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第9話「桜庭みずき先生ってどんな人?って聞かれても・・・」
「そういえば、瑞樹さんって今、二十五歳ですよね?」
パソコンを瑞樹へ返し、再び苺パフェを食べていると、ふと、思い出したかのように愁が質問した。
「うん、そうだけど。それがどうかした?」
「俺、気づいちゃったんですけど、桜庭みずき先生と、瑞樹さんって、同じ大学の同じ学部で同じ学年なんですよ。」
「っ!!」
先ほど、気を紛らわせるために取り出したメニュー表を、テーブルの端に設置されてあるメニュースタンドへと戻そうとしていた瑞樹。愁の思いもよらない発言に激しく動揺してしまい、メニュースタンドを倒したせいで近くに設置されてあったペーパーナプキンや爪楊枝も一緒に倒れてしまい、机の上が大惨事になってしまった。
「うわぁ!瑞樹さん何やってんの!」
散らばった爪楊枝をかき集め、小瓶へと戻す愁。爪楊枝が個包装タイプでよかった、とメニュースタンドを立て直しながら瑞樹は安堵した。
「ご、ごめん。ちょっと手元が狂ってしまって…。」
あはは、とぎこちない笑顔で笑えば、愁は一瞬、瑞樹を怪しんでいる目でじとっと見つめたが、すぐに、眉尻を少し下げ、心配そうな顔に変わった。
「あんまり無理して頑張らないでください。通常の仕事もあるわけだし、確かに瑞樹さんの小説楽しみとは言いましたけど、別に急がなくていいんで。俺、いつまでも待ちますし。合間に書くとか、そのくらいの気持ちで大丈夫ですから。」
どうやら愁は、瑞樹はお疲れなのだと解釈したのだ。じっくりとよく瑞樹の顔を見てみれば、目の下に薄っすらと隈ができていた。
確かに瑞樹はここのところ、少し睡眠時間を削り無理をして執筆をしていた。
というのも、ゴーストライターとしての仕事で、最初に言われていた納期より急遽1週間も締め切りが早まった依頼があったのだ。徹夜とまではいかなかったにしても、少し無理をしてしまった。数年前まではこれくらいなんてこともなかったのに、最近は、少し睡眠時間を削っただけで異常に体が疲れる。
これが歳というやつなのだろうか。三十歳へのカウントダウンが既に始まっている、アラサー一年生の瑞樹は、この先の体力の衰えに今朝から少し怯えていたところだ。
それにしても、愁の観察眼はすごい。瑞樹は感心していた。自分では一切疲れた顔もそんな素振りも見せていないつもりだったが、よく気づいたものだ。
「大丈夫。ちょっと寝不足なだけだ。歳をとると若い頃と同じようにオールしたりはキツくなるんだよ。」
「歳をとるとって…瑞樹さん俺と五歳しか違わないじゃないですか。」
「お前、五歳差舐めるなよ?愁もあと五年したらこんな風になるんだからな。」
瑞樹は顔をしかめて言ったが、愁は、はいはーい。と適当な返事をして、自分には関係ない、というような興味のない顔で苺パフェを口へと運んだ。
仲良くなり始めの頃は、よそよそしく、常に瑞樹の様子を窺って当たり障りのない言葉を選んで会話をしていた愁だったが、毎週二回、三,四時間程度こうして顔を合わせて会話をしているうちに、段々と愁の緊張も解けたのか、素を見せるようになっていた。
もちろん、瑞樹を慕っていることに変わりはないが、先程のようにわざと瑞樹を軽くあしらったり、面白がって弄ったりするようになった。
その度に瑞樹は、お前なぁ~!と、怒っている素振りを見せるが、愁はいたずらっ子のような笑顔でいひひっと嬉しそうに笑うだけだ。もちろん、改善するつもりはない。瑞樹に構ってもらえるのが嬉しくてやっているのだから。
「ったく、お前なぁ。」
はぁ、と大袈裟に呆れた溜息をつく瑞樹だが、きゅっと口角は上がっていた。愁が素を見せてくれることが嬉しいのだ。
可愛い弟だなぁ。なんて思いながら目を細めて愁を見る。苺パフェを食べ終わったらしく、「ごちそうさまでしたー。」と言いながら、空になったパフェグラスをずいっと通路側へスライドさせた。
「で?どんな人なんですか?」
こてんっと首を傾げて、真っすぐ瑞樹を見ながら突然愁が聞いた。
「…は?」
何の話の続きかさっぱりわからない質問に、瑞樹は思わず口から声を漏らした。眉間にぐぐっと皺を寄せ、頭の上にはてなマークを浮かべる瑞樹を、きらきらした好奇心でいっぱいの眼で愁が見つめた。
「だーかーらー!桜庭みずき先生にですよ!同じ大学で同じ学部で同じ学年ってことはつまり同じクラスってことですよね?なんで早くそれを教えてくれなかったんですかー!それなら絶対会ったことあるっていうか、むしろ話したことありますよね!?」
そ、その話まだ続いてたのかぁーーーーーっ!!!!
思わず頭を抱える瑞樹。そんな瑞樹はお構いなしに、愁は瑞樹の腕を向かいのソファに座ったまま掴むと、ゆさゆさと揺らす。
「ねぇ、瑞樹さん?聞いてますー?桜庭みずき先生ってどんな人なんですかぁー?」
このまま黙秘を続けたとて、愁が引き下がる可能性はほとんどゼロだということは理解していた。だが、実は俺が桜庭みずきです。なんて言えるわけもない。愁にゆさゆさと揺さぶられながら、瑞樹はうぅーっと小さく唸った。
「わ、わかった。話す、話すから揺するのをやめろ。」
瑞樹が観念すると、ようやく愁は瑞樹から手を離した。
「で?で?どんな人なんですか?会いたいとかそんな図々しいこと言わないんで、ちょぉーっとだけでいいんで、どんな人かってことだけ知りたいんです!」
今、お前の目の前にいるよ。と言えたらどんだけ楽か。はぁっと、重い溜息をつくと、瑞樹は窓の外を見ながらその場で思いついた架空の桜庭みずきの話を愁に話す。
「残念ながら、俺は大学の頃から交友関係が広い方じゃないから見かけたことがあるくらいで話したことはない。…まぁ、普通の、明るい大学生って感じだったよ。」
「明るい大学生、かぁ。恋愛小説家だし、やっぱ百戦錬磨の恋を経験してきたんですかね。」
ぐさり、と愁の何気ない言葉が瑞樹に刺さる。これ以上話を広げたくなくて、「さあな。」と素っ気なく返すと、空になったカップを持ち、そそくさと逃げるようにドリンクバーへと向かった。
いつかはちゃんと、本当のことを愁に伝えなければいけない。ちゃんと、目を見て自分の口で、俺が桜庭みずきだと。
そんなこと随分前からわかっていた。でも、仲良くなればなるほど、瑞樹は自分の正体を伝えることが怖くなっていた。
もし、愁に本当のことを言ってしまえば、今みたいに他愛もない話に付き合ってくれなくなるかもしれない。せっかく愁は素で話してくれるようになったのに、自分が桜庭みずきだと知れば、桜庭みずきを崇めすぎている愁は、まるで遠い存在かのような扱いをしてくるだろう。
なによりも、愁の中で存在する、青山瑞樹が、桜庭みずきの存在によって消されるのが悲しかった。愁には、作家桜庭みずきとしてじゃなく、一人の普通の男、青山瑞樹として、これからもずっと接してほしい。
そんなの、自分のエゴでしかない。そうわかっていながらも、瑞樹は何度も、愁に真実を伝えるタイミングをわざと見過ごしていた。
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