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第6話「眩しいものは嫌いだ。でも、お前の眩しさは嫌いじゃない。」

愁の頭の中は真っ白になっていた。 この気まずい空気の和ませ方、掴んだ手の離し方、全てどうやればいいのかわからない。何も考えれない。ただ、自分の選択は間違えていた。ということだけは理解していた。 気まずい沈黙を破ったのは瑞樹だった。ゆっくりと口を開け、薄い唇を動かす。 「俺の為にそこまで自分を犠牲にしなくていいよ。ラブストーリー書くために、ちょっと愁の恋愛観とか、経験について聞かせてくれれば充分だから。」 眉を八の字に下げ、困ったような顔で笑う瑞樹。 「えっ…あっ…。」 瑞樹の手を掴む力を弱めると、瑞樹はソファへ座りなおし、パソコンを開いた。愁の選択した言葉の意味は間違っていたが、瑞樹を引き止める点においては、成功したようだ。 愁の停止していた思考がゆっくり、少しずつ動き始める。愁は冒頭から間違っていたことに気づき、顔を真っ赤にした。 “恋を教えてくれ”という言葉の意味を都合よく、“付き合ってくれ”という意味で解釈していた自分に嫌気がさし、大きな羞恥心に襲われ、今すぐ消えたくなる。 当たり前だ。瑞樹さんは男で俺も男。好きだなんて、付き合うだなんて、あるわけない。俺は何を期待しているんだ…。 心の奥底に隠していた瑞樹への恋心をさらに奥深くへと押し込むように追いやる。絶対、好きだとバレてはいけない。近くにいるだけで、話せるだけで、それだけで幸せだ。頭の中で何度もそう唱え、言い聞かせる。 「愁は優しいな。」 ぎゅっと、血がでるほど強く下唇を噛み、俯いていた顔を上げる。右手で頬杖をつき、目を細めて優しい瞳を愁に向けて笑っている瑞樹がいた。 「俺の為に、自分を犠牲にしてまで、疑似恋愛で恋を教えてくれようとしたんだろ?そこまで俺の為を思ってくれて嬉しいよ。ありがとうな。」 違う。違う違う違う違う!! 頭の中が罪悪感でいっぱいになる。愁が発した言葉に、瑞樹の為なんて一ミリも含まれていなかった。あわよくば、疑似恋愛をしていく上で本当に俺のことが好きになって…。そんな、欲にまみれた感情しかなかった。自分の汚い感情が、瑞樹の真っ白で何一つ汚れも、曇りもない眩しい笑顔に照らされ、より一層、罪悪感の霧に包まれていく。 「い…いいんですよ俺は…。瑞樹さんの為になるなら…。」 瑞樹への想いがバレないように、自分の心の奥底から飛び出た本心を誤魔化すには、瑞樹が想像している“優しい愁”を演じるしかなかった。 たとえ、ジクジクと痛む心臓を耐えながら、この先もずっと演じ続けることになったとしても、今の愁が思いつく良い方法はそれ以外なかった。 瑞樹の恋愛についての質問はいたって簡単だった。 好きになるきっかけ、好きと気づく瞬間、片思い中の切ない気持ち、好きな人にしてあげたいこと、初デートのおすすめスポットなど…。 質問内容としては正直、小学生の恋愛レベルの質問ばかりだった。愁は拍子抜けした同時に、ほっと安堵した。もっと、大人っぽいディープな内容の質問が来るとばかり思っていたため、恋愛経験のない自分がちゃんと的確なアドバイスをあげることができるのか不安だったが、そんな心配はただの杞憂に終わった。 「なるほど…。」 愁が答えた内容をメモした画面にざっと目を通す。どうやら、質問は全て終わったらしい。ぱたんっとパソコンを閉じると、瑞樹は満足そうな笑顔を浮かべて、愁にメニュー表を差し出した。 「協力してくれてありがとうな。本当助かったよ。お礼になんでも食べていいぞ。今日は俺の奢りだ。」 「えっ!いいんですか?」 「あぁ、好きなもの食べろ。」 愁は、あまりにも簡単な質問と回答内容だったため、本当に瑞樹の力になれたのかが不安で、お礼をもらうのは気は引けたが、瑞樹の大変満足そうな顔を見る限り、多分役に立ったはず。せっかくだから奢ってもらうことにした。 瑞樹からメニュー表を受け取り、ハンバーグとグリルチキンが乗った鉄板メニューの単品を注文した。瑞樹にはもっとたくさん食べろと言われたが、数時間前にまかないで食べたカルボナーラとマルゲリータピザが胃に残っていたため、遠慮しておいた。 「そういえば、なんでラブストーリー書くんですか?」 ナイフとフォークを器用に使って、ハンバーグを一口サイズに切りながら、愁が何気なく質問した。 「ゴーストライターの仕事だよ。今度ラブストーリーの小説を書かないといけなくてな。」 「ふーん…。でも、ゴーストライターなら、依頼人が考えたプロットを渡されて、それを元に書いていくのが普通ですよね?なんで瑞樹さんがそんな詳細部分まで詳しく調べたり考えたりして書かなきゃダメなんですか?恋愛についてだって、依頼者に聞けば早いのに。」 はむっと大きめの一口サイズに切られたハンバーグを口の中へ放り込みながら愁が聞く。瑞樹は、うぐっとうろたえた。 まさか、そこを指摘してくるとは、予想もしていなかった。 確かに、通常のゴーストライターなら愁の言う通りだ。だが、今から書くこのラブストーリーはゴーストライターの仕事ではなく、桜庭みずきの新作となる作品。当然、自分でいろいろと調べ、プロットも考えていかないといけない。 うっかり、恋愛についての質問中に、ストーリーの流れまで相談してしまったのがいけなかったのか。と思うが今更だ。どうにかして誤魔化さないといけない。 「ふ、普通はそうなんだけど…今回は特別なんだ。」 「特別?」 「そ、その、俺がゴーストライターを担当している先生が実は、スランプ中でな。プロットを考えるのも難しいらしく…。だから、その、俺が0から作っているんだ。」 もちろん、そういったケースだってある。本当に稀だが、過去に1度だけ経験したことがある。だから、百パーセント嘘ではない。と、瑞樹は少しでも自分の中の罪悪感を追い払おうとして、言い聞かせる。 「ふーん…それさぁ、自分の作品ですーって発表したらだめなんですか?」 思いもよらない言葉が帰ってきて、瑞樹はつい、大きな声ではぁ?と言った。 「あのなぁ、名前を公表しないからゴーストライターなんだぞ。確かに俺が書いた作品が他の人の名前に変わって世に出るが、それは盗作でもなんでもない。ゴーストライターとしての仕事を立派に果たしたってことなんだ。」 「ち、違うって!瑞樹さんの仕事を馬鹿にしたとか、そういうことじゃなくってっ!」 口に入れたばかりのハンバーグを、ろくに噛みもせず、慌ててコーラで流し込む愁。無理矢理流し込んだせいで、ごきゅっと喉が鳴った。 「その、せっかく小説書けるのに、瑞樹さんは自分の作品書かないのかなーって思っただけで…。てゆーか、俺、瑞樹さんが書いた小説、読んでみたいです。」 きらきらと好奇心に満ち溢れた瞳で愁が瑞樹の瞳を真っすぐと見つめる。その輝きが眩しくて、瑞樹は少し、目を細めた。 きらきら光って眩しいものは嫌いだ。まるで、どんよりと暗くてじめついた俺を高い場所から見下ろし、蔑まれているような気にさせるから。明るいのは嫌いだ。嫌いなはずなのに、何故だろうか。 愁の眩しさは嫌いじゃない。俺を不快な気持ちにさせない。むしろ、俺の冷え切った心を温めてくれる。そんな気持ちになる。 上から見下ろすんじゃなく、傍にそっと寄り添うような光。少しでも長く、俺の傍でその光を灯していてほしい。 そしたら、この長年続く鬱々とした気持ちが多少はマシになる気がする。少しでいい、たまにでもいい。ただ、消えないでいてくれたら。 「…気が向いたら…書く、かもな。」 ぽつりと呟くように瑞樹が言った。すると、愁は嬉しそうな顔で身を乗り出し、マジっすか!?と言った。 「気が向いたら、だからな。期待はするな。」 あまり期待されすぎるのは返ってしんどいため、ビシッと指を指し、釘を刺したが、愁はちゃんと理解しているのか不安になるような浮かれた声で、「はいはーい。」と適当に返事をした。

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