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第7話「俺、小説書くよ。だから・・・」
「すっかり遅くなってしまったな。バイト終わりで疲れているのに、ごめん。」
会計を済まして外へ出ると、外は少し静けさを感じた。あれからいろいろといつも通り他愛もない話をしていると、つい盛り上がってしまい、いつの間にか時刻は深夜一時になっていた。
街中に位置するファミレスのため、深夜一時でもまだ街には明かりがついており、歩いている人もちらほらといる。だが、日中と比べればやはり静かな印象だ。
「全然!すごい楽しかったし、ちょうど明日大学休みなんで気にしないでください。」
「もうこんな時間だし、家まで送っていくよ。」
「そんな、いいですよ!ほら、瑞樹さんは早く帰って仕事しないと!」
「いいから。家に帰っても一人だし、たまには誰かと長々と話したいんだ。付き合ってくれ。」
ふっと笑う瑞樹の顔が、少し寂しそうで、愁は黙って瑞樹に送られることにした。
人気の少ない夜道を、二人肩を並べて歩く。触れそうで触れない肩がもどかしく、愁は、わざとあたりたい衝動をぐっと我慢しながら歩いた。
「そういえば、なんで文学部なんだ?」
あっ、と小さく声を上げ、思い出したかのように瑞樹が質問した。
「本が好きなんで。単純な理由ですよね。」
ははっと笑う愁の横顔を瑞樹がじっと見つめる。その視線に気づき、愁は真っすぐ前だけ見ることに集中して歩く。
「俺もあの大学選んだ理由は同じようなもんだよ。本が好きだから…それだけでも立派な理由だろ。じゃあ将来は作家にでもなるのか?」
街の光が映っている愁の瞳が、メラッとやる気に満ち溢れた炎を宿した目に変わった。その瞳は、色とりどりの光を放ち輝いている街灯りより明るく、綺麗で、瑞樹はどこか懐かしさを覚えた。
忘れていたけど、そういえば、愁と同じ年の頃は俺も、今の愁と同じような目をしていたな。なんて、過去の自分と愁を重ねて、感傷に浸る。
「いや、俺、将来的には作家じゃなくて、編集者になろうと思ってるんです。」
「編集者?なんで?」
「だって、編集者と作家は二人三脚で走ってる。いわば、二人で一つみたいなモンなわけじゃないですか。作家の作品を良くも悪くもするのは担当編集者次第!みたいなところもあるし。」
瑞樹は脳裏に自分の担当編集者、河野の顔を思い浮かべ、苦い顔をして相槌を打った。
「作家の調子が良い時も悪い時も、一番近くで支えて、二人でいい作品作っていくって思うと、素敵な仕事だなぁって思うんですよね。」
明るい将来に思いを馳せ、うっとりとした顔で語る愁。確かに、愁の語る理想の編集者がこの世に大勢いるのならば嬉しいのだが、現実を知っている瑞樹はあまりいい顔はできなかった。だが、将来に希望を持つ若き青年の夢を、汚れた大人の手でもぎ取るわけにもいかない。瑞樹はなるべく明るい声を作り、「いいじゃん。」と、当たり障りのない返事を返した。
「…実は、俺が今の大学に入った理由で、もう1つあるんですよ。」
真剣な声で話す愁。どんな理由なのかと、返事もせず、少し身を乗り出し気味で、愁の続きの言葉を瑞樹は待つ。瑞樹が愁に近寄ったせいで、トンッと肩が一瞬触れ、愁はぴくっと反応した。
「桜庭みずき先生って、あの大学の文学部出身なんです。どんだけ好きなんだよーって思うと思うんですけど、桜庭先生と同じ大学に行きたいなって思って。それであの大学入ったんです。」
瑞樹は驚いていた。愁の桜庭みずき愛は、もうとっくに理解できていると思っていた。だが、愁の愛は、瑞樹が思っていたものより、まださらに大きいものだった。
好きな作家と同じという理由で大学を選ぶだなんて、そんな、自分の人生そのものを桜庭みずき中心に考えているようなものじゃないか。
「愁、お前…。」
瑞樹が愁の肩に触れると、愁はぐっと全身に力を入れた。血液が体中を駆け巡っている。ドクドクと鳴る心臓の音は、隣にいる瑞樹にも聞こえそうなくらい大きくて好きだとバレてしまわないかという不安と緊張で、さらに愁の鼓動を早める。
瑞樹に触れようとする手を、爪が食い込むほどぎゅっと固く握る愁。愁が、なんとかぎりぎりのところで必死に耐えているなんて知らない瑞樹は、前だけを必死に見つめている愁の視界にひょこっと、覗き込むようにして現れた。
「馬鹿だな。」
あははーっと大きな声で笑う瑞樹の声は、静かな深夜の街にこだました。何の色気もムードもない瑞樹の笑い声と発言に、全身に入っていた力がひゅっと抜け、愁は目をまん丸にさせて、ぽかんとした表情をした。
「ば…ば、馬鹿ってなんですか!馬鹿って!」
横にいる瑞樹の方をばっと向くと、瑞樹はケラケラとまだ笑っていた。何がそんなにおかしいのかわからない愁は、むぅっと不満そうな顔で瑞樹を見る。
「いや、だってさ、愁が入学した時には桜庭みずきはもう卒業してるのに同じ大学に入学するって…それ何
のために行くんだよって思うじゃん。」
「う、うるさいなぁ!瑞樹さんにはわかんないですよ!好きな人が毎日過ごした場所で自分も生活するっていうこの尊さが!本人がいなくても俺にとっては超超大切なことなんです!」
腕を組み、ふんっとそっぽを向く愁。愁が機嫌を損ねたというのに、瑞樹はまだ、くすくすと小さく笑っている。
その笑い声に、愁はさらに気分を悪くし、頬を膨らませる。面白がって笑っている瑞樹だが、本当は嬉しかったのだ。こんなにも自分の事を好きでいてくれる人がいるということが。既に過去の人となった桜庭みずきをその人は今でも心底好きでいてくれて、今、隣にいるということが。
こんなにも誰かの愛を感じるのは初めてだった。嬉しいけど、恥ずかしくて、なんだかくすぐったくて。ムズムズと変な違和感を感じる胸を撫でる。
「そんなに拗ねるなよ。ちょっと笑っただけだろ。」
「ちょっとじゃないですぅー。結構笑ってましたぁー。」
「お前、ガキかよ。」
面倒くさいなぁ、なんて思いながらも、三歳年上の姉しか兄弟がいない瑞樹にとっては、まるで弟ができたような気持ちになり、五歳年下の愁が可愛く思えて仕方ない。ふっと小さく笑い、わしゃわしゃと愁の髪を撫でた。
「愁は本当に、桜庭みずきが好きなんだな。」
「…はい。」
まだ拗ねてはいるものの、ちゃんと返事を返す愁。男同士の兄弟がいたのなら、喧嘩した後の仲直りはこんな風にしていたのかな。なんて、もしも自分に弟がいたのなら。という想像をしながら、瑞樹は愁に話しかける。
「桜庭みずきのどこがいいんだ?」
「…俺にとって、桜庭先生は恩人なんです。人生で一番辛い時に桜庭先生の作品を読んで、救われたんで
す。もう何年も新作出してないけど、俺はずっと待ってるんです。編集者になりたいのも、桜庭先生の担当編集になりたいからで、前に雑誌のインタビューで、新作のアイデアに悩んでいるって書いてあったの見て、桜庭先生の力に少しでもなりたいって思ったから、だから編集者になろうって決めたんです。あ、あと、担当者になって、誰よりも早く一番最初に桜庭先生の新作を読んで優越感に浸りたい。」
桜庭みずきの為に自分の将来を決めるだなんて、やっぱり愁は馬鹿だ。
また、馬鹿だと言い笑うと、せっかく直った愁の機嫌がまた悪くなってしまう。笑うのを耐える代わりに、愁の背中を勢いよく、バンっと叩いた。愁は背中を反らし、「いったー!」と大声を上げ、キッと瑞樹を睨んだが、瑞樹は微笑んでいた。
「愁なら絶対叶えられる。応援してるから、頑張れよ!」
あっけにとられた顔で数秒間瑞樹を見つめていた愁だが、ぼっと顔を赤くすると、それを隠すかのように、ふいっとそっぽを向いた。
「あ…ありがとう、ございます…。頑張ります…。」
ぽりぽりと頭を掻く愁の横で、瑞樹は、数年後自分の担当編集者が河野から愁に変わることを想像して、わくわくと心躍らせていた。
「あ、あの。俺の家、ここなんで。」
そういって愁が指さした建物は二階建ての少し古びたアパートだった。愁の部屋はどうやら2階らしい。階
段に向かって歩いていく。
「送ってもらって、ありがとうございました。また、ファミレスで。」
ひらりと手を軽く振ると、トントンっとリズミカルな音を立てて階段を上っていく。階段の一番上まで上がり、瑞樹の方へと向き直し、「それじゃあ。」と言った時だった。
「――愁!…俺、小説書くよ。だから、俺の作品も読んでくれないか。愁に、一番最初に読んでほしい。」
書きたいと思った。こんなに落ちぶれてしまった俺を、まだ待ってくれている愁の為に。
一番最初に読んで、読み終わった後、「やっぱ、桜庭みずき先生は最高ですね!」って笑いながら言う愁の顔が見たいと思った。
「ぜひ、読ませてください。俺も、瑞樹さんの書く小説、読みたいです。」
目をきゅっと細め、嬉しそうに微笑む愁。
街灯が少ない道なため、愁の頬がほんのりピンク色に染まっていることは瑞樹に気づかれなかった。
階段上の高い場所から差し込んできた眩しい光は、瑞樹を照らし、また次、ファミレスで会う時までのお守りのように、瑞樹の心にそっと寄り添った。
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