見る。愁は、瑞樹とレジの前で始めて会話をした時と同じように、前のめり状態で目をきらきらと輝かせながら、語り始めた。
「まず、設定がいいじゃないですか。幼い頃、お互い一目惚れして将来を約束するけど、親の都合で女の子の方が引っ越しして、十年後に再会したら女の子の方は覚えてないどころか1か月ごとに記憶が消えちゃうっていうその非現実的な設定。でも、主人公の男の子はそれでもずっと女の子の事を想い続けて、何度でも初めましてから始めるその健気さに泣けるしこれこそ本当の愛って思わされました!確かにストーリーに見せ場となる山はなかったと思いますけど、実際、現実世界の恋愛ってそんな山あり谷ありばっかじゃないし、問題が全て解決するわけじゃないですからね。あの終わり方だと、問題は山積みだし、解決していかなきゃいけないことだらけだけど、あの二人はあの小説が最後のページを迎えても、その後も数えきれないくらいの初めましてを繰り返しながら、二人で困難なことにも立ち向かいながら、ゆっくり二人だけの素敵な時間を積み重ねていくんだー、って思うと、なんかもう俺、感動しちゃって…。見守っていたくなる感じのラブストーリーなところが最高でした!」
「お、おぉ…そ、そうか…。」
相槌を打つ暇もないくらいのスピードでぺらぺらと語る愁に、自分から話題を振っておいて若干引き気味になる瑞樹。コーラを一口飲んでひと呼吸置く。
正直、愁がここまで桜庭みずきのオタクだとは思ってもいなかった。
愁は瑞樹が桜庭みずき本人だということは知らない。それなのに、ここまですらすらと誉め言葉を並べれるのは、お世辞ではなく、本当に桜庭みずきの大ファンだからなのだ。
しかも、世間からは低評価を付けられた2作品目が好きだなんて、感性おかしいんじゃないのか?と瑞樹は心の中で思うが、本音を言うと、こんなに褒めてもらえるのはいつぶりかわからなくて嬉しい。照れて、少しピンク色に染まった頬を隠すかのように、少し俯く。
「本当に桜庭みずきが好きなんだな。」
「はい!桜庭先生は、俺の恩人なんで!」
「恩人…?」
「あー、まぁ、いろいろあって。落ち込んだ時に桜庭先生の小説読むと元気貰えるっていうか…。」
愁は目を泳がせながら軽く自分の唇に触れた。愁が珍しく、言葉を濁した。
何があったのか気になる。自分が恩人だと言われれば尚更だ。生きていれば嫌なこと、辛い事、死にたくなることの一つや二つ誰にだってある。
何があって、どう救われたのか、知りたかったが聞くのはやめておいた。なんだか、その話題にはそれ以上踏み込んではいけない気がした。瑞樹の第六感がそう言ったのだ。
「そうか…。あの、さっきの話で気になったことがあるんだが、恋愛って山あり谷ありが普通じゃないのか?」
瑞樹の質問対して、腕を組み、うーん、と少しだけ愁が考える。
「ちょっとした喧嘩とかはあるけど、そんなドラマチックなことなんてそうそうないですよー。ライバルが現れたり変なことに巻き込まれたりとか、あんなのフィクションだけの世界ですよ。意外とそんな大イベントみたいな出来事起こらないものです。」
へらりと笑いながら答える愁を見て、瑞樹は、ぴんと来た。ガシッと強い力で愁の腕を掴み、ぐいっと自分の方へと引き寄せる。
突然強い力で引っ張られ体制を崩した愁は、あと数センチで瑞樹の頭と自分の頭がぶつかるほど近い距離まで急接近してしまった。
ドアップに映る瑞樹の顔に、愁はドクンと心臓を大きく跳ね上げ、緊張のせいで喉の水分が一気に引き、砂漠と化していく。
息の仕方さえも忘れてしまった愁は、口をぎゅっと瞑り、無呼吸状態で、目に瑞樹の顔を焼き付けるかのように、カッと目を開いて瞬き一つもせずに瑞樹を見る。
遠くからずっと眺めていたその鬱々と霧に覆われて見えた瞳は、近くでみれば、やはりどこか朧げではあるものの、髪色と同じ綺麗な黒い瞳で、霧に覆われた瞳のもっと深い部分に、まだ微かに燃えている熱い炎のような光を感じた。
吸い込まれるような漆黒の瞳に捉えられ、愁は目線を外せれなくなっている。いっそのこと、その漆黒に吸い込まれ、もっと深い部分に隠している熱い炎を知りたい、触れたいとも思った。
「今日のバイト終わり、ちょっと付き合える?愁ともっと話したい。」
「バイト…終わり…。…はい。」
瑞樹につい、うっとりと見惚れてしまい、ぼんやりとする頭で内容も理解しないまま適当に返事をした。
「ありがとう。じゃあ、ここで待ってるから。」
愁の腕を瑞樹が解放すると、愁はふわふわと夢見心地の気分のまま、厨房へと戻った。
瑞樹に触れられた部分が熱い。まだ瑞樹の感覚が腕に残っている。余りの鼓動の早さに、はぁはぁ、と肩で息をしていると、店長に体調面の心配をされて休憩を促された。
バックヤードに入ると、出勤前、服装チェックをするために設置されてある姿見に映る自分と目があった。瞳孔は全開に開いていて、口元はだらしなく緩んでいる。俺はこんなみっともない顔を瑞樹さんに晒したのかと思うと、かっこ悪すぎて、今すぐ消えてしまいたくなる。
だが、それより遥かに上回る幸福感がそんな負の感情をいとも簡単に蹴散らした。瑞樹に触れられた箇所をなぞるように触れる。
「ふへへっ、バイト終わり…ふへへへっ。」
バックヤードに誰もいないことをいいことに、遠慮なく気持ち悪い笑みを我慢することなく漏らす愁。ある程度の時間余韻に浸ってから、ふと、我に返り気づいた。
「待って…?バイト終わり、瑞樹さんと過ごすってどういうこと!?」
座っていたパイプ椅子から勢いよく立ち上がると、ガシャンっと大きな音を立てて、パイプ椅子が倒れた。
「なんか、何もわからず勢いで適当に、はい。とか返事しちゃったけど、え、どういうこと、どういうお誘い?どういうつもり?てゆーか…お、俺と、もっと話したいって…ど、どういう意味ー!?」
喜びと緊張と期待と幸せが、愁の脳内で手を繋ぎ合いぐるぐると回っている。
今、現実世界で起きていることにまだ脳が追いついていない愁は、あー!と言葉にならない叫び声を上げながら、ロッカーに頭を強めに数回打ち付けた。
愁の叫び声は、表まで響いていたらしく、店長が慌ててバックヤードへ飛んできて、「荒田くん!表まで聞こえてるから!体調悪いならもう上がっていいから!」と怒られた。
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