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第8話「知らない感情」

それからは、毎週月曜日と木曜日、愁のバイト終了後に、毎回瑞樹が座るテーブルにて、名目上は“小説を書くための恋愛についてのお勉強会”という、ただの雑談会を開いた。 最近流行っている本や映像作品について語ったり、今日あったことなど、他愛もない話に花を咲かせた。 週二で開いているこの会に何の意味もないことを、お互いとっくに気づいていた。 でも、こうして他愛もない話をするだけで楽しくて、意味なんていらなかった。楽しいだけで充分だと、お互い口には出さないものの同じことを思っていた。 日常の何気ない出来事でも、今度会った時、愁に、瑞樹さんに、話そう。そう思うことが増え、変り映えしない日々に少し色がついて見えたのだ。 と言っても、楽しいだけじゃ桜庭みずきの新作原稿は進まない。愁を喜ばせるため、なんとしてでも新作を書き上げなければならない瑞樹は、愁に会っていない時間に、ちゃくちゃくと新作の執筆を進めていた。 「愁。小説のことなんだが、冒頭部分だけ書いてみたんだ。よかったら読んでみてほしい。」 苺パフェを美味しそうに頬張る愁が、スプーンを咥えたまま、目をまん丸に大きく見開き、きらきらと期待に満ち溢れた瞳で瑞樹を見る。瑞樹は、愁の期待に応えられる自信がなくて、顔を引きつらせながら、原稿用紙の画面が映し出されたノートパソコンを愁に差し出した。 「あんま期待するなよ…。期待外れだった時、俺が辛いから…。」 「はいはーい、期待してないしてない♪」 ずいっと、苺パフェを横へスライドし、パソコンを自分の前へ引っ張って移動させると、愁はすぐに瑞樹の書いた小説を読み始めた。瑞樹が書いたのは、本当に始まりの部分だった。 主人公達が出会っただけでまだ何の進展もない。ページで言えばたったの5ページ程度。 それなのに、愁が読み終わるまでの時間が瑞樹にはやけに長く感じた。 じっくり、一文字ずつ確かめるように読んでいるのだろうか。それとも、指摘部分を探すため、何度も何度も繰り返し読んでいるのだろうか。 どちらにしても怖い、怖すぎる。気持ちが落ち着かず、既に空になっているコーヒーカップに口をつける。 それでもまだ読み終わらない愁。じっとしていられず、頼む気もないのに、瑞樹はメニュー表を開いて隅々までじっくりと見始める。とにかく、気を紛らわせるために何か違うことに集中したかった。メニュー表の三ページ目に差し掛かった時だった。 「瑞樹さん。」 愁が瑞樹の名前を読んだ。瑞樹はびくっと肩を揺らし、そぉーっとメニュー表から目線を愁へと移動させ顔をあげた。愁は眉間に少しぎゅっと皺を寄せ、原稿を見ていた。 「これって、BL…ですか?」 「うん、そうだけど。あれ、言ってなかったっけ?」 「聞いてないですね。」 愁は、何か言いたげな顔で少しだけ開けた口をぱくぱくと、まるで鯉のように動かした。 「あ、もしかして、同性愛モノ苦手だった…?ごめん、俺が伝え忘れてたせいで。」 「いや、違うんです!同性愛に関しては全然嫌とか、そういう感情はなくて、その…なんで男女の恋愛じゃなく、同性愛の話にしたんだろーって思って…。」 目を泳がせ、気まずそうに聞く愁。何故そんなに聞きにくい様子なのかわからない瑞樹は、首を傾げながら、淡々と説明する。 「あぁ、それは担当者が――」 そこまで言って、自分は桜庭みずきではなく、ゴーストライターの青山瑞樹だということをはっと思い出し、ぎゅっと口を噤んだ。 「担当者…?」 口を堅く閉じ、なかなか続きの言葉を言わない瑞樹の様子が変だと思い、愁はじとっとした顔で瑞樹の顔を見つめる。愁は変なところで鋭い。 このまま沈黙を続けていると、愁からの質問攻めに合い、上手く誤魔化しきれずに自分は桜庭みずきだということを暴かれる可能性が高まる。瑞樹はまだ上手く誤魔化すための言葉がまとまらないまま、ゆっくりと口を開いた。 「あー、その…いつもお世話になってる出版社に、自分の作品を書いてみようと思うって、言ったら、仮の 担当者をつけてくれて、な…。で、その担当者が、同性愛モノは最近需要があるから、それをテーマにしてみればどうだって言うから、だから、同性愛のストーリーにしたんだ。」 まるで呼吸するかのように、すらすらと嘘を口から吐きだしている自分に、瑞樹本人が一番驚き、若干引いていた。バレないために堂々と嘘をついてしまったことにチクリと胸が痛む。 「え、じゃあつまり、これ書き上げたら、もしかしたら本になって書店に並んだりするかもってことですか!?」 机に身を乗り出して、興奮した様子の愁。その勢いに圧倒され、瑞樹は少し、体を後ろに反らした。 「あ、あぁ…。まぁ、上手く行けば、だけどな。…ところで、読んでみて、どうだった…?」 緊張で鼓動が早くなる。まだ初夏で、席によっては凍えるほど低い温度に設定された店内で汗なんて掻くわけないのに、瑞樹は嫌な汗を背中に掻いていた。口を開き、すぅっと息を吸う愁を見て、瑞樹はごくりと、生唾を飲み込んだ。 「俺、瑞樹さんの書く文、すげぇ好きです!」 ぱぁっと明るい笑顔で愁は言った。その顔は、お世辞を言ってるようには見えなかった。本当に、本心から良いものを良いと言っている。そんな嘘偽りのない笑顔だった。 「なんか、桜庭みずきに似てるんですよね。いや、パクリとかそういう意味じゃないですよ!なんというか、こう、文字を読んだときにぶわーって心の奥から何かが込みあがってくるっていうか…。」 うーん、と唸りながら、身振り手振りでなんとか自分の思いを必死に伝えようとする愁が可笑しくて、瑞樹はふはっと吹き出して笑った。 「なんだよそれ。編集者目指すならもっとちゃんとした言葉で伝えてくれよ。」 「そんなに笑わなくてもいいじゃないですかー!」 唇を尖らせ、子供のように拗ねる愁。くすくすと笑ったのは、愁が可笑しかったからだけじゃない。嬉しくて、胸のあたりがくすぐたかったから。 そわそわざわざわする胸はなんだか変で気になって仕方がない。でも、何故か嫌だと感じない。きっと、これは褒められて嬉しいという感情なのだ。瑞樹はそう思った。

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